彼らは何を信じたのか

2022年12月23日

2015年3月15日
参照聖句:Ⅰコリント15:1~5
説教題:彼らは何を信じたのか

今年も本庄教会で葬儀をされたた方、また納骨堂に収められている方々のご家族、そして教会の皆様と共に、小さいお友達から人生の先輩方と一緒に召天者記念礼拝を持てることを感謝します。
ご家族の方々とも共に信仰者を偲び、交わりさせていただけることを感謝します。またご家族の方で記念会を希望する方は牧師まで申し出て下されば行うことができます。

この地上の生涯を終えて天地の創造主なる神のもとに帰るという事を天に召されると言います。誰でも地上の生涯を終えて、主の御許に行く時には愛する家族と離れ一人で行きます。それは霊と肉体は離れる時で、肉体は亡骸としてこの世に置いて、残った人が丁寧に扱い葬式を行います。本当のその人である霊は創造主なる神の前に出てそれぞれの人生の最後の審判を受けるのです。人生の総決算をする、これは厳粛な事実ですね。これがこの地上の生涯を終えて死ぬという事です。

ところで皆さんは自分の父や母、おじいさんやおばあちゃんがクリスチャンと言う方が多くおられると思いますが、いったい何を信じていたのかという事を思ったりしたことはありませんか。聖書を全部読んだのかなとか、暗記して覚えたのかなとか、信仰生活では何を大切にしたのかなと考えたりしませんでしたか。

今日はこの視点から「彼らは何を信じたのか」というテーマでⅠコリント15:1~5(黄色のプリント)から共に考えてまいりましょう。この聖書箇所は使徒パウロという人物がギリシャのコリントの町にある教会の信者に書いた手紙の一部分です。実はこの聖句こそクリスチャンになる条件が書かれている大切な部分です。
1節
福音を知らせましょう。福音とは良い知らせ、英語だとゴスペルいう言葉になります。使徒パウロは、今流に言うと、この良い知らせの中身をもう一度、しっかり伝えるからよく聞いてねと語りかけているのです。というのは手紙をもらったコリント教会の人々の中には福音の中身を忘れかけている人がいて教会の中に混乱があったからです。
2節
ここでは福音の持つ力について書いてあります。この福音の内容を理解して信じたら救われるという力です。聖書の救いは、人はそもそも創造主なる神のかたちに造られ、神に生かされている存在でありますが、すべての人は罪びとであると教えます。罪とは創り主なる神から背を向けて生きる事です。その結果様々な悪が人の心の内にあります。最たるものは自分さえよければよい、自己中心の心です。この罪の本質は生涯にわたり、どんなに努力しても、修行を積んでも消えることはありません。そして罪の結果、人は創造主なる神の前に有罪宣告を受けなければならないと教えています。しかし福音の言葉を信じたら救われる、聖書の示す救いとは、罪の赦しと新しい命(別の言葉でいうと永遠の命)を受ける事です。こうして福音の言葉を信じて、救いを受けた人は生き方が変わります。もし何も変わらなければ形だけの信仰かもしれませんので再確認してください。
3節~5節
では福音の中身とは何か、それはイエス・キリストの事。このイエスこそ神が人としてこの世界に来られ33年の生涯を歩まれた方です。このイエスのなされた十字架の御業を信じたら救われると使徒パウロは語りかけました。それを大切な事として伝え、また私も受けたことで次の事ですと言って語りかけています。イエスをこのように信じたら救われると3つのポイントを紹介しています。
①キリストは私たちの罪の為に死なれたこと。
キリストが十字架上で死んだのは私達の罪を全部引き受けて身代わりの死でありました。罪のないお方でありますからそれが唯一おできになります。何故ならキリストは紙が人となられたお方でありますから。このことを信じた人は自分の罪がキリストに転嫁(例:責任転嫁)されますので、罪は消えませんが、赦されるというのが聖書の示す救いです。
②葬られたこと
普通、十字架に付けられて死ぬと人は罪悪人ということになりますので、通常は、死んだ後そのまま野晒しにされ鳥に食べられたり、獣に食べられたりして骨しか残りません。しかしキリストの場合は聖書に預言されているように特例として墓に葬られたのです。しかも金持ちの墓でした。
③三日目によみがえられたこと
十字架の御業が神の前に真実であることの証明また、信じた者は復活の命が約束されることの証明としてキリストは死んで後三日目によみの中から栄光の体をもって復活しました。そして弟子たちに復活の主は現われ、天に変えられた。今復活のキリストは聖霊として信じる者と共にいて下さるのです。
例話
福音のことばを信じて救いを受けた小林ヨリ子さんという方の紹介をします。今から25年くらい前に栃木県益子町の教会で救いに導いた方です。ヨリ子さんは町役場にお勤めしていましたが、癌を患っており再発もしていたのです。ある時、ヨリ子さんは私たちの近所に住む方で同じ自治会でしたので役員として自治会費の集金に来ました、その時に我が家の玄関にある聖書の御言葉を見て、自分は癌なので死んだときにはキリスト教式で葬式をしてほしいと言ってきました。葬儀はしてあげますが聖書を読んでクリスチャンになったらどうですかと勧めました。直に一緒に聖書を学び、今日のみことばを信じて救いを受けました。そうしたらたちまちのうちに生き方が変えられたのです。夜眠れるようになり、表情は明るくなりました、死への恐れが無くなりました。2年間の短い信仰生活でしたが癌の再発により平安の内にイエス様の所に召されていきました。60代前半の短い生涯でしたが希望にあふれた人生に変えられたのです。

私たちへの適用 
救いの方法は何か?
どうしたら人は救われるか。それは私の罪を赦してくださる為にキリストが十字架に掛かって死に、葬られ、三日目によみがえり、今も生きていることを信じることです。信じたら恵みにより罪の赦しと新しい命を受けますので、人生の様々な重荷を下ろすことが出来ますので生きるのが楽になります。是非あなたもこの救いを自分のものとしてください。

結び 
この福音を皆様方の父母、おじいさん、おばあさん、叔父、叔母たちは信じたのです。なんと単純な事かと思うかもしれませんが、聖書には人を救う力があります。この言葉を信じて新しい命と罪の赦しを受けて人生が変えられます。ご家族の方もクリスチャンとは言え様々な弱さをもっていた事でしょう。でもキリストから新しい命を受けて生きたのです。私たちは今日もう一度先輩たちのキリスト信仰の持つ意味を考えて、自分に与えられている命を生き抜きましょう。お祈りします。