完成に向かうこの時代 

2022年12月22日

2017年12月31日
参照聖句:マタイ24:1~8
説教題:完成に向かうこの時代 

4名の方が主の恵みを証してくださり感謝します。主は生きておられますので信仰をもって生きようと願う人に対して導いてくださるお方である事が分かります。続いて聖書から短く考えていきたいと思います。聖書箇所はマタイ24:1~8。宣教題は「完成に向かうこの時代」です。

今日の話を理解するためにまず救いは3つの視点・側面・段階がある事を知る必要があります。
①救い:主イエスは私達を罪から解放して聖霊を住まわしてくださり、新しい命と自由を与えてくださいました。これを救いと言います。一度救いを受けたら変わりません。一時期信仰が弱くなって主から離れていてもイエス様がしっかり受け止めてくださるので安心です。これをクロネコヤマト型信仰と言います。親猫が子猫をくわえて離しません。子猫はくわえられていますので任せて安心なのです。実はこれが聖書の示す信仰の在り方なのです。主なる神はガッチリ私たちを守って離さないのです。ですから主に任せて生きる、あるいは委ねて生きる人は主に喜ばれるのです。
一方聖書の信仰と違う頑張り信仰というものがあります。これは聖書の読み違えから起こります。頑張ってまじめに信仰して神に喜ばれようとする生き方です。真面目な日本人に多いですね。これを猿の親子型信仰と言います。子ザルは親に振り落とされないように親の背中や腹にしがみついていますね。落ちるかもしれません。猿も木から落ちると言いますから。キリスト信仰を頑張り信仰でやると疲れて信仰を途中でやめる人がいます。救いは信仰と恵みによってのみ受けますので、信仰生活も信仰と恵みに生きるのがキリスト信仰の基本であり本質です。これが救い。
②聖化:私たちの日々の信仰生活を通して年ごとに自我が砕かれ、性質がキリストに似ることを聖化と言います。これは私たちの内に住む聖霊によってなされる御業です。姿格好ではなく、内面が主イエスに似てきます。聖書を学び、礼拝者として生き、神を愛し、人を愛する実際生活の中で生み出されるものです。これを別の言葉で工事中の人間といいます。日本では地方に行くと60年前迄でこぼこ道が多くありました。時が経つとでこぼこになり大きなくぼみが出来て水が溜まります。その時道を直す大型工事車両が来て道を平らにしたのです。これと同じように私たちも完成途上の人間で失敗や欠点が多くあります。まさに工事中の成長途上の人間なのですから。これが理解できると周りの人をとやかく批判して裁かないのです。イエスの似る聖化(ホーリネス)です。
③栄化:これはキリストによって私たちがイエスと同じように朽ちない栄光の体に変えられる時の事。救いの完成する時で栄化と言います。栄光の朽ちない体に変えられる事は大きな約束です。いつこうなるかというと、①私たちが自分の生涯を終えてこの地上を離れる瞬間②キリストが空中再臨する時、携挙と言います。これは目に見えません。この様に救いは新生、聖化、栄化と3つの面があります。
今日の聖書箇所マタイ24章はイエスがエルサレムで十字架に掛かる3日前に弟子達に対して話されましたが、内容は世界の終末が近くなった時に何が起こるか話してくださった場面です。大切な個所です。キリストの再臨はいつかわかりませんが近づいている事だけははっきりしています。別の言葉でいうと私たちの体の贖い、栄化が近いという事です。但し何回も言いますがその時期は誰にも分りません。
1:この場面でイエスはオリーブ山に向かう途中にエルサレム神殿を見ています。この神殿はヘロデ大王によって改修工事が行われ50年も工事しています。完成まであと34年かかります。完成までになんと84年かかりました。その神殿のすごさを見て弟子達が近づき、イエスに語り掛けます。なんと見事な神殿でしょう。
2:確かにこの神殿は立派だけど石が積まれたまま残る事がないほどに粉みじんに破壊されます。因みにこのイエスの預言は紀元70年に実現します。ローマの将軍ティトゥスによってエルサレム神殿は完全に破壊されてしまいました。今まだ再建されていませんね。テレビに映るのは嘆きの壁は西側の城壁の一部です。神殿ではありません。でももっと終わりの時代には完成されます。
3:今度はオリーブ山に着いた時、こっそり弟子達がイエスのもとに来て3つの質問をします。
①エルサレム神殿崩壊のしるしは何ですか。
②あなたの(キリストの)再臨のしるしは何ですか。
③世の終わりの前兆は何ですか。誤解されやすいので説明します。世の終わりという言葉を聞くと何かこの世界がなくなってしまうのではないかと不安になる人がいます。また異端宗教はこの辺をついてきて人々に不安を与えてお金を巻き上げます。ここでいう世の終わりとは当時のユダヤ人が2つの時代を常に意識していた事から来ています。世とは彼らが生きていた今いる時代、そしてメシヤ、キリストが来る時代はいつですかと質問しているのです。終わりは完成とか完了するという意味がありますのでメシヤであるあなたが再び来られて、この時代が完成する前兆は何ですかと質問しているのです。これがヘブル的視点で聖書を読むという事です。不安感は持つ事はありません。
イエスの答え
①今日は時間の関係で、この時代の完成の前兆だけにします。
2千年の歴史を通しておこったこと。驚き、不安に思う必要はありません。
4~5:惑わされないように気を付けよ。偽キリストの出現。我こそはキリストなりと宣言して惑わす人が出てくる。この偽キリストは2千年の間ずっと全世界にいました。戦後お隣の韓国では文鮮明という人がいて日本にも悪影響を及ぼしています。今でも韓国では30人が我こそはキリストなりと言って多くの人を惑わしていると聞いています。
6:地域戦争 前兆として全世界で起こっています。終わりがきた訳ではありません。必ず起こる事であり、それ故6節最後でイエスは終わりが来たわけではないと明言しています。
7~8:ここは時代が少し前に進んでいます。産みの苦しみの初め。陣痛という意味です。陣痛は最初の時間は間隔が長いですね。そして子供が生まれる頃になるとだんだんと周期が短くなってきます。この世の終わり、完成に向かっていくのは陣痛にたとえられています。但しこれも始まりにすぎません。では何が起こるか、2つです。民族は民族に、国は国に敵対する、これは当時の用い方でいうと世界戦争を意味する言葉です。世界規模の民族間争いは歴史を振り返ると既に起きています。今から100年前のヨーロッパから1914年に第一次世界大戦が起こりました。そしてこの延長に第二次世界大戦があります。飢饉と地震については全世界的に否定しようがないほど頻繁に起きています。これを直視すると100年近く前からイエスの言う世の終わりは始まったという事になります。陣痛の様にゆっくり始めってくるのです。これがイエスの預言であります。
適用:出はどのように生きるべきか。生き方の質を上げよう
私たちは今この世の完成に向かう中で生きているのです。特別な時代である終末時代を生きているのです。でも怖がり、恐れる必要はありません。むしろ聖書から時代をしっかり見分けて、今自分はどのように生きるべきか、自分の使命は何かを明確にして生きるかどうかが問われているのです。そして救い、聖化、栄化をしっかり確認しながら生き方の質を上げる必要があります。
結び
この1年を締めくくるにあたって私たちは歴史認識をもって一日一日を大切にして歩もうではありませんか。明日は神の国をつくろうという視点で一般の方でもわかる話をします。是非共に集って主を礼拝しましょう。お祈りします。