私達を迎えに来るイエス

2022年12月19日

2022年4月3日
参照聖句:マタイの福音書24:15~22
説教題:再臨するイエス

おはようございます。2021年度が守られ、新しい年度を迎えることが出来て感謝です。
また今日は2022年4月第1回目の礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。ネットを通して礼拝しているあなたもおはようございます。この時間を共有できる恵みを感謝します。近い将来同じところに集まり礼拝する日が来る事を願っています。

さて、今日は前回に続いてこれから起きるキリストの再臨についての話です。来週は嶋本さんの「土のちり棚」納入式に伴い死後の望みについて、4月17日はイースターに因んで復活について。そして24日からパウロの獄中書簡であるピリピ人への手紙、エペソ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙を学んでまいります。ご一緒に学んでまいりましょう。

前回に続いて資料をご覧ください。聖書に基づいてこれからの世界の大きな流れをまとめました。聖書によれば地球、人間は偶然に進化して出来たのではなく、創造主なる神によって目的を持ち創られた存在で有ることが示されています。そして世界には初めがあり、完成の時があります。
故にこの地球も未来永劫続く訳ではありません。ではどうなるか?
聖書によれば今は終わりの時代です。これは100年以上前の第一次世界大戦に始まり、世界は今完成に向かって近づいており、完成に向かって生みの苦しみの中にあります。

具体的にこれから世界はどうなるか?まず①キリストが空中まで来てキリスト者を引き上げてくれる携挙と呼ばれる事件が起こります。これは先週やりました。次に②大患難時代、人類に対する神の怒りの7年間が始まります。なぜ大患難時代が7年なのか?

旧約1527頁をお開きください。ダニエル書9章24節に神の選びの民ユダヤ人とエルサレムには特別の期間70週すなわち490年の特別の期間が定められています。ダニエルの時代から御国の到来までの期間70週を一週7年と計算し490年と解釈します。そしてキリストの到来によって69週が過ぎ、空白の期間があります。そしてある時から残りの一週、即ち7年が始まります。27節。この特別な1週7年がやがて来る大患難時代になります。

ではいつから大患難時代が始まるのか?これは反キリストなる人物がイスラエルと契約、又は同盟関係を結び一時的に全世界的な平和が来る時です。ダニエル9:27。やがて彼(反キリスト)がイスラエルを含めた多くの国と契約(同盟関係)を結び最初の3年半は平和な時となります。

しかし、半週の間、生け贄と捧げ物をやめさせる。後半に入ると契約は破棄され反キリストが本性を現します。この時はエルサレム神殿が既に立てられているのが前提です。今は出来ていません。忌まわしい者とは反キリストの偶像、これが神殿に持ち込まれ、荒らす者である反キリストがたちます。そして7年の最後に反キリストは神によって滅ぼされる時が来るのです。

同じことをマタイ24:15節でイエスがダニエル書を引用しています。ここは24:1節以降でイエスが弟子達から質問を受けた答えです。イエスの再臨の時、又は世界が終わるしるしは何かという質問に対するイエスの答え。人類に対する非常に厳しい神の裁きが始まります。
でもキリスト者はこの大患難時代に合わなくて済みます。何故か?キリストの空中再臨があるからです。先週やったところですね。15節に戻ると、ダニエル書の関連で見ると、ここはいつの時でしょうか?そうです。患難時代の中間期3年半が過ぎたところです。

反キリストの偶像が神殿に立てられて、自分こそ神であると宣言し、私を礼拝せよと強要するのです。非常に大事な場面です。だからユダヤ人の読者はよく理解せよとマタイは挿入句を入れています。ここは直接的にはユダヤ人に対して述べているイエスの言葉です。ここを私たちキリスト者に対して言っていると読むと混乱して意味が分からなくなります。

16:ではなぜ山に逃げるのか?この背景は緊急事態が起きている。既に反キリストに付き従う軍隊がメギドの丘(ハルマゲドン)に集結しイスラエルを滅ぼそうとしているからです。因みに山と言えばヨルダン川東の山々でエドムの地、具体的には現在のペトラ方面に逃げよということです。荒らす忌まわしいもの(反キリストと反キリストの偶像)を見たらすぐに逃げよ。特に20節では逃げるのが冬や安息日にならないように祈れと勧めています。冬は雨期で豪雨による洪水発生して危険になる。鉄砲水です。安息日には交通手段がないというのがその理由です。

21:この時、世の始まりから今に至る迄なかったような大きな苦難の時代になるとイエスは教えてくださいました。これが7年の後半に起来ます。反キリストに従う世界の軍勢はメギドの丘ハルマゲドンに集結して西からイスラエルの民をエルサレム目指して滅ぼしにかかっているという状況がある。だからヨルダン川より東の山に逃げよ。この山は険しく人が隠れやすい地域だからです。この苦難の時を聖書では、ひどい苦難、主の日、ヤコブの苦難の日と言います。

22;でもその日数は3年半である意味短い時でもあります。救いに選ばれたユダヤ人の為にも日数は少なくされ、この苦難から逃れたユダヤ人の多くが救われ、やがてキリストの再臨の時に全員すくわれます。民族的な救いが起こるのです。

29:いよいよ苦難の後に天変地異が起こり(読む)、30:人の子(イエス様が自分を言う時に使うメシヤの称号)のしるしが天に現れます。即ち患難時代の最後にイエスが裁き主として、人に見える形でこの世界に戻ってくるのです。天の雲に包まれては神の栄光に包まれてと言うことです。偉大な力と栄光と共にボツラ(今のペトラ)に再臨します。これが世界の完成の時、イエスご自身が語られた言葉です。また再臨の時に世界中の人は悲しみながら迎えるのです。そしてイエスこそ神であり真実と認めざるを得ないのです。
一方待ち望んでいたユダヤ人は最終的にイエスをメシヤと信じて悔改めて全員救われるのです。

再臨のイエスは最終的にオリーブ山に立ちます。そしていよいよ平和な千年王国が始まります。
このキリストの再臨は夢物語や空想話ではありません。聖書が一貫して述べていることですから私たちは信じてキリストの再臨を待ち望んでいるのです。是非聖書の世界観、終末論を確かに自分の事として受け止めて主を見上げて歩んでまいりましょう。
ではどう生きるか。今まで通り、自分の仕事に身を入れ、家庭を大切にし、神を愛し隣人を愛する普通の生き方をすることです。

それでは聖餐式に移ります。お祈りしましょう。