ライブ配信をご覧の皆様へ(お詫び)

ライブ配信をご覧の皆様へ
4月21日本庄キリスト教会の礼拝ライブ配信につきまして、音声に不具合があり聴き取れない状況が続きました事をお詫びいたします。
早急に原因を調べ再発防止に努めます。
尚引き続きご利用いただきますよう宜しくお願い申し上げます。
🔻如何に当日の説教内容を掲載いたします。ご一読いただければ幸いです。

聖書箇所:使徒6章1~6節他

説教題:第3次能登半島被災地支援報告

おはようございます。新しい週を迎え、主イエスの再臨が1週間近づいたことを感謝します。またライブ配信を通して礼拝参加している兄弟姉妹や病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたか?ネット越しでは有りますが共に主に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。今日は礼拝後に川島望君の祝福式を執り行いますので皆様と共にお祝いしましょう。

さて、先週私は風間哲也牧師と共に3泊4日、3回目の能登半島被災地支援に行ってまいりました。風間牧師が運転して下さり往復1200キロの充実した旅でした。皆様の祈りに支えられ感謝します。実際に支援したのは火曜日と水曜日の2日間でしたが支援内容を報告します。

まず、月曜日に風間牧師が栃木県野木町から、2時間かけて本庄迄来てくれたのが午後零時半です。荷物詰込みと休憩後1時過ぎに出発し金沢のホテルに着いたのは夜の7時です。

翌日火曜日朝7時半にホテルを出発し、志賀町にある双美さんの親戚を訪ねて用事を済ませました。その後、能登半島を東西に横断し半島最北部の珠洲市に行きました。ここは最も震源地に近い町で、津波災害がありました。今も水道水が出ない家が多く市民の皆さんは大変苦労しています。この町には「海浜あみだ湯」という海が見える銭湯があり市民の憩いの場となっております。この銭湯はお客さんに支援物資を配布しています。私達はここに米や水、パックご飯、チョコレート、マスク等を届けました。交流するうちにここの責任者は何と栃木市出身、奥さんは埼玉県蕨出身と言う事で導きを感じました。去年移住したそうです。今後も繋がれるので感謝です。

またこの町には唯一のキリスト教会、単立の珠洲クリスチャンセンターがありますが訪ねた時不在でした。でも訪問により珠洲市の現状を知ることが出来ましたので大きな成果です。

3日目は東京の「NPO法人LOVE EAST」の働きに加わり志賀町でがれき処理をしました。1軒目は広い敷地のブロック塀撤去です。総勢20人で1日半かけてきれいになりました。2軒目は大きな石2個とブロック塀の撤去。15人1時間で完了しました。3軒目は市街地の家で大谷石の塀を撤去しました。大谷石の撤去作業はそれほど難しいものではありませんでした。ここも1時間で完了。その後、志賀町の社会福祉協議会に立ち寄って高速道路が無料になるためのボランティア証明書にサインをしてもらいました。夜金沢のホテルに戻り、翌日、朝8時に出発し午後2時半に本庄に着きました。風間先生はさらに2時間かけて野木町に帰りました。

※尚報告は一般社団法人ライフネットいかっこと教会ホームページにアップしています。

以上が報告ですが、今能登半島には日本中からクリスチャンが集まり奉仕しています。これから奉仕者が増えることを願っています。あるクリスチャンたちは大きな災害があると助けに行きますが、このような行為は聖書から見てどのような意味と根拠があるのでしょうか。

何故こんな事を申し上げるかというと、被災地支援に対して反対する教会や個人がいるからです。私は東日本大震災の時に何回も東北に行きました。でも教会には反対意見が多くありました。牧師の務めはみことばの宣教が最優先で有り、自分の教会を第一にすべきだ。だから牧師が被災地支援をするのはとんでもない。また牧師の健康が心配なので被災地に行くのは反対というもっともらしい言い方があります。でもこれは全く偽りの発言です。私の体が心配なら守られるように祈ってください。また被災地支援を牧師がすべき事ではないのなら、初代教会の働きはどのように説明するのですかと言う事になります。結局、私は有給休暇を使う形で被災地に行きました

そこで今日皆さんと考えたいのは、聖書には災害が起きた時、又、困っている人がいる時に教会はどのような行動をとったのか調べて、自分たちの生き方を確かなものにしたいと思います。

使徒の働き6:1~6(新約243頁)ここは初代教会が生活困難な状態にある兄弟姉妹の為に毎日食事を提供していたことが書かれています。その時、より困っている人たちに支援が行き渡らなかった為に苦情が出ました。12使徒では対応しきれないので、食卓に仕える等の具体的な働きをする信仰と聖霊に満たされた人々が選ばれ奉仕にあたりました。これが教会執事の原型ですね。現在、多くの教会では責任役員と呼ばれていますが、ここに出てくる人々と働きが一部重なります。ではもう少し詳しく見てまいりましょう。

1:当時エルサレムの人々は貧しかったので、キリスト教会ではイエスのように貧しい人を助けていました。旧約聖書時代から続く愛のわざです。彼らがしていた具体的な奉仕は食事の提供でした。※日本でも最近各地に子ども食堂が出来て困窮世帯を助ける動きがありますが、初代キリスト教会では貧しい人への支援として毎日食事の支援をしていました。食べるのに困っている人がいたら食事の提供をするのは当然の事なのです。この思いを私達も受け継いでいきたいですね。

ところが始めると問題発生します。ヘブル語を使うユダヤ人とギリシャ語を使うユダヤ人の間で配給格差が生じたのです。ここではギリシャ語を使うユダヤ人がヘブル語を使うユダヤ人よりも不利な扱いを受けた事による苦情です。でも今日は生活困窮者に毎日の食事を提供したことに焦点を当てます。そして、これこそキリスト教会の健全な姿だと言う事を確認し、私達も常に隣人の不足に対して関心を持つ生き方を目指したい。続いて関連記事を見てまいりましょう。

②ガラテヤ2:10(新約376頁)貧しいものへ手を差し伸べることは教会の使命の一つです。ペテロが割礼のある者(ユダヤ人)への福音をゆだねられ、パウロが割礼のない異邦人への宣教をゆだねられているのをペテロは認めた。但し貧しい人(ユダヤ人は信仰的迫害と飢饉の中にあった)に心を留めてくださいと釘をさされたが、パウロの答えはそのことなら私は大いに務めている。キリスト教会が貧しい人や困っている人を助けるのは教会使命の大前提との認識があった。

③使徒11:27~30(新約257頁)エルサレムの人々は常に厳しい財政状況にありました。

大飢饉が起こって生活が苦しいときもありました。特にクラウディウス帝が治めていた時代(彼は紀元41年~54年の第四代皇帝)シリヤのアンティオケにいたパウロ達はそれぞれの力に応じて献金を集め救援物資を送ることを決めた。これがキリストの体として教会のわざです。

④ローマ15:25~26(新約323頁)パウロがギリシャ地方の教会の人々(マケドニヤとアカイヤ地方)から献金を預かりエルサレムの貧しい聖徒たちを助ける為、エルサレムに向かうとローマ教会の人々に語っています。こうしてまずはキリスト者を助け、次はその輪をさらに広げていく事が大切なのです。

結び

福音派の多くの教会は困っている人を助ける事については無頓着でした。口ばかり達者で教えられていないからどうしてよいかわからないのです。でも初代教会は普通に助けました。今こそ私達は愛のわざを広げていく必要があります。キリスト教会こそが率先して行動すべきなのです。