「わたしと共にパラダイスにいます」(イースター礼拝)

2024年3月31日
聖書箇所:ルカの福音書23章32~43節
説教題:「わたしと共にパラダイスにいます」(イースター礼拝)

おはようございます。2024年3月31日を迎え、また1週間主イエスの再臨が近づいたことを感謝します。そして今日は主イエスの復活をお祝いするイースターであることを覚え感謝します。またライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹の皆様、病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたか? あなたと一緒にイースターをお迎えできる恵みを感謝します。

さてイエスの生き方、特に隣人愛の生き方から学ぶシリーズは最終回(6回)になります。主イエスは自ら十字架の死に向かい進まれましたが、十字架上で6時間も苦み続けましたが御業を全うして、最後は「完了した」「わが霊を御手に委ねます」と言って息を引き取りました。

今日は主にルカの福音書23章32節~43節を通して、イエスが十字架上の苦しみの中で語られた7つの言葉の中から2つと復活の事実から考えてみたいと思います。

32:イエスと2人の犯罪人(極悪人)が、死刑(十字架に付けられる)となるために朝早く悲しみの道(ドロロゥサ)を通っていった。

33:朝9時前にどくろと呼ばれる場所に着いた。この地は死刑場なので「どくろ」と呼ばれていた。どくろはアラム語でゴルゴタと言い、ラテン語でカルバリーと言います。この場所で朝9時ローマ兵がイエスを真ん中、2人を左右に十字架に付けました。イエスは手と足にくぎを打たれ、いばらの冠をかぶせられ、ローマ兵によって鞭打たれ、ふらふら状態でした。この苦しみの状態が地上で命が尽きる午後3時まで続き、実に6時間にわたって苦しみ続けました。

34:多くの人に嘲られ、罵られる中、ローマ兵がイエスの着物(上着と下着)を分けるために、くじを引いていた。当時衣類は貴重品なので彼らは売ってお金にするのです。イエスは下着もはぎとられ十字架に付けられたのです。恥の極みですね。そんな中で主イエスは、自分をののしり、あざける人たちに対し父なる神へのとりなしの祈りをされました。

「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかがわかっていないのです。」普通は「彼らを決して赦さないでください」と言いますが、イエスの場合はその逆です。
これが十字架上の7つの言葉の中で第一声ですね。とりなしの祈りをささげているのです。
かつて、イエスはあなたの敵を愛せよ、7回を70倍するまで赦しなさいと語りましたが、
ここではその実践をしているのです。無制限に赦すと言う事です。この様にイエスは言葉だけではなく、ご自身が語られた事を実行した神の独り子であります。キリストの愛によってザアカイが悔い改めて救いを受け新しい人生を生きたように、主イエスは無限の愛をもって人を愛するお方なので、人が罪を悔い改め、主に信頼するならご自身のところに来るものを無限に赦すお方なのです。
39:イエスと一緒に十字架に付けられていた二人とも最初はイエスをののしっていました。そして、39節:犯罪人の一人が「お前は救い主なのだろう、であるなら、自分と俺たちを救え」と言うのです。ところが時間が経過する中で片方の極悪人の心に変化が生じました。(聖霊の働きによるものです。40~42節:「お前は神をも恐れないのか、お前も同じ刑罰を受けているではないか。」「俺たちは自分のしたことの報いを受けているから当たり前だ。だがこの方は悪いことは何もしていない。」彼は心が神に向き、聖霊の働きによって己の罪を悔い改めているのです。

そしてイエスを神の子、メシヤとして正しく評価し認めているのです。彼は丁寧にイエスに向きあい「イエス様、あなたが御国に入るときには、私を思い出してください。」彼は何も良いことはしていませんが、この時にイエスの救いを受けたのです。私を思い出してください。一歩踏み出した彼の信仰告白に対しイエスは答えられたのです。

43:イエスの2つ目のことば。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。」苦しみの中にあったイエスは声を振り絞って、イエスを信じた人に約束しました。まことに、真実、本当の事を言うよ。今悔い改めたあなた、あなたは今日、死ぬけど、共に私と同じところパラダイス(神の臨在の場所で、罪が入る前のエデンの園のような楽園という意味)に行くよ。そうです。イエスをメシヤ(救い主)と信じた人は常に神の臨在がともにあります。だから安心なのです。
 
神の臨在の場所であるパラダイスは第三の天とも言います。Ⅱコリント12:1~5(新約370頁)この個所は使徒パウロ自身の体験です。2:第三の天(神の臨在の場所)に引き上げられた。4:パラダイスに引き上げられた。2つとも同じ場所で天の御国又は天国の事です。

ルカに戻りまして、46:十字架上の最後のことば(7番目)「父よ、わたしの霊をあなたの御手に委ねます。」こう言って、イエスは息を引き取られた。イエスはこの後どうなったのか。

・Ⅰペテロ3:18~19(新約469頁)死後キリストは捕らわれている霊たちのところに行って宣言された。この個所の解釈は難しいですが、今のところ私の立場はノアの時代に堕落した天使どもが、好色にふけり、人の妻をめとる罪を犯したために暗闇の下(よみ)に閉じ込められていたが、イエスが捕らわれの霊たちのところに行って勝利の宣言をしたと解釈しています。

その後イエスは週の初めの日、日曜日の朝までに栄光の体をもって復活された。
ルカ24:1~6(新約172頁)「ここにはおられません。よみがえられたのです。」後でわかることですが、これはイエスの霊がよみがえったのではなく、栄光の体をもってよみがえった事です。この栄光の復活のイエスと女性の弟子や、使徒たち、500人以上の弟子達、そして使徒パウロも出会いました。こうしてイエスの復活に出会った人々はイエスの内にこそ命があり、真理があり、道があることを確信したのです。

結び
やがてこの福音は日本にも伝わります。今から475年前の戦国時代に、そして165年前江戸時代幕末に2回にわたってキリストの福音が伝わってきました。宣教師のスピリット、それはキリストが栄光の体をもって確かに復活したという確信です。そして私達の本庄キリスト教会も今から70年前にコーウイン宣教師を通して福音が伝えられ今に至っております。実にキリストを信頼する者は「わたしと共にパラダイスにいます」その言葉通りです。
もう一度イースターを通してキリストの復活の事実について考え、自分たちの生き方を振り返ってみましょう。そしてキリストへの信仰・信頼を確かなものとしてまいりましょう。