【最新情報10件】左から右へスライド

わたしのこころだ。きよくなれ。

2024年3月17日
聖書箇所:マルコの福音書1章29~39節
説教題:飛び歩くイエス

おはようございます。2024年3月17日を迎え、1週間主イエスの再臨が近づいたことを感謝します。またライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹の皆様、病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたか? 今朝も共に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。先週は召天者合同記念礼拝を通して主にある先輩の兄弟姉妹たちの生き方、彼らが確信していた信仰を分かち合い、また天の御国で再会の希望を確認いたしました。

さて今日はイエスの生き方、特に行動派イエスの生き方から4回目になります。このシリーズは3月31日のイースターまで続けます。

29:場所はガリラヤ湖北方カペナウムの町での出来事です。イエスは安息日(土曜日)に会堂(シナゴーク)に入って教えておられた。律法学者達のように○○先生がこう言っておられたという言い方ではなく、神の権威をもって人々に真理を語り教えていました。ここが違いですね。そして、安息日礼拝が終わるとすぐにシモン・ペテロとアンデレの家に移動します。ペテロの家が会堂の近くにあったことがわかります。ヤコブとヨハネも一緒でした。

30:ペテロの家には姑がいた。ペテロはこの時既に結婚し、妻のお母さんのお世話していたのです。彼女は長い間、熱病で床に伏していました。健康上の理由で療養していたのかもしれません。周りの人々はイエスに期待して即彼女が病の中にあることを知らせた。

31:直ぐにイエスはそばに寄り手を取って起こされた(手を触れた)。すると熱が引いた。
※イエスは安息日に何もしないのではなく、正しい安息日の過ごし方を理解していましたから、じっと動かないのではなく、すぐに行動して彼女の熱病を癒されたのです。
癒された彼女はすぐに起き上がり人々をもてなした。ここからイエスの癒しが完全、完璧なものであることがわかります。※私達も困っている人が身近にいたら、すぐに訪ねて共に祈り、ともに具体的な方法をとって助けることが出来れば幸いです。

32:夕方になり日が沈むと(日付が変わる)、安息日が終わって、人々が自由に行動できる日が来たという事です。病人や悪霊に付かれた人がイエスのもとに連れてこられた。勿論癒しを求めて「悪霊に付かれた人」とありますが文字通り悪霊の働きによって苦しめられている人の事です。

33:ペテロの家に町中(カペナウム)の人が集まってきたとありますから、周辺はごった返していたと思われます。
34:イエスは様々な病気の人を癒し、悪霊に付かれた人を癒した。「悪霊よ,出ていけ」という言葉をかけて、その人を苦しめている悪霊どもを追い出します。イエスの言葉に権威があるので悪霊はたちまち、その人から出ていきます。もし、私達が悪霊追い出しする必要に迫られた場合は「イエスの名によって命じる、悪霊よ、この人から出ていけ」と悪霊に命じます。但し、これは多くの訓練と祈りを必要とします。この場面で悪霊どもはイエスが神の子、救い主であることを知っていたのでたちどころにその人から出ていきました。こうして癒しがなされました。
※イエスの行動、安息日に礼拝をささげ、後にペテロの姑を癒し、安息日が夕方明けると多くの人を癒し、悪霊に苦しむ人を助けています。イエスは常に人の救いの為に行動しているのです。

35~37:さて、日が改まり、朝早く起きて静かに祈る。行動する前に祈る。※これ大切ですね。しかも祈りの内容は自分の願いを優先させる祈りではなく、神の御心がなるようにという祈りです。これが力の源ですね。そこへシモン達が、「皆があなたを探しています」何故か?人々が、イエスの事を魔術師や悪霊払い師のように考えて求めていたからからです。

38:でもそうなったら、イエスの目指す方向とは違います。イエスは真の救い主として権威をもって神の言葉を語り、その印、根拠としての奇跡の御業を行いました。それなのに群衆は神の言葉より、癒しだけを求めるようになったらイエスのお考えとは逆方向へ行ってしまいます。

これを避けるためにイエスは別の行動をとります。それが38節の「さあ近くにある別の町や村へ行こう。そこでも福音を伝えよう。わたしは、そのために出てきたのだから」行動の切り替えですね。イエスの癒しの御業は神の言葉とセットで常に行われているものですから。

※私たちの教会でも同じような事が言えます。キリスト教会は常に神の言葉である聖書を、文脈を大切にしながら学び、語り、その上で神のわざとして癒しや良いわざがなされていくものです。神のことばだけしか語られず、愛のわざがなければ、それは死んだ教会です。逆に良いわざだけ一生懸命で神のことばが語られなければ真のキリスト教会とは言えません。キリスト教会は神のことばの解き明かしも愛のわざ(行動)も両方が必要なのです。その為に私は自分にできることを、できる範囲で良いわざと聖書を丁寧に学ぼうと皆様にお勧めしているのです。

39:ここは結論の部分です。イエスはガリラヤ全域にわたり、会堂で宣べ伝え、悪霊を追い出し、会堂で安息日ごとにみことばが解き明かされたことにより、イエスのことばが神から来ていることを示すため癒しがなされる。この両方がなされていくのがキリスト教会の真の姿であります。※私達にも神のことばの宣教と具体的な愛のわざをもってキリストを伝える使命を神から任されています。
結び
以上ですが、イエスの生き方、行動力を見てあなたはどのように応答しますか。イエスは、安息日(今でいうと土曜日)に聖書のみことば解き明かして教え、礼拝をささげ、その後、ペテロの姑の熱病の為に手を触れ、たちどころに癒しています。夕方(日没に)になって安息日が終わると、地域の病人を癒し、悪霊に苦しむ人を助け、翌日の朝早く神に祈りをささげ、神と交わり、更に人々が自分の事を誤解する危険性があると、すぐに別のところに移動して、神のことばを語り、悪霊を追い出しています。これをガリラヤ地方全域にわたって行動・実践しています。このようにイエスは大工の息子として体も鍛えておりましたので実に広範囲にわたって行動しているのです。会堂で人々を待っていたわけではありません。

この様にイエスは常に人々のところに出かけていき、語り合い、具体的な癒しの行動を通して隣人への愛を示し、隣人の為に祈られたのです。私達はイエスのように完璧にできません。
でもイエスの生き方(実践)隣人への愛の姿勢からそのスピリットを受け継ぎ、どういう形になるかは別にして、祈りと行動するキリスト者でありたいと願っています。主はあなたにも自分に従って欲しいと願っているのです。主の思いにあなたはどのように応えていきますか?