わたしのこころだ。きよくなれ。

2024年3月3日
聖書箇所:マタイの福音書15章29~39節
説教題:罪人の必要を満たすイエス

おはようございます。2024年3月3日を迎え、一週間主イエスの再臨が近づいたことを感謝します。またライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹の皆様、おはようございます。病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたか? 貴方と共に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。今日のメッセージの前半は第2次能登半島被災地支援報告、後半はマタイ15章から話します。
先週25日午後~28日迄3泊4日で能登半島被災地支援に行ってまいりました。寄付と祈りのご支援を感謝します。今回も風間哲也牧師が軽トラックを提供と運転を担当してくださいました。支援者から預かったものを持参し、被災地現場で働いている3団体に寄付金12万円とお米30キロ分(5袋)も渡すことが出来ました。今回はより被害の多い地域にもうかがう事が出来ましたので実り多い訪問となりました。以下簡単に報告します。

まず2日目朝は金沢市のホテルから岩田さんの従妹が住んでいる志賀町(しかまち)へ向かいました。志賀原発に近い地域で、震度7の揺れでした。町に入って初めに目に付いたのは多くの家が倒壊し車が下敷きになっている事です。(正月だから家にいたのでしょう)。全壊した家は全部そのままの状態です。岩田さんから頼まれたものを渡し、お米をプレゼントし、短い時間でしたが事情を話すととても喜んでくださり、交流の時間も持てたので行った甲斐がありました。

その後、輪島市の輪島聖書教会を尋ねましたが不在の為、会えなかったので、朝市火災現場やビル倒壊現場を見学しました。あまりの大きな被害に声も出ませんでした。今も水道水が出ない厳しい状況にあります。また志賀町から輪島市迄の、「のと里山海道」は至るところで道路が崩落していて片道通行のみでした。帰りは能登半島東部の一般道(海沿い)を通ってNPO法人LOVE EASTの拠点がある羽咋市に戻って支援物資を届けました。

3日目は金沢市から、「のと里山海道」を北上し輪島市の河原田公民館仮設住宅で沖縄そばの炊き出し支援をしました。ここは沖縄の仲間牧師や宣教師が中心に10名の奉仕者で100食を仮設住宅の皆様に振る舞い大変喜ばれました。午後、志賀町に戻り、LOVE EASTを中心にした各チームからなる男女20名とブロック塀や瓦屋根の倒壊現場(2軒)の片付けをしました。訓練された若いクリスチャンたちが工具を使いながら短時間で見事にきれいに処理していました。キリストの弟子達とはこのようなものだと実感。これで3日目のミッション終了です。

最終日は朝8時に内灘聖書教会で中橋スティーブンさん(石巻から長期出張)と待ち合わせ共に祈りの時を持ち励まし合いました。その後、一気に本庄目指し午後3時半に着きました。風間先生はさらに二時間運転して栃木県の自宅に向かいます。尚往復1200キロの運転は風間師がして下さり感謝です。以上第2次訪問の様子は私のFBを経由して本庄キリスト教会と一般社団法人ライフネットいかっこのホームページに掲載していますので是非ご覧ください。

さて後半。過去3回にわたり福音書からイエスの生き方を学んでおりますが、今日は4回目でマタイ15:29~39を通し「特にイエスの行動力」を考えます。文脈(コンテキスト)を確認しましょう。イエスは外国に居ました(マタイ15:21)。ツロとシドンの地方(異邦人の地)に退かれた。地中海沿岸の地でユダヤ人からすれば外国の町ですね。イエスの宣教拠点カペナウムから直線距離で50kmぐらいでしょうか。ここでは悪霊に付かれた娘を癒しています。

29:「そこを去って」とは、当然ツロとシドン地方を去ってという事になります。そして、今いるところはガリラヤのほとり。でもここはカペナウムではなく湖の東側にあるデカポリス地方(異邦人の地)のガリラヤ湖です(マルコ7:31)。という事は移動距離が更に数十キロ歩いていることになります。座っておられた。山の名前は書かれていないのでわかりません。

※この個所で特に教えられる事はイエスの行動力です。西の外国から東の外国を歩いて働きをしています。イエスは大工の子として、子どものころから肉体労働をしていたお方です。体を鍛えています。イエスの伝道スタイルはシナゴークで人が来るのを待っているのではなく、積極的に自ら出向いて行動しているのです。今でいうところの体育系なのです。そして弱さを持っている人を愛し、罪人の友となって生きたお方です。私は今迄このような視点で人間イエスを考えてきませんでしたが改めてイエス様は行動派なのだと言う事を覚えさせられます。イエスが今の日本にいたら、真っ先に能登半島に駆けつけて被災地支援をしていると思います。

30~31:山にイエスのうわさを聞きつけ多くの異邦人たちが集まってきました。大勢の群衆という言い方は珍しいですね。更に自分の家族や仲間の内、病気で苦しんでいる人をイエスのもとに連れてきました。(読む)イエスはすべての人を即座に癒したのです。「イスラエルの神をあがめた」。彼らは偶像崇拝から救い主イエスを通して神の力を体験した。素晴らしい証の業です。

※能登半島地震被災地では今、日本全国から若い人も、年配者も大勢のキリスト者が支援に駆けつけています。あるチームは炊き出しやガレキ処理をしています。先日はお寺のブロック塀が倒れたので助けてほしいとの依頼が社会福祉協議会経由で入り、LOVEEASTのチーム20人が一時間ぐらいで全部処理したので住職と奥様は大喜びでした。最後は記念写真を撮ってお別れしましたが、この様にクリスチャンたちが能登半島被災地で体を張って動いています。大工出身のイエス様のようです。このような証により地域住民の信頼が大きくなっています。結果として人があがめられるのではなく、イスラエルの神があがめられるのです。

32~39:次は男4千人の給食。ここも異邦人の地でなされたイエスの御業です。群衆は食べ物がなく3日間も空腹のままでした。イエスはかわいそうに思っただけでなく彼らのおなかを満たそうとされたのです。そして7つのパンとわずかな魚を通して4千人を養ったのです。イエスがパンと魚を取り、感謝の祈りをして人々に分けると人の手から手へとパンは増えていきました。

ポイントは37節「彼らは食べて満腹した」。霊的に満たされたのではなく、本当に食べて満腹したのです。こうしてイエスは困っている人に対して、ただ「お祈りしています」と言うだけでなく、人の必要を満たすお方としての行動力があったと言う事です。
※ここから何を学ぶか。私達もイエスのように必要なものを、必要なときに、必要な分だけ分け与えられるような人になりたい。そして食べる事を通してイエスと一つになる事も知る。
結び
今日の聖書箇所を通してあなたはどんなことをお感じになりましたか?今迄は神であるイエスの視点からの話が多かったと思います。今日は行動派、体育会系、人間イエスの視点から話をしました。ぜひ私たちも人の必要にこたえられるよう行動的キリスト者でありたいと願っています。