主イエスの生き方から学ぼう

2024年2月11日
聖書箇所:マタイ13章53~58節・4章23~25節
説教題:主イエスの生き方から学ぼう  

おはようございます。2024年2月11日を迎えました。一週間主イエスの再臨が近づいたことを感謝します。今朝もライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹の皆様、おはようございます。また病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたか?

さて、先週でパウロの獄中書簡ピレモンへの手紙を学び終えました。次は旧約聖書のゼカリヤ書からメッセージしたいと考えていましたが1月1日元旦礼拝が終わった後の能登半島地震でその予定が崩れてしまいました。そして、日本の非常事態の中でキリスト者としてどう生きればよいかを考えた結果、しばらくはイエスの生き方から自分の信仰生活を考え直そうと思ったのです。

また、幸いなことに私は地域貢献を目指した「ライフネットいかっこ」という一般社団法人を運営しています。災害のたびに支援活動を続けてまいりました。今回の地震は本庄市でも大きな揺れを体験し被災地を身近に感じています。そんな訳で積極的支援にかかわる事に決めました。

次にこの非常時にイエス様ならどうするだろうか考えました。またパウロならどうしただろうか?初代教会ならどうするだろうか?パウロや初代教会の行動については使徒の働きやパウロ書簡に、困窮している同胞への支援の様子が出てきますが、福音書には詳しい記述がありません。でもイエス様が取る行動はだいたい予測はつきますね。(イエスの生い立ちから3年間の公生涯の働きを参考にすれば)そんな訳で今日はイエスのその生い立ちから公生涯の生き方についてほんの一部ですが考えてみたいと思います。

それではまず誕生から。誕生はベツレヘムの家畜小屋です。多分、洞窟の中であろうと思われます。そこには家畜がいて、飼い葉おけがベッド代わりです(ルカ2:1~7)。神の子でありながら既に人間社会の底辺をこの時から経験しています。その後ヘロデ大王に命を狙われ、エジプトに避難します。やがてヘロデが死ぬと、父母とともにイスラエルに戻りますが、ヘロデの息子アケラオがユダヤを治めていると聞いて恐れ、ガリラヤの辺境の地ナザレで貧しい人や虐げられている人と共に生活します(マタイ2:13~23)。

イエス12歳の時、過ぎ越しの祭りにエルサレムまで来た時、イエスは宮でラビ(ユダヤ教の教師たち)の真ん中に座って話をしたり、質問をしたりしていた。聞いていた人たちはイエスの知恵と答えに驚いたという記述があります。(ルカ2:41~52 新約112頁)この時既に神の子としての自覚がはっきりしていたと思われます。そしてこの頃まだ父親のヨセフは健在です。

次に13歳から30歳までの18年間のイエスの生き方を考えてみましょう。ここは聖書に書いていないので私の想像も入りますのでご承知おきください。

まずユダヤの男子は13歳(日本の中学一年生)でバル・ミツバの儀式を行い宗教的・社会的に大人として認められます。その準備として12歳の時(小学6年生)エルサレムで過ぎ越しの祭りをお祝いします。仕事は家業を継いで既に大工見習をしていたと思われます。当時、この地方の大工は家を造るのではなく主に生活用品・道具をつくる職人という感じです。少し話は飛びますが、イエスが大工なのはなぜか?一つの考え方として推論ですがキリストの再臨後に神が人とともに住む家を造る(千年王国)の時に役立てるためという解釈があります。このように大工で有った事は偶然ではなくご自身の未来と関係があるとの解釈も参考になりました。

父ヨセフが亡くなった後、一家の主人として家族を食べさせる為よく働いたことと思います。家での大工仕事の他、お客さんを訪ねて出張し、納品もしたことでしょう。社会的立場が低い地域にあって大勢の人と交流しました。お客さんはガリラヤ湖の漁師たち、羊飼いたち、農家の人や、商売人でした。出張途中の道端には病人や物乞いもいます。そんな中でイエスは30歳まで、一家の大黒柱として働き、収入を得、母親始め、少なくても兄弟6人の生活の面倒を見ながら大工として人々の生活に役立つ家具を作っていたのです。
このようにイエスは社会の底辺に生きる人との交流を通し、暮らしの厳しさもよく知っていたと思います。だからイエスの語る言葉には説得力と力があるのです。
※イエスは会堂で人を教えるだけでなく、常に外に出て人々と交流し、世の中の現実から目をそらさず、行いや行動を常に大切にしていたのです。
私達も常に色々な階層の方との交流を通して世の中を知る事からキリスト者の証の生活が始まるという事です。

いよいよ30歳になり、公生涯が始まりますが、ナザレの人たちの評判は良いものではありませんでした。郷里の人々から拒否されています。マタイ13:53~58(新約聖書28頁)をお開きください。彼は郷里のシナゴークと呼ばれる会堂で教え始めますが、村の人々はイエスに躓きます。それが大工の息子ではないか。母マリヤ、弟4人、妹が複数人家族。父親のヨセフは亡くなっている。それなのに、この人はこの知恵と奇跡をおこなう力をどこから手に入れたのかと言ってイエスに躓いたのです。でもイエス様にとってこのような事は織り込み済です。

次に公生涯をどう生きたか見てまいりましょう。マタイ4:23~25(新約6頁).ここは公生涯の初めの頃です。
23:ガリラヤ全域をめぐって。ガリラヤ地方はエルサレムから北にある辺境の地であります。
いわゆる田舎者と蔑まれた地方でした。イエスはエルサレムで有名になった後全国デビューしようと考えていません。社会的に虐げられている人々が住む地域を大切にしました。何故ならそこで人生の大半を生活し、その地域の人々の苦しみや悲しみをよくご存じだったからです。

何をしたか?①会堂で教えた。シナゴ-クと呼ばれるところで、安息日ごとに聖書が読まれ礼拝が捧げられました。その時にイエスは律法学者が語るような形式的な教えではなく、人の心に響くような真理を語ったのです。②御国の福音を宣べ伝えた。旧約聖書時代に預言者を通して約束されたメシヤ的王国(千年王国)の希望を伝えました。③あらゆる病、煩いを癒された。これはメシヤとしてのしるしのわざです。イエスの評判はガリラヤより北のシリヤ全域にまで広まった。このようにイエスは常に外に出て行き、病に苦しむ人、痛みに苦しむ人を癒したのです。また悪霊につかれた人の悪霊を追い出し、てんかんや、中風の人を癒したのです。
結び
イエスは常に病に苦しむ人を尋ね、手を置いて癒し、悪霊を追い出し、人々とともに生きたのです。何かあるとすぐに駆け付け人を助けたのです。実にイエスは行動するお方でした。このイエスの生き方からあなたは何を学び、どのように生きますか。今問いかけられています。