ピレモンへの手紙(4)

2024年2月4日

聖書箇所:ピレモン13~16節
宣教題:パウロの懇願

おはようございます。2024年2月4日を迎えました。今日の礼拝は聖餐式を通して主イエスの十字架の御業を覚えたいと思います。又一週間主イエスの再臨が近づいたことを感謝します。そしてライブ配信を通して礼拝に参加している兄弟姉妹、病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたか? コロナ禍の中でライブ配信も出来るようになり感謝しています。コロナ禍で追い込まれた結果ですが、ここまで来られない方にとっては大きな励ましになると思います。

さて、今日はピレモンへの手紙17節~25節、いよいよ最後となりました。ピレモン書は短い個人的な手紙ですがパウロのオネシモに対する愛情あふれる言葉から彼の気持ちが伝わり大きな励ましを受けました。又、パウロの行動はイエスと重なるところがあります。いずれにしましても読み進める中で3人が愛と信頼で結ばれているので安心して読める手紙です。今日の箇所は結びの箇所で17~22迄がパウロのお願い、23~25が挨拶の部分です。

17:「ですから」ここはパウロが今までの願いをまとめてピレモンに頼んでいる個所です。ピレモンさんあなたが私(パウロ)を仲間だと思うなら、私を迎えるようにしてオネシモを迎えてください。勿論パウロとピレモンは仲間です。仲間とは愛と信頼でつながっていて(分かち合いが出来る)人間関係の事です。

それと同じようにオネシモを迎えてほしい。あなたや私の仲間として迎えてほしいと願っています。※私達もまたお互い、神の前に罪深い者同士ですが、イエスを受け入れ、またイエスに受け入れられたものとして、相手を受け入れるという仲間の人間関係が神から求められています。

18:損害を与えた(別の言葉でいうと不正を行う、不都合な事)具体的にはオネシモがピレモンの財産を盗んだ逃亡事件です。これは過去に犯した一度限りのオネシモの盗みの罪でしたが、その後、罪を悔い改め、救いを受け大いに変えられ神の前にも人の前にも誠実な人となりました。しかし、社会的にはまだ、ピレモンに対して罪を犯し負債を負っている状況には変わりません。

オネシモは罪をどこかで断ち切らない限り、ずっと続くこれからの人生を堂々と生きることが出来ません。霊的・信仰的には神の前に罪赦されていますが、社会的には彼の犯した罪はずっとついて回るのです。しかし、素晴しい事にその負債(罪)を自分に請求してくださいとパウロは申し入れています。自分にその勘定を支払わせて欲しいとピレモンに頼んでいるのです。オネシモの借金は全部自分が負います。ここにパウロの大きな愛の実践を見ることが出来ます。

パウロとオネシモの関係は、人と神の間に入り行動を起こし、愛を実践した主イエスの姿を見ることが出来ます。私達が自分の力で解決できない事、私たちが心の内に持っている罪の問題が立ちはだかっています。これはどう解決するか。実に神のよって赦される以外方法はありません。

その為、イエスは私とあなたの罪の身代わりとなり、自ら進んで十字架上において私達が神から受ける刑罰を身代わりとして受けられました。そしてはりつけにされても尚、自分を嘲る者達に向かい「父よ、彼らをお赦しください」と祈られたイエスのとりなしと犠牲によって私たちの罪の赦しが完成しました。
実に私達もイエスのとりなしと身代わりの死と復活の御業を信じて罪赦され、新しい人生に踏み出したのです。そしてオネシモもまた、パウロのとりなしによってピレモンから罪を赦してもらったのです。三人の関係をみると、オネシモが(私達)パウロが(イエス・キリスト)そして、ピレモンが(父なる神)というように見ることも出来ます。

19:通常パウロの手紙は口述筆記と言いまして、彼が語ることを書記が書く形が多いのですが、ここではパウロが自分の手で「私が償います」と書いています。それ故パウロ自身のピレモンに対する弁償の意思が明確に述べられています。
後半はパウロとピレモンの関係です。それはピレモンがパウロに対して霊的負債があり、それを返す義務があるけれどもあなたに問いません。「言わない事にします」霊的な負債(借金)とはピレモンがパウロを通して救いに導かれ、成長していったことではないかと思われます。

※しかし、その霊的負債を負っていることを理由にパウロはオネシモの負債を帳消しにしてくださいという取引はしていないのです。私達は自分の立場を用いて圧力をかけ取引するようなことがあるかもしれません。しかし彼はそのような取引をしてはならないと言い、またしないのです。

20:そうです(確かに)ピレモンさん、私は確信している。私は主にあってあなたから益を受けたいのです。強制手段や自分の権威によって状況を変えようとするのではなく、どこまでもピレモンの自発的な思いによって利益を受けたい。そして私を元気づけ安心させてください。使徒パウロの謙虚な態度をここに見ることが出来ます。

※神は私達を強制や誘導することをしません。どこまでも私達当事者の自発的な思いと信仰によって導くのが聖書の神で有ります。その結果、私達が元気付けられ、安心する。これこそ聖書が教え示す真の信仰の姿であることを覚えよう。故に私達も人に信仰を無理強いすること、又、人から無理強いされることはありません。私も皆さんに無理強いする事はありませんのでご安心ください。どこまでも自由意思であり、そこから外れて強制される事ほど嫌なものはありません。

21:パウロの確信。あなたの従順は分かっています。22:宿の用意をしてください。あなたのところに行く事にしています。彼は70歳過ぎても尚キリストにある生き方を考えています。未来の事を考えているパウロ。彼はやがて牢獄から解放され自由の身となりました。そしてこの通りに彼は自由の身となり、また別の働きを考え、実行するようになったのです。
※私達も常に現実を見据えつつ、キリストにあって未来を考え、実践する者でありたい。

23~25:最後の挨拶、25節は祝祷。キリストの恵みを祈り締めくくっています。
クリスチャンは最初から最後までキリストの恵みの中で生き、生かされ、祝福される存在です。
結び
パウロの深い愛情を通して変えられたオネシモ、そしてパウロの懇願を快く受け止めたピレモン、やがてオネシモはコロサイに戻りピレモンに罪を赦され、自由の身となり後に教会指導者として大活躍したと伝えられています。彼は全人生をキリストに捧げ自分の人生を全うしました。
私達も立場は違いますが、キリストに出会い、罪赦され、自由にされたものとして自発的にそれぞれの形で主に仕えてまいりましょう。さて、来週の宣教はいきなり旧約聖書に飛ぶのではなく、イエスの生き方から自分たちの生き方を見直してまいります。どうぞご期待ください。