ピレモンへの手紙(3)

2024年1月28日

聖書箇所:ピレモン13~16節
宣教題:自発的なものとなるため 

おはようございます。2024年1月28日を迎えました。又一週間主の再臨が近づきました。主にある兄弟姉妹たちと礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。またネット配信を通して参加してくださっている兄弟姉妹、病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたか?先週、ある方が「毎週ネット配信で礼拝しています」声をかけてくださいました。大体20名くらいの方がネット配信を見て礼拝しているのでありがたく思っています。

さて、今日は被災地報告とピレモン書の学びを半分ずつにします。先週の21日午後から23日迄、2泊3日で風間先生と能登半島地震の被災地に4駆の軽トラックで皆様に送られながら行ってきました。軽トラは力があり小回りもきき、荷物も沢山運べるのでとてもよかったと思います。次回も軽トラックで行きたいと願っております。是非続けてお祈りいただけると感謝です。

今回の任務は①4団体から預かった寄付金134,933円を能登ヘルプに届ける事、②本庄市民から預かった食品、生活用品を七尾市の拠点倉庫まで運び、仕分け手伝いが出来たこと。
③昼食代支援や、スタッフに支援金も渡すことが出来ました。④一番の成果は七尾市だけですが被災地現場を自分の目で確かめることが出来たことです。

七尾市の拠点倉庫では支援品受付や仕分けをしていたのは宮城県の2つの支援団体から遣わされた皆さんと関西から駆けつけてずっと支援している日本人夫婦、そして石巻市から駆けつけてくださった韓国の宣教師を含めて合計8人でした。既に支援品を届け、炊き出しが始まり、又これから家の片付けを頼まれますが、現在七尾市では水道設備が破損しています。3月末から4月末ぐらいまで修理に時間がかかるようです。3ヶ月水道水が出ないのは厳しいことですね。

しかし4月になれば順次水道が繋がり、仮設住宅も徐々に出来ますので、支援活動は次の段階に入ります。多くの支援物資を提供して、炊き出し、傾聴ボランティア、その他もろもろの支援があります。そして3年~5年過ぎて災害復興住宅の建設入居という形になっていきます。

特に私達は、これから能登半島の地にあるキリスト教会との主にある交わりを大切にしたいと思います。これはキリストのからだ、神の家族としてとても大切です。また落ち着いたら被災地に旅行に行ってお金使う事も大切な支援になりますね。そんなことで是非キリストにあるものとして続けて祈りとともにご支援ください。又そのためにも継続して寄付をお願いいたします。

それでは後半の20分でピレモン書を学びます。前回言い足りなかったことがあります。それは年老いて囚人となっているパウロがオネシモの為に、ピレモンにとりなしする姿は、イエス様が父なる神に「父よ、彼らをお赦しください」と、とりなしの祈りをささげたあの十字架の姿とダブるものがありますね。苦しみの極みの中にあっても自分をののしり、嘲るローマ兵に対し神に祈られたイエスの愛です。パウロも同じようにひたすらオネシモの為にとりなしています。

13:パウロはオネシモを救いに導き、信仰的にも人間的にも成長した彼を手元に置いて働きの手伝いをしてもらいたかったのですが、あえてピレモンの厚意(思いやり、愛)に委ねて手紙を書いて持たせたことはピレモンに対する誠実さの表れです。もう一度言います。パウロの思いはオネシモをとどめておき、自分が獄中にいる間、福音(イエス・キリストの良い知らせのメッセージ)を伝えるため、あなた(ピレモン)に代わって私(パウロ)に仕えてもらおうと思った。

14:しかし、それはできません。オネシモはピレモンのところから逃げ出した逃亡奴隷なので、この問題をクリアしなければオネシモの人生には真の意味での赦しと和解がありません。

それが「あなたの同意なしには何も行いたくない」という言葉になります。あくまでも赦しや和解について、ピレモンの親切(愛の思い)は人に強いられるのではなく自発的なものであるという考え方です。この願いです。※これは同時に信仰生活の基本ですね。第二コリント9:7(新約366頁)ここは献金についてのパウロの勧めですが献金は神の前にいやいやながら出なく、心で決めた通りに喜んで捧げるのです。何故なら献金は主の物を喜んで主に捧げる(お返しする)ものだからです。同じように信仰の基本は強いられることなく、自発的な行為です。

15:オネシモが盗んでピレモンの元を離れたのは良いことではありません。でも神のあわれみによって彼がピレモンのところに戻ってくるための神の導きが今遂に起こったのです。

我らの神はすべての事を働かせて益としてくださるお方です。絶望的な事や人間の力では解決が無理と思われるような事があってもあきらめる必要はありません。神はご自身の方法で最も良いと思われる時に、御心を示して神の栄光を現わすお方です。
ローマ8:28(新約310頁)神はすべての事を働かせて益となしてくださるお方です。

16:聖書の時代には奴隷制度がありましたが、使徒パウロは「ピレモンさん、オネシモを奴隷以上の愛する兄弟として迎え入れてください」と懇願しています。特に「ピレモンさんにとって彼はあなたの僕ですが、主にあっては愛する兄弟としての存在です」と勧めています。

ここで思い出すのはガラテヤ3:28(新約379頁)私達キリスト者はキリストにあって一つからだということです。教会は目に見えませんがキリストの命で一つにつながっています。本庄キリスト教会はもちろんの事、すべてのキリスト教会はキリストの一つからだとして連なっています。プロテスタントもカトリックも真の救いを受けている人はキリストの体なる教会の一員です。ユダヤ人とギリシャ人(異邦人)奴隷と自由人、男と女、でも教会はキリストにあって見えない一つ体です。神の家族としては立場に関係なく皆兄弟姉妹です。

結び
やがてオネシモはピレモンと再会し罪赦され自由の身とされるのです。これはパウロのとりなしによるものです。私達もイエスのとりなしによって罪赦され、救いを受け自由とされました。私たちに示されている聖書の信仰は、強いられることなく、どこまでも自発的なものです。

パウロとオネシモ、ピレモンの関係も自発的な愛と信頼の関係でイエスにつながっていました。故に私達も愛と信頼の関係を持ち、強いられることなく、自発的な形で連なり、キリストが生きたように権力者にもきちんとものを言い、やもめや貧しいものを愛し、友なき者の友となれるように、聖霊の力によって愛に生きられるように力を受けたキリスト者を目指してまいりましょう。