コロサイ人への手紙(21)

2023年12月31日

聖書箇所:コロサイ人への手紙4章12節~18節
宣教題:仲間たちへの挨拶

おはようございます。2023年12月31日を迎えました。年末の忙しい中でも主にある兄弟姉妹たちとともに礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。またネット配信を通して参加してくださっているあなたもおはようございます。一年間の主にある交わりを感謝します。そして病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたでしょうか?今年最後の日に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。尚明日は元旦礼拝を午後2時から予定しています。

さて、12月3日からのアドベント期間中は福音書を通してイエスの誕生について考えました。マタイは「王としてのイエス」マルコは「仕える者(僕として)のイエス」、ルカは「完全な人としてのイエス」、そして使徒ヨハネは「神としてのイエス(創造主)」について考えました。今日は今年最後の礼拝ですが、コロサイ人への手紙も最終回となります。

12:ここは10節から続く挨拶の続きの部分で、3人の仲間に挨拶しています。彼らはいずれも異邦人です。まずはエパフラス。この人の名前は、聞き覚えがありますね。そうです1章7節で登場していました(新約401頁)。エパフラスはコロサイ教会を設立した人物で誰よりも教会を大切に思っていた人です。
でも今現在、彼はパウロと同じように牢につながれており、コロサイに行きたくても行けない状況でした。それ故「あなた方によろしく」とパウロが書いています。彼の凄いところは常にコロサイ教会の兄弟姉妹たちの霊的成長を祈っていた事です。私達は健康や仕事で成功するように祈ります。これも大切な祈りですが、もっと大切なのは。①信者が神の御心を確信する事②人間的にも信仰的にもバランスが取れた信仰者として歩む事。エパフラスはそのような祈りに励んでいた。これは私達も大いに学ぶべき姿勢です。

13:(証言)コロサイ教会の人々に対しての勧め。エパフラスのような働き人を認めなさい。理由はコロサイやラオデキヤ(コロサイの隣町)の人々の為に大変苦労している。祈り続けている。
彼のような忠実な牧会者の働きを通して今の教会があると言う事です。私達は以前働いてくれた牧会者を忘れやすく、今となれば全て当たり前に考えてしまう傾向があります。
例えば、本庄教会では須田善壱先生から丈夫先生迄親子二代にわたり40年以上忠実に奉仕してくださったので、今の私達があるのです。これを忘れてはなりません。機会あるごとに感謝の気持ちを表していく事が重要です。パウロはそんなことを言いたかったのではないかと思います。

14:二人目は愛する医者ルカ。彼はパウロの主治医として、ずっとパウロのそばで健康管理面を担当していました。特にパウロは目の持病があったようなのでルカは重要な存在です。パウロの晩年迄ずっと寄り添っていたのです。彼は医者の働きの他、すぐれた賜物を発揮しルカの福音書、使徒の働きを書いています。私達も彼の書物を通して大いに力を受けているのです。彼は医者として執筆家として主に忠実に従い賜物をいかんなく発揮した人物です。

・三人目はデマス 彼もコロサイの兄弟姉妹たちによろしくと述べています。しかし、この時までパウロの同労者でしたが、パウロの最晩年になると信仰から離れています。(テモテⅡ4:10
新約429頁) 「彼は今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました」理由はよくわかりません。でもこのような事は起こりえることです。でも、パウロの死後、信仰が回復したかもしれませんのでそのことを期待したいと思います。
逆にバルナバのいとこ、マルコの場合は若い頃、任務を放棄してパウロのもとから離れたが、後に信仰が回復してパウロのそばでよく働いたことは前回紹介しました。※ここから学ぶことはいつもイエスの恵みに感謝し、イエスの臨在をいつも体験していることが信仰から離れるのを防ぐことになると思います。

15:「ラオデキヤの兄弟たちに宜しく伝えてください」パウロのいた時代のラオデキヤ教会の人々の信仰は健全だったと思われます。でも40年ぐらい後になると、イエス様から非常に厳しく叱られています。(ヨハネの黙示録3:14~17 新約495頁) 生ぬるい信仰で、熱くも冷たくもないので私は口からあなたを吐き出す。彼らは経済的豊かさを誇り。自分たちの霊的状態が見えなくなってしまったのです。※経済的な豊かさや学問的な高さを誇りとし、弱い立場にある人々に無関心な私達日本の教会への警告でもあります。※勿論すべてではありませんが。

・ニンパと彼女の家の教会の働きが素晴らしいですね。当時はキリスト信仰に対して迫害があり専任の会堂が持てませんでした。それ故、経済的に裕福な人の家で集まって礼拝をささげていたのです。この後250年くらいはキリスト信仰者への迫害が続いて会堂が持てなかったのです。

16:ラオデキヤとコロサイは隣町同士でしたのでパウロの手紙が礼拝ごとに教会で回し読みされました。そしてパウロの手紙そのものは残っていませんが、写本という形で原本と同じように残り、それが1冊の聖書として完成し私達が今読んでいるのです。

17:アルキポはコロサイ教会の指導的な立場にあった人物です。勤めをよく果たすように。ここでは注意(気をつけなさい)とあります。何を注意するか?やはり異端との戦いを意識しての勧めだと思います。当時のコロサイ教会には霊肉二元論のグノーシスという教えが入ってきて教会を混乱させていたからです。※現在でも牧師や役員は異端にかき回されないように教会の群れ全体に目を配る必要があります。聖書と違う事を教える人がいつの時代にもいるので注意が必要です。その為にも聖書全体の理解が欠かせません。

18:この手紙は口述筆記と言いまして使徒パウロが聖霊に導かれて語るのを、専任の書記が記録しました。でもこの最後の部分だけは自筆で書いたと述べています。このサインによって手紙の執筆者はパウロだという証拠になります。偽物ではないという事ですね。
 パウロが今置かれている状況は比較的自由でありながらも兵隊の監視や鎖でつながれているといる。この厳しい現実を覚えてほしいと言う事です。そして最後に主の恵みがあるよう祈って手紙を締めくくっています。
結び
以上でコロサイ人への手紙を学び終えますが多くの事を学びました。後は私達がみことばを実践するだけですね。また、この手紙のテーマは「キリストは教会の頭(かしら)である」というものです。是非私たちの源はキリストであり、キリストが全てであり、キリストを見上げて、キリストと共に生きる、キリストの声なき声を聴いて生きる習慣を身に着けていこうではありませんか。来週からコロサイ人への手紙と共通のピレモンへの手紙を学んでいきたいと思います。