ことばは人となって私たちの間に住まわれた

2023年12月10日  アドベント第3週

聖書箇所:ヨハネの福音書1章1~5節
説教題:ことば いのち ひかり
=ことばは人となって私たちの間に住まわれた=

おはようございます。2023年12月24日を迎えました。今日は通常の礼拝スタイルを変えてキャンドルを灯し主イエスの誕生を皆様とともにお祝いする礼拝です。また、ネット配信を通して礼拝に参加しているあなたもおはようございます。病気療養中のあなたもおはようございます。お元気でしたでしょうか?今週も共に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。

さて、今年は12月3日のアドベント第1週から福音書を通してイエスの誕生について共に考えました。マタイは「王としてのイエス」マルコは「仕える者(僕として)のイエス」について、ルカは「完全な人としてのイエス」についてでしたね。

そして今日は使徒ヨハネが伝えたイエスについて共に考えます。彼が伝えたのは「神としてのイエス(創造主)」です。それでは聖書をお持ちの方はお開きください。

その前にこのヨハネの福音書について少し説明します。彼はキリストの12弟子の一人です。彼がこの福音書を書いたのはAD90年代。年齢は90代の高齢者。イエスが十字架上で死に復活後、既に60年がたち、ペテロやパウロ達も30年近く前にイエス様の身許に行っています。ヨハネ以外の使徒たち全員が主の身許に召され、生き残っているのは彼だけです。そんな中でヨハネはマタイの福音書やマルコの福音書、そしてルカの福音書を読んでいたと思われます。でも彼の心に何か足りない思いがあったのかもしれません。それ故彼はイエスが誰かというイエスの本質を書く必要を覚えヨハネの福音書を書き記したのではないでしょうか。そんな訳で、他の福音書と書き出しが全く違う内容です。いわゆるクリスマスストーリーは何もなく、それ以前のイエスの様子から書き出しています。それでは読んでみましょう。

1:初めにことば(ロゴス)があった。ことばとはここでは主イエスの事です。今から2千年前のギリシャ人はすべての物質(造られて存在しているもの)の背後にはある考えが存在していたと理解していました。その考えをギリシャの哲学者たちは(ロゴス)と呼んでいました。でもヨハネはさらに一歩進んで、考えが存在していたばかりでなく、(考えるお方)が存在していたことを知っています。人間をはるかに超えた創造主、イエス・キリストをヨハネはロゴスという言葉で表しました。当時の人々は神(創造主)を意味するものとしてよく理解できたと思います。

※ちなみに日本語の神という言葉は意味が広がりすぎて分かりにくいです。私は聖書の神については創造主という言い方が一番ぴったりだと思います。参考までに1835年に完成した日本語訳の一番古い日本語訳聖書ギュツラフ訳ヨハネの福音書は、はじめにことばがあった。ことばは神とともにあった。これを「ハジマリニカシコイモノゴザル コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル」という日本語に訳しています。ことばを賢いものと訳しています。

ではイエス・キリストはいつから存在していたか?ヨハネは「はじめに」と言っています。これは宇宙及び地球が創造される前からです。と言う事はイエス・キリストは世界が創造される永遠の昔から存在していたとお方と言う事になります。
ことば(イエスキリスト)は神と共にあった。聖書の神は唯お一人です。但し父なる神、子なる神(イエス)、聖霊なる神(私たちの心の内に住んでおられるお方)の三つが一つとされている三つにして一つなる神です。こういう意味で聖書の神を唯一神と言います。でも同じ一神教であってもイスラム教やユダヤ教の神とは違います。
それ故、イエスは父なる神と共におられる神だとヨハネは言っているのです。更にことば(イエス)は父なる神と本質的には全く同じ力を持つ創造主なる神だとヨハネは述べています。

2:この方(イエス・キリスト)は、はじめに世界が創造される前から父なる神と共におられた。

3:世界のすべての物はイエスによって造られた。天地万物、そして人も最初から人を人として造られたのが、この方イエス・キリストであります。ここでのポイントは無から有を造られた。原材料が無くても、ことばひとつで、そのことば通りに宇宙そして地球、その中の命あるものすべてを造られたのです。この様にイエスは世界の創造者、支配者で有りますから今も宇宙全体を正しく保持しておられます。詳しい記述は創世記1章の「神は仰せられた」とあります。

4:この方には命があった。
ヨハネの福音書にはイエスの7つの奇跡が出てきます。たとえば水を葡萄酒に変えたり、死人を生かしたりしていますが、なぜこのような事が出来たか?それは世界のつくり主で命の源だからです。イエスは2千年前、地上に人として来られましたが(これがクリスマス)人の罪を赦して救う為、自ら十字架にかかって死なれました。しかし主は三日目に復活し、信じる者に新しい永遠の命を与えました。実にキリストは永遠の命そのものです。そしてこのいのちは人の光として人間を照らし、私達に人生の生きる意味を示してくださるのです。

※私も今から51年前初めて聖書を読みイエス・キリストと出会って人生の意味を見出しました。人はどう生きるべきか?自分中心に生きるのではなく、神と隣人を愛する(特に弱い立場の方や社会の底辺に生きる人を大切にすること)事を知りました。自分と同じようにあなたの隣人を愛せよというイエスの言葉ですね。こうしてイエスはあなたの光となってくださるのです。

5:光、これはイエス・キリストを指しています。闇は悪魔の勢力。イエスはこの悪魔の勢力に属するユダヤの宗教指導者によって十字架刑に処せられ殺されました。しかし、三日目に復活し闇に打ち勝ちました。最終的に闇の勢力はイエスに勝つことはできません。また現代社会でも悪魔、悪霊が強く働き、社会を混乱させています。今まさに終わりの時代でありますが、イエスに信頼して一つ一つの困難と闘いつつ乗り越えることが出来る、これが光なるイエスです。

結び
今日の話は信じることに抵抗があるかもしれません。しかしイエスこそ実に驚くべき力を持ったか真の神です。イエスは永遠の初めから存在し、父なる神と共にことばをもって世界を創り、保持し、治めておられます。そして命に満ち、イエスを信頼する者の内に住み、命を与え、光の道を示してあなた本来の生き方を備えてくださいます。

是非今日の礼拝を通して色眼鏡をつけず、聖書が示すイエス・キリストの姿を受け止めイエスを信頼してあなたらしく生きる道を見出してくだされば幸いです。