飼葉桶のキリスト

2023年12月10日  アドベント第3週

聖書箇所:ルカの福音書2章1~7節
説教題:飼葉桶のキリスト

おはようございます。2023年12月アドベント第3週を迎えました。またネット配信を通して礼拝に参加してくださっているあなたもおはようございます。病気療養中のあなたもお元気ですか。今週も共に礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。今日も前回に続き福音書からクリスマスメッセージをさせていただきます。聖書箇所はルカの福音書2章です。

前回はマルコの福音書からイエスの誕生について考えましたが、マルコにはいわゆるクリスマスストーリーはありません。いきなり1章9節から、公生涯を迎えたイエスが、ヨハネからバプテスマを受けている場面に始まり、次から次へと話が簡潔に、なおかつ正確に「しもべ」イエスの姿が描かれています。マルコは若い頃ペテロの従者として歩み、ペテロが示したイエスについて正確に書き記したマルコの福音書をまとめています。この書物はローマ人を主な読者として意識していたので日本人の様に旧約聖書になじみがなくても、取り組みやすい書物と言えます。

一方ルカの福音書は時系列に沿って丁寧にルカが書き進めています。彼はイエスが誕生する前のバプテスマのヨハネの誕生から書き始めています。あて先はテオフィロ(ローマの高官か)に対して。又彼は医者なので非常に綿密に丁寧に順序立てて流れに沿って書いています。
福音書を読む時(マタイ、マルコ、ヨハネ)に「これはいつの頃なのだろうか」と迷う場合はルカの流れを基準して読むと公生涯のどの頃かがわかります。そういう訳で私たち日本人にもマルコの福音書とともに分かりやすい書物です。

さて、ルカの福音書にはイエス誕生記事の前に、バプテスマのヨハネの誕生が書かれています。彼は多くの人に祝福され祭司ザカリヤとエリサベツの子として生まれたことが述べられています。一方イエス誕生の記事には人々から疎外された中でイエスが誕生した側面が見えてきます。それでは読み進めてまいりましょう。

1:ルカはイエス誕生の時代背景を明確にしています。「そのころ」とは1章後半のバプテスマのヨハネ誕生に続いてと言う事です。ローマ皇帝アウグストが全世界の住民に住民登録をせよという勅令を出した時。この頃の全世界は、今の全世界と違い、ローマ帝国の支配が及んでいた主に地中海沿岸の国々が対象です。主な目的は正確な人口調査をし、税金を徴収するためでした。
勅令は命令なので全国民が従う権威ある命令です。
 
では誰の勅令か?皇帝アウグスト(ローマ皇帝の尊称・個人名はオクタビアヌス)彼はBC27年~AD14年迄、実に40年以上に亘りローマ帝国トップの座を占め、人々に「カイサルは主である」と呼ばせて自分を神と同じ立場にしたのです。それ故、彼の支配下にあった人々は住民登録には絶対に従わなければならないものでした。

2:更にルカはこの歴史的事実に焦点を絞り、正確に書いています。キリニウスがシリヤの総督であった時の最初の住民登録であった。このキリニウスという人は2回シリヤの総督になっており、1回目は紀元前の時、2回目は紀元7年~9年でした。よってこの勅令は第1回目の時になります。
3:当然ユダヤはローマ帝国に支配されていましたので、全員勅令に従いました。そしてそれぞれが自分の生まれ故郷に帰って登録する事になりました。

4~5:ヨセフ(聖霊によって身ごもったマリヤの夫)はダビデ王の直系で有りながらこの頃になると落ちぶれてしまいました。マタイの福音書1章16節(新約1頁)でみた通りです。彼が住んでいたのは北部ガリラヤのナザレ村で当時は人々から蔑まれるような場所でした。

ここから南のダビデの町ユダヤのベツレヘム迄旅したのです。ナザレからベツレヘム迄の距離は直線距離で130kmぐらいでしたがそれでも厳しい旅だったと思います。ましてやこの時マリヤは聖霊によって身ごもっており、おなかも大きくなっていたので尚更です。「いいなずけ」の妻マリヤとありますが、何で「いいなずけ」なのに妻なの?という疑問が湧いてきます。当時のユダヤでは婚約したら、法律的に妻の立場なので「いいなずけ」の妻という書き方をしています。

6~7:いよいよ、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産みました。ヨセフはダビデ王の子孫であることはよく知られていますが、実はこのマリヤもルカ3章23節~34節(114頁)を見るとダビデ王の子孫であることがわかります。23節のヨセフはエリの子とありますが、これは義理の子なのでマリヤの父親です。よってこれはマリヤの系図なのです。31節の下の方にナタン、ダビデとありますよね。このナタンがダビデの子供です(預言者ナタンとは違います)。
 
またここにはへりくだったイエス姿が出てきます。ベッドが飼葉桶。飼葉桶とは家畜が餌を食べる大きな桶で、このような形で生まれた人はまずいません。イエスはここまで低くされた。

なぜか?宿屋には彼らのいる場所がなかった。と言っても大きな宿屋ではありません。ごく簡単な建物で人が寝泊り出来る粗末なものと思われます。でもその宿屋さえもなかったのです。多くの人に期待され祝福されて生まれてきたバプテスマのヨハネとは全く違いますね。

イエスはメシヤ(救い主)にも拘らず、人々から疎外されて生まれてきました。ではイエスは生まれた場所は何処か?岩に横穴をくりぬいて造った家畜が住む場所。いわゆる家畜小屋で有ります。イエスは神でありながらここまで低くなり地上に来てくださったのです。実に神がここまで低くなられたことにより、主は最も低い立場の人に対しても救い主となることが出来るのです。
何故とそこまで低くなられたと思いませんか?実に低い立場こそ神の御心に沿っていたのです。逆に私達がへりくだって主を見上げるためにこのような形で生まれたのが救い主イエスです。
結び
●ミカ5:2(旧約1586頁)人間的な視点のメシヤ誕生については屈辱的な生まれ方をしていますが、神の視点はそうではない。預言者ミカによって預言されていた。最も小さいものの中からメシヤが生まれる。実に創世記から示されているメシヤ誕生における神の計画の確かさです。
●イザヤ1:2~3(旧約1167頁)ユダヤの民が神に選ばれ、愛されているにも関わらず、神に背を向け神から離れているという意味です。牛はその飼い主を、ロバはその飼い主の飼葉桶を知っている。しかし私の民は悟らないという預言。ルカは飼葉桶に寝かされた幼子を救い主として示すことによって私達の頑なな心を砕き、目を開かせ、この驚くべき救いの御業に目を注ぐように促しているのです。へりくだって主を見上げることを神は私たちに求めているのです。
●私達も飼葉桶の中のキリストを通して聖書預言を確信し、へりくだって主を見上げていこう