ダビデの子キリスト

2023年12月3日アドベント第1週

聖書箇所:マタイの福音書1章1節~17節
説教題:「ダビデの子キリスト」

おはようございます。2023年12月アドベント第1週目を迎え礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。またネット配信を通して礼拝に参加しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?あなたと一緒に礼拝出来ることを感謝します。今日から4回にわたり福音書を通してクリスマスにちなんだメッセージをします。まずはマタイの福音書1章からです。

その前に前回の礼拝後にコロサイ4:10~11のメッセージに関する質問がありましたので、皆さんと分かち合いたいと思います。①使徒パウロは投獄されているのに彼のもとに大勢の人が集まってきたのはなぜか?②どうしたらパウロのように福音を伝える人になれるか?という良い質問でした。私の答えは以下の通りです。

・なぜ大勢の人がパウロのもとに集まったか?使徒パウロはイエスの心をもって生きた人だからと思います。人の話を聞き、上から目線で人を見ることなく人と接し、弱い立場の人を大切にし、兵士に対しても誤解や偏見、敵対心を持たずに接したからだと思います。常に彼の心には隔たりのない隣人愛に満ちていたと思います。しかも実際の行動が伴っていたのです。

・どうしたら私もパウロのように多くの人に福音を伝える人になれるか?これは最初の質問とも関連しますが、技術的な事よりも生き方が重要です。イエスが友なきものの友となって生きたように、パウロは常に弱い立場の人を大切にする(ガラテヤ2:10、376頁)生き方をしていた。そうすると周りの人はその生き方を見て質問してきます。「どうしてあなたは弱い立場の人を大切にしているのですか?」その時にキリストの恵み(福音)を伝えればよいのです。

日本のキリスト教会が何故成長しないのか。貧しいものと共に生きようとしないから。貧しい人を見捨て、中の上の人ばかり見ているから社会に見向きもされないのです。イエスの心と違う方向を向いているので人々は関心も持たずまた集まる事もないのです。今日本で閉鎖する教会が増えていますが、このまま日本のキリスト教会が社会の底辺の人に目を向けなければこの方向は更に加速度的に進んでいくでしょう。パウロの生き方、隔たりのない隣人愛と貧しい人と共に生きる生き方、この2つの実践こそが日本のキリスト教会が生き残る秘訣です。 以上私の持論。

さて本題に入りますがこの個所を読んでどんな印象を持たれましたか?カタカナの名前ばかりで無味乾燥という方がほとんどかもしれません。ましてやイエス・キリストの系図を見てもよくわからない。実はこのマタイの福音書は、元取税人でキリストの弟子マタイによって書かれました。ユダヤ人を意識して書いていますので、救い主キリスト誕生の正当性を書くにはどうしてもアブラハムから始まる系図を書く必要がありました。(4つのポイント)

・アブラハムの子 子というのは子孫という意味です。ユダヤ人の歴史はアブラハムから始まります。アブラハムからイサク、ヤコブ(イスラエル)そして12部族から民族、国へと発展していきます。このアブラハムの子孫から人としてのキリストが誕生します。ここの意味は創世記から考える必要があります。創世記12:1~4(旧約17頁)アブラハム75歳の時。彼は神に特別に選ばれた人で、神が今のイスラエルの地に行くよう命じ、それに従うなら(信仰によって)あなたを大いに祝福すると約束しました。さらに神の約束はアブラムを祝福するものを祝福し、あなたを呪うものを呪うというものでした。そして地のすべての部族はあなたによって(信仰)祝福される。これは神がアブラムと結んだ契約です。
続いて彼が99歳の時に結んだ契約が創世記17:4~8(旧約24頁)名前はアブラハムとなる。多くの国民の父とされる。カナンの全土(今のイスラエルより広い)が、あなたの後の子孫に与える。この後の子孫はキリストを指しています。キリストはやがて再臨しカナン全土を永遠の所有地として神から受ける。この2つの契約の成就(完成)がアブラハムの子キリストなのです。そしてアブラハムに与えられた契約は全世界(私達を含む)に神の祝福となって広がる。

・ダビデの子 ダビデの系図から生まれるのがキリストです。6節~16節の系図の通りダビデの子孫としてキリストは生まれた。第二サムエル記7:12~13(旧約551頁)。これは預言者名タンがダビデの晩年に神のことばを語ったものでダビデ契約として有名です。彼の王国を確立させるとはキリストを救い主と信じて救われると言う事です。
彼(キリスト)は王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。復活して天に帰られたキリストは再臨しエルサレムを中心に千年王国を樹立し世界を治める。更には永遠の新天新地(天国)へと移っていくのです。

・イエス・キリストの系図 4人の女性。3:タマル自分の身を遊女と偽って義父ユダとの間に子供をもうけた女性。5:エリコに住んでいた遊女ラハブ 5:ルツは異邦のモアブ人 6:ダビデがウリヤの妻(バテシエバ)によって生まれた(罪)のがソロモン。6節以降ユダの王たちの歴史を読むと罪深い王も沢山出てきます。しかし13節のアビウデ以降にはダビデ王の家系でありながら旧約聖書に名前が出ていない。16:ついにマリヤの夫ヨセフの時代にはひっそりとナザレで暮らす落ちぶれた家となってしまった。キリスト誕生に至るまでには神の救いの計画の中での人間の歴史、苦難と栄光、光と影が織りなす歴史そのものの姿が正直に書かれています。

では何故マタイは血筋の良さや家柄を誇るような長い系図を書かなかったのか?それはイエス・キリストはいったい誰なのかと言う事を明確に示し、イエス・キリストこそ人となられた神の子救い主(メシヤ)であることを示したのです。

・17:各14代。アブラハムからダビデまでが全部で14代。旧約聖書では7の数字は完全数。14はその倍なので更に完全なことをマタイは言いたいわけです。ダビデ~バビロン捕囚迄とバビロン捕囚~キリスト迄は一部を省いてそれぞれ14代にしていますが、アブラハムからイエス誕生に至るまで完全な神の時であることを示しています。歴代の人々の歩みは実に様々です。信仰的な王もいれば不信仰の王もいました。栄光と挫折、罪が満ちています。このような中にあってもイエスは神の時が満ちて誕生したのです。しかも人でありながら完全な神として誕生してくださったのです。
結び
今日もう一度神の御計画の中で最も良いときに、神でありながら最もへりくだった人として生まれたイエス・キリスト、そして人の罪を赦し新しい命を与える為に自ら十字架の上で血を流し、死に、三日目に復活したキリスト、やがて、混沌とした中にあってこの地上にもう一度再臨し、エルサレムに再び戻って新しく世界を治めてくださるキリスト待ち望みつつ生きよう。