コロサイ人への手紙(18)

2023年11月12日

聖書箇所:コロサイ人への手紙4章1節~6節
宣教題:たゆみなく祈りなさい

おはようございます。2023年11月第2週目を迎え、礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。またネット配信を通して礼拝に参加してくださっているあなたもおはようございます。お元気でしたか?さて昨日は増田千代牧師の召天記念礼拝に出席させていただきました。感じたことは立場の弱い方への働きを沢山されていた事、又地域の方とのかかわりが多かった牧師です。民生委員、コーラスの方、ご近所付きいが多岐にわたっている事がわかりました。これこそキリスト者の生き方であると確信しました。聖書の話に入ります。コロサイ4:1~6になります。

1:ここは前回の続きです。使徒パウロが妻、夫、子ども、奴隷に対する勧めの続きとして最後は主人たちに対する勧めで締めくくっています。主人は人を使う立場なので会社の経営者、上司等にも適用できます。また当時多く存在していた奴隷はお金で買い取られた商品で、自己決定権を持っていませんでした。逃亡や主人に反感をもち危害を与えたら殺されても訴えることが出来ない弱い立場で世の中的には価値がないとみられていた人々です。

主人と奴隷の関係で有名なのはコロサイ教会のピレモン、彼は主人の立場ですね。又奴隷ではピレモンのところから逃亡したオネシモがいます。ここでは主人が絶対権限を持つのは地上の今の時だけなので、パウロは傲慢な主人に釘をさし、きちんと立場をわきまえるべき言葉を述べています。「あなた方は、自分たちも天に主人を持つもので、神に仕える僕(奴隷)であることをわきまえなさい」
続いてパウロが命じているのは、奴隷に対して正義と公平を示し続けなさい。奴隷に対して正しく、公平な態度と、平等な扱いをしなさい。主人であっても横暴な態度で関わってはいけない。何故なら神の前にあなた方も、僕の立場である。これは今の時代において企業経営者又は組織の上に立つもの、牧師にも適用できます。

そこにはパワーハラスメント(地位や立場を利用してその範囲を超え職場で精神的、肉体的苦痛をあたえること)とか、モラルハラスメント(倫理や道徳に反したいじめや嫌がらせ)の問題はでてきません。自分は偉いと思い込んで部下を下に見てはいけないのです。自分は目的をもって神に立てられた器で有り、神の僕にすぎないという自分の立場を忘れてはなりません。

2:ここから4節迄が祈りの勧め、5節~6節がキリスト者の行いについての勧めが述べられています。祈りは私たちの大切な務めです。祈りを通して神の力を受け、御心が示されます。
それ故、パウロは常に兄弟姉妹に対し祈ることを勧め、又、自分の為にも祈ってくださいと願っています。祈りを通して神は御心を示しくださると信頼して祈り、神への全幅の信頼が土台となっていることが求められます。

その上で、①たゆみなく祈りなさい。(なまけず、骨を惜しまず、たゆまず、うむことなく専念する、没頭する、祈りに励む)②感謝して、目を覚まして祈りなさい。まずは神への感謝、人への感謝。今を生かされ、恵みの中で生かされていることに感謝しながら、目を覚まして祈る。いつも寝ないで祈るという意味ではなく、油断しないで見張る、警戒することです。
なぜこのような勧めがあるのか?それは私たちの目に見えない暗闇の力、霊的な勢力の悪魔、悪霊がキリスト者の生き方を妨害するからです。彼らは私達が神の栄光を現わして欲しくないから。私達があまり神経質になる必要はありませんが、悪魔の策略に乗せられないように気を付けなければなりません。その為にもみことばを心に蓄え、たゆまず、怠けず、主に感謝し、主に信頼し、霊の目を覚まして、主の御心にかなった祈りをささげる必要があります。

3:とりなしの祈りの要請。具体的には、神がみことばの為の門を開いてキリストの奥義(ミステリオン)を語れるように。奥義は旧約聖書時代には隠されていた神の真理が、新約聖書時代になって示されたという意味です。具体的には私たちの信者の中におられるキリスト、栄光の望みの事です(コロサイ1:27 新約402頁)。

キリストの十字架の死と復活の御業を信じた私たちの心の内に栄光のキリストが住んでくださる。これはまさに使徒パウロに示された啓示です。そして栄光のキリストはやがて私達を救いに天から来て下さり、一瞬のうちに栄光の体に変えてくださいます。キリストの空中再臨です。

その後、キリストは地上に再臨し反キリストとその軍勢を滅ぼされ、それに続いてキリストの直接統治による千年王国、最終的には新天新地へとつながります。このイエスの福音を自由に語ることが出来るように祈ってください(祈り続けてください)。彼はこの奥義を語った為にユダヤ人の怒りと反感を買い、迫害され、ついにはローマ帝国によって捕らわれ牢につながれているというのです。
4:奥義なるキリストを大胆に語れるように祈ってください。私達が語るべきは十字架の死と復活と再臨のキリストです。
5:ここからキリスト者の証について教えています。外部の人たちとはキリスト者以外の人のことで、どう関わるかです。機会を十分生かし、何事も知恵(知識の運用)をもって行動せよ。

6:具体的には親切な言葉遣い(人に優しくかかわる)、塩で味付けられたものであるように。
そうすれば主は知恵を与えてくださり、聖霊に導かれて行動できるようになります。

ではその生き方とは具体的にどう生きるのか。ヒントは第一ペテロ3:13~16(新約469頁。読む。キリストに対して忠実に信頼して歩むもの、隣人愛に生きる者、生きようとするものは様々な困難に会います。これは極めて普通の事です。イエス様も苦しまれたから。そしてキリストに従うものは苦しみを味わう事は恵みです。義の為に苦しむという事です。

でもそういう時こそ、心の中でキリストを主とし、聖なる方とするならば不思議なことがおきます。「あなた方の内にある希望を求める人」が出てきます。この時にいつでも弁明できる用意をしていなさい(キリストにある恵みや信仰を伝える備えが大切なのです)。これが私達に出来る伝道であり、最も大切なキリスト者の生き方なのです。キリスト者が生き方(隣人愛)を通して証しする事がポイントです。但し上から目線ではなくキリストの心をもって弁明することです。

この隣人愛の生き方を通してキリストを証しすることが私たちにとって最も大きなイエスを表す力になるのです。これが日本のキリスト教会最大の弱点でありそこを変えるのが教会復活のポイントだと考えています。そしてその基本がたゆみない主への祈りなのです。