コロサイ人への手紙(17)

2023年11月05日

聖書箇所:コロサイ人への手紙3章18節~25節
宣教題:何をするにも主に対してするように

おはようございます。2023年11月第1週目を迎え、皆様と共に主の恵みにあずかり感謝します。また、ネット配信を通して礼拝に参加してくださっているあなたもおはようございます。お元気ですか。今日はコロサイ人への手紙3章18節~25節から「何をするにも主に対してするように」というテーマを共に考えてまいりましょう。

この手紙は3章から具体的な勧めになっています。特に18節以降は人間関係の在り方を述べているので興味深いですね。具体的には妻への勧め、夫への勧め、子供たちそして、奴隷たちに対する勧めと続きます。奴隷に対する勧めは主の報いが長く語られ、そして4章の主人に対する勧めへとつながります。またこの文章をこのまま読むと誤解しやすい個所があるので時代背景を理解することが重要になってきます。
・まずこの時代は女性(妻の)立場が低く扱われ、男性が強い力をもっていました。それ故夫が妻や子供に対して支配的になる事があったようです。今の日本における女性の立場は結構強いのでパウロの勧めが偏っている、又、古臭いと感じることがあるかもしれません。

・奴隷の存在が出てきますが、今から2千年前のローマ帝国社会では奴隷が全人口の2割ぐらい存在していたと言われています。戦争に負けて捕虜になり奴隷にされる。また生まれつき奴隷に人や、借金が払えなくて自ら奴隷になる場合もありました。
但し、奴隷は鉱山で強制労働従事者や、船の漕ぎ手、競技場でライオンと闘う人ばかりではありません。金持ちの主人に仕える僕(しもべ)や掃除、洗濯、料理をするお手伝いさん、農園で働く農夫や家庭教師、又は医者もいたそうです。彼らの共通点は主人からお金を払って買い取られた商品として扱われ、自分で物事を決定する事はありませんでした。

・聖書は奴隷制を認めていませんが、パウロ達教会指導者は社会運動を展開して奴隷制絶対反対と叫んではいませんでした。むしろ積極的に奴隷と関り、彼らの人格を尊重し一人の人間として交流していたのです。ここが他の人とは全く違う点です。そして、キリストにある交わりの中で彼らはイエスをメシヤと信じて救われ、又彼らの主人が救われローマ社会に変化が生まれました。
その例がコロサイ教会の有力者ピレモン、そして彼の家から逃げ出した逃亡奴隷オネシモがいます。そのオネシモをローマの獄屋で救いに導いたパウロとの美しい関係がピレモンへの手紙に書かれています。このようにキリスト者によって福音の種がまかれ続けて、奴隷制度は廃止されていきます。以上、奴隷の存在や女性の立場を理解した上でコロサイ書を学びましょう。

18:まず妻に対する勧め 主にある(主に結ばれ一つにされたものとして)。主イエス・キリストの中にあって主にあるものに相応しく、この言葉がポイントです。そのうえで夫がキリスト者であるか、ないかに関係なく従いなさい(現在命令形なので従い続けなさい)。
生涯にわたり従い続けるよというのが妻に対する勧めです。

19:夫は妻を愛しなさい(この動詞も愛し続けなさい)。妻がどのような状況にあっても、例えば年を重ねて、お顔のしわが増えても愛し続けなさいとなります。夫に対する勧めもまたハードルが高いですね。しかもこの愛は神が人を愛する愛で、代価を求めず、見返りを期待しない無償の愛。恋愛ではなく、神の愛です。この愛で妻を愛し続けるのが夫への命令です。また妻に対してつらく当たってはいけない。これは別の言葉では、怒りっぽく、荒々しく当たってはいけない。男は強いので妻に対して強い態度を取りやすいものです(自分自身への反省でもあります)。

以上、夫と妻はそれぞれ双方がふさわしい仕方で、たがいに仕え合う事を神が命じています。このように創造主なる神は片方に対してだけ不公平な要求する神ではないのです。

20:ここは子供に対する勧めで、両親に従う。主が喜ばれる基本的な神の秩序であります。
21:父親に対する子供との関りについては、苛立たせてはいけない。(じらしてはいけない)。子どもへの過度な要求や無理強いをするな。子どもたちが意欲を失ってしまうから。
これも親たちが失敗しやすいことです。子どもは親の所有物ではありませんから。
22:奴隷に対して、天の主人である神に従うように、地上のご主人に従いなさい。
しかも、うわべのご機嫌取りではなく、主なる神を恐れ敬いつつ従いなさい。

23:主に対するように心からしなさい。ここは現代の企業に勤める会社員(サラリーマン)や役人にもそのまま適用出来ます。上司は神が立てた存在なので、まずそれを認め主に対するように不正をせず誠実に働く。このようにキリスト者は企業や仕事に対して主に対するようにすることが求められています。
24:今、不利益な扱いを受けてもこのような姿勢で生きるなら、報いとして御国(やがて神から受ける相続財産)を受ける。私達が未来に移る場所です。その故、あなた方が本当に仕えている相手はキリストなのだ。それを忘れないように。※私達も問われています。

25:しかし不正を行うなら自分が行った不正ゆえ、神に罰せられます。神には不公平な扱いはありません。神はえこひいきをしないお方である。これは奴隷であっても主人であっても、今も昔も基本的に変わらない神のお取り扱いです。
●ここまでが主にある妻、夫、子供、奴隷に対しての勧めです。自分に適用して考えてみよう。このみことば通り生きようとすると、私たちの罪故、厳しいことが多くてできないと思い込んでしまいそうです。
結び
でも、23節にありますように、私たちは主に結ばれている存在であり、キリストにあって、このお方の前に如何に誠実に生きるかに尽きると思います。それぞれが自分の置かれた立場から考えて実行したいと思います。何をするにも主に対してするような生き方を目指して歩んでまいりましょう。では「何をするにも主に対してするように」するにはどうすればよいか。
マタイ7:24~27(新約12頁)を読んでみよう。ここは5章から始まるイエス山上の垂訓のまとめの部分で、イエス様が語られたことばです。ポイントは神のみことばを聞いて行うことです。従う、実践するのがポイントです。
では聞いて何を行うのか?隣人を自分と同じように愛する。具体的には隣人に対する親切心、穏やかな心で人を慈しみ、謙遜や温和なふるまい。これに磨きをかけて生きることがみことばを聞いて行う人です。それこそ岩(主イエス・キリスト)の上に家を建てる賢い人の生き方です。こういう人は人生の嵐にあっても倒れません。イエスが人生の土台ですから。何をするにも主に対してするような生き方です。あなたも私もこのような人生を選び取ってまいりましょう。