コロサイ人への手紙(15)

2023年10月22日

聖書箇所:3章12節~17節
宣教題:キリストの平和に支配されよう

おはようございます。2023年10月第4週目を迎えました。今朝も兄弟姉妹たちと共に主の恵みにあずかり感謝します。先週は皆様の祈りに支えられ私の第二の母教会久喜キリスト教会での奉仕が無事に守られたことをご報告いたします。ありがとうございました。
また、ネット配信を通して本庄キリスト教会の礼拝にご参加くださっているあなたもおはようございます。あなたの参加をとてもうれしく思います。今日はコロサイ人への手紙3章12節~17節を通して「キリストの平和に支配されよう」というテーマで共に考えてまいりましょう。今日は時間の関係で15節までになります。

この手紙は前半2章がキリスト信仰の教理(教え)の部分で、後半3章~4章がその教理に基づくキリスト者への実際的な生き方の勧めとなっています。信仰者にとっては両方とも大切です。

キリストを信じて救いを受けた人を、パウロは10節で「新しい人を着たのです」と例えています。新しい人はそれを造られた方のかたちに従って新しくされ続け、真の知識に至ります」キリストの救いを受けたら聖霊の導きと励ましによってイエス様の人格に似てくるのです。そこには差別はなく、キリストが全てであり、キリストはすべての人の内に住んでおられるからです。

12:それ故、冒頭にですからと続きます。次に着なさいと言う命令が続きます(日本語の文章では最後ですが)。聖書は無理に信者に物事を強いることはしません。必ず恵みによって環境を整えたうえで勧めています。ここでもパウロはコロサイ信者の立場を明確にして勧めています。あなたがたは①神に選ばれたもの。神の御心によって選ばれた存在。②聖なるもの、キリストの十字架の血潮を通して神によって取り分けられ神の前にきよいと認められた存在。③愛されているもの。※これは私たちキリスト信仰者にもそのまま適用できます。

神の選びについては、神の選びの民ユダヤ人を忘れてはいけません。彼らはアブラハムの信仰ゆえに神に選ばれ、神に愛されている存在です。今は極悪非道な過激派のハマスによって多くのイスラエル人が殺害、誘拐され非常に困難な時でありますが、実にイスラエル人こそ神の選びの民で、神に愛されている人々、やがて終末の時には民族的救いを受ける人々です。(ローマ11:12新約315頁)
それゆえ、私たちは詩編122:6~7(旧約1071頁)にあるようにエルサレムの平和の為に祈れ、「あなた方を愛する人々が安らかであるように。あなたの城壁の内に、平和があるように。あなたの宮殿の内が、平和であるように」を大切にします。エルサレムの平和の為に祈る理由は(私たちも祝福される為)(キリストの再臨を待ち望む為)(イスラエルの民族的救いの為)であります。私たちはこの姿勢を持ちながら双方の被害が最小限に収まるように祈りましょう

次は救いを受けた信徒が意識して少しずつ身に着けていくものは以下の5つです。
① 深い慈愛の心、隣人に対して心底から人を慈しみ大切にする思い。
② 親切、善良で、情け深い心
③ 謙遜、謙遜な自己評価、へりくだりの思い。
④ 柔和、温和なふるまい、態度。
⑤ 寛容、忍耐の意味もあり、どんなことが起こっても、穏やかな心でそれに耐えうる力。

この5つを見て思う事はイエス様に似たものとされるのが私たちの求める方向性だと示されます。では、どうしたらこれらの品性を身に着けることが出来るかは15節以降に書かれていますが、心の中に住むキリストが私たちの心を支配してくださることがポイントです。キリストの判定や決定に従うのが支配されることです。
その為、私たちの心をキリストの思いへと優先させる事です。その積み重ねによってだんだんとイエス様に似たものとされていきます。信仰の成長には時間がかかりますが、その為にも私たちの心が常にキリストの平和や平安で満たされるよう祈り求め、お従いしたいと願っています。

13:ここでは具体的な人間関係が述べられています。具体例:だれかが他の人に不満をいだき責める場合。これは教会の中での出来事だと思います。私たちは罪赦された罪人なので成長途上にあり多くの失敗や罪を犯す存在です。人をなかなか赦せない、「あの人だけは絶対赦せない」とかありますね。ここでパウロが示している解決法は以下の3つです。
① 忍耐する。これは我慢するとか、耐え忍ぶという意味があります。(聖霊の力によって)
② 赦す。これは好意を持つという意味があります。相手に好意を持つことによって赦せます。
③ 互いに。忍耐する、赦し合う、双方、互いに忍耐し、赦し合うのです。

さらに聖書がすごいのは、歯を食いしばって忍耐しなさいとか、頑張って赦しなさいと言っていないことです。主があなたを赦してくださったように。ここがポイントです。主イエスはあなたや私の罪深さをすべてご存じで、罪を悔い改め(方向転換)全人格をもって主イエスに信頼し、イエスの十字架の死と復活を信じて罪赦され救いを受けます。あなたの大きな罪を赦していただいたのだから、あなたも赦しなさい。この勧めに無理はありません。このように人を赦すときに聖霊が働いて赦す力と思いが湧き上がってきます。

14:更にここでは一歩進んで忍耐や赦しに加え愛が加わります。この愛はアガペーの愛なので神から来る愛、神が人を愛された愛です。イエスの愛は敵を愛する愛、見返りを期待しない、無償の愛を着けて生きようという勧めです。結びの帯とは、愛の絆で結ばれる。具体的には私たちが受けているキリストの愛によってあなたの隣人を自分と同じように大切にかかわることです。この愛こそ結びの帯として完全です。このような人間関係をそれぞれが目標としてこの終末時代を生かされてまいりましょう。

15:ここは私たちが物事をするための基準が述べられています。それはキリストの平和があるかどうかと言う事です。キリストの平和があなた方の心を支配するとの意味は、キリストが良いと、判定し、決定したかどうかという事です。その為、私たちはキリストの平和を実践するために、神から召されキリストの体なる教会の一員にされたのです。このように私達にはただ単に救いを受けただけではなくてキリストの平和の代理人として生きる使命があるのです。貴方や私を通してキリストの平和が現わされる。これを目指して生かされようではありませんか。
結び
私達は自分の考えを優先して行動し、失敗ばかりかもしれません。今日はもう一度、一歩進んで神の前に罪赦されていることを確認し、隣人と赦しの人間関係を作り、もう一歩進んで愛の実践を通して関係を作ってまいりましょう。これこそ完全(成熟)した人間関係づくりであります。