コロサイ人への手紙(14)

2023年10月8日

聖書箇所:3章5節~11節
宣教題:主にあって新しくされ続けよ

おはようございます。2023年10月第2週目を迎え、一気に収穫の秋となりましたがお元気でしたか?今朝も兄弟姉妹たちとともに礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。
またネット配信を通して本庄キリスト教会の礼拝にご参加してくださっているあなたもおはようございます。今日はコロサイ人への手紙3章5節~11節を通して「主にあって新しくされ続けよ」というテーマで共に考えてまいりましょう。尚、来週は久喜キリスト教会の礼拝で伝道メッセージを頼まれておりますので不在となります。よって礼拝メッセージは小幡さんが原稿代読します。他2名の方が証をしてくださいますのでご期待ください。

さて今日から3章5節~11節ですが、この手紙の前半2章がキリスト信仰の教理(教え)部分で、後半3章~4章が教理に基づく実際的な勧めで信仰者にとっては両方大切です。

前回は3章1節~4節迄を学びましたが、3節の「今は隠されている」の意味がよくわからないという質問が出たので復習します。ここの文脈はキリストの救いを受けたコロサイ人の(私たちも同じです)立場が述べられています。キリスト者はキリストと共によみがえらされました。であるなら上にあるもの、即ち神の御座にいるキリストの御心を求めよという勧めでしたね。

そして3節で、あなた方(私たちも含む)は既に一度限り罪に対してキリストと共に死んで、復活した存在である。今もキリスト者は復活の主と一つにされている。当然復活の主の力がキリスト者の内に働いているが外見上は隠されているので分からない。確かに外見上は誰が救われているかはわかりにくいです。また、キリストの空中再臨、携挙(rapture)の時も一瞬にして空中に引き上げられ、栄光の体に変えられるので人の目には見えません。隠されています。

しかし、その後私たちも栄光の体に変えられ、私たちもキリストと共に栄光の内に現れます(4節)。これが地上再臨の時に起こることです。この時はもう隠されていません。このような流れで今は隠されているとパウロは述べているのではないかと推測します。因みにコロサイ人への手紙でキリストの再臨の話が出てくるのはわずかにここだけですね。パウロはいつも再臨を語るのではなくここぞという時にキリストの再臨を語っています。再臨はキリスト者の希望です。

5:4節迄の事を踏まえ、キリスト者の具体的生き方を述べています。キリスト者はキリストを信じ罪赦され、神の前にきよめられた者として、生き方においてもきよさが求められます。

当時コロサイの町で行われていた罪の問題がありました。それは結婚関係以外の性関係です。即ち男女間のみだらな行い(姦淫の罪)、汚れ(性的汚れ、不道徳)情欲、悪い欲(欲望)また貪欲(強欲、むさぼりの罪)これこそが偶像礼拝です。偶像礼拝とは創造主なる神の代わりに自分自身とその他の被造物を神とする事。これが大きな罪なので殺してしまえと警告しています。

6:これらの為に神の怒りが不従順なものの上に下る。創造主なる神の性質から当然のことです。

7:実はコロサイ教会の信者たちも以前はこのような罪の生活をしていたのです。でもキリストを救い主と信じ新しい命を受け以前の罪から離れることが出来ました。
ではどうしてこのような罪が普通に行われていたのか。性の乱れは人類の歴史上繰り広げられましたが、特にこの地方ではグノーシス主義が背景にあり、彼らは、霊は善で、肉体は悪と考えました。故に肉体上の事は、そもそも悪なので何をしても赦されると考えていたので当然罪の意識は薄いです。いわゆる放縦主義ですね。又、逆に霊的きよさを求めて極端な禁欲生活をする人々もいたのです。因みに聖書では霊は善で肉体は悪だと教えていません。両方大切なものです。

8:今度は人の口から出る悪いものについて警告をしています。
彼らも救いを受けたとはいえ、神の前に罪赦された罪人にすぎないので(私たちも同じです)心の中には依然として神に喜ばれない罪、人との関係を壊す悪しきものが沢山残っていました。
これも捨てよと命じています。

具体的には、怒り、憤り、悪意、罵り、その他私たちの口から出る恥ずべき言葉です。キリスト者もこの罪を犯しやすい存在です。特に正義感の強い人は。キリスト者は正義感の強い人が多いので、世の中や政治に対して怒り、憤り、不満を持つ場合が多くあります。でもよい意味での批判精神は大切です。が、やがて人への裁く心へと変わるときがあるので要注意です。

何故ならこの時人は自分が高くなり、人を見下しています。こうなると神の御心に反するので神は捨てよと命じます。私たちはキリストのものとされても古い罪の性質が残って(残存)います。主イエスの身許に行く時まで罪との戦いが続きます。でありますから聖霊に励まされ一つひとつ、きよめられつつ、主の恵みによって悪しきものを捨て去る事が必要になってきます。

9:互いに嘘、偽りを言わない。日本には「嘘は泥棒の始まり」ということわざがありますが、
何故嘘をついてはいけないのか。小さな嘘、偽りから大きな嘘、偽りに広がり収拾がつかなくなります。一つ嘘をつくと、またごまかす為に次の嘘をつくようになります。そして嘘は神の前に罪となるので神は悲しまれます。
 それゆえ、私たちの古い人(救いを受ける以前の罪の性質と生活)を数々の行いと共に、一度限り決定的に脱ぎ捨てる。と心に決めよう。

10:新しい人を着たとはキリストの救いを受けたことを例えて述べています。そして新しい人は、つくり主なるイエスに似ていきます。時間と共に日々成長し新しくされ続け、真の知識に至ります。実に私たちは一生かけて成長する存在、何歳になっても成長し続ける存在です。

11:この新しくされた者には差別がありません。キリストが全てであり、すべての内にキリストがおられるから。この認識が重要です。パウロが言うようにユダヤ人(選民)とギリシャ人(異邦人、私たちも)割礼(ユダヤ人)と無割礼(異邦人)。未開の人、スクテヤ人(野蛮人)は黒海やカスピ海の近くに住む遊牧民で獰猛な野蛮人とされていました。敵の、されこうべで血を飲んだそうです。しかしそのような野蛮な民族であってもキリストを信じたら区別や差別がなくキリストにあって一つのものとされる。これがキリスト教会なのです。
結び
こうしてキリストにあるものは、あなたも私も罪の生活を捨て新しくされ続けるのです。今週も聖霊に励まされ、主イエスに信頼し続けて主とともに歩んでまいりましょう。