コロサイ人への手紙(11)

2023年9月17日
聖書箇所:コロサイ2章16~23節
宣教題:本体はキリストにあり 

おはようございます。2023年9月第3週目を迎えました。今日は80歳以上の方9名の敬老祝いができます事を感謝します。私たちの人生の先輩として、本庄キリスト教会を支えてくださりありがとうございます。まだ暑い日が続きますがくれぐれもご自愛ください。ささやかではありますが礼拝後にお祝い会を行います。
またネット配信をご覧のあなたもおはようございます。本庄キリスト教会の礼拝にご参加くださりありがとうございます。今日はコロサイ人への手紙2:16~23を通して「本体はキリストにあり」というテーマで共に考えてまいります。時間の関係で17節迄です。

さて、私がキリスト者になる前は、信じたら自由がなくなるのではないかと思い込んでいたので、キリスト教を堅苦しく考えていました。皆さんはいかがでしたか?同じ思いを持つ方がいるかもしれません。ところがどうでしょうか。実際は全く逆で、クリスチャンになると自由で、明るく元気にのびのびとなりました。主イエスが私を罪から救ってくださり赦しを与えてくれたので明るく自由にされたのです。そして私の人生を豊かに導いてくださり、より積極的な生き方へとされました。これが本当のキリストの救いを受けた結果です。

ところが聖書を見ると、自由で健全な生き方を快く思わないグループや人々がいます。悪魔は上手に働いて聖書的な生き方を壊してしまいます。これは昔も今も変わりません。当時のコロサイ教会にも聖書に混ぜ物をして忍び込んできたグループがいました。

16:「こういうわけですから」どういう訳?キリストの中に知恵と知識の宝が全て隠されているから、キリストに根ざして、あふれるばかりの感謝をささげて生きようとパウロは勧めています。だましごとの哲学によりだれかの捕らわれの身にならないよう注意。具体的事例は以下の通り。

Ⅰ、食べ物や飲み物:これは元々レビ記11章の食物規定から来ています。例えば豚、蹄が分かれていているが、反芻しないので穢れている。故に食べてはならない。また水の中にいる生き物で、ひれと、うろこがある魚は食べてよいのですが、ないものは穢れているとされ、食べてはいけませんでした。この基準からすれば日本人の好きなウナギ、タコ、イカは食べられないことになります。
この律法はモーセ達が出エジプトして荒野の40年特別厳しい状況に置かれましたので神は大切な食物規定として律法に示したのです。レビ11章の食物規定のポイントは、神の前に生きる信仰生活に於いてのきよさを示していいます。ですから皆さんもこれ読んで何これ?と思うかもしれませんが、これは当時のイスラエル人にとって健康上非常に大切・重要な事だったのです。

但し、新約聖書時代になり、イエスは何を食べるか何を飲むかは自由としました。根拠は何処にあるか。マルコ7章18節と19節(新約80頁)で、パリサイ人が食べ物の事で言いがかりをつけてきた時、イエスは答えています。読んでみましょう。モーセ律法とは逆にすべての食物をきよいと宣言されました。
 又、使徒パウロもテモテの手紙第一4章3節~4節(421頁)で神が造られたものは良いもので捨てるべきものは何もないと述べています。
ところが当時小アジア地方を巡回していてユダヤ主義者たちは旧約律法の食物規定を盾にして、新約時代になっても律法は有効であるとしてコロサイ教会の人々を混乱させたのです。

Ⅱ、また律法主義者たちは祭りや新月や安息日の事も今も守るべき事としてコロサイ人を苦しめました。旧約聖書に出てくる祭りの本質を理解した上で祭りを行う事は良いことです。ところが彼らはこの祭りをしないと救われないとか、救われたとしても三流の信者と言ってバカにするのです。次に旧約聖書レビ記23章で示された大切な7つの祭りを見ていこう。
春の祭り
①過ぎ越しの祭り、新年を祝う、1日のみ。
②種なしパンの祭り 過ぎ越しの祭りの翌日から7日間。
③初穂の祭り。過ぎ越しの祭りの後の安息日の翌日(日曜日)
④7週の祭り(呼称:五旬節・ペンテコステ・シャブオット)初穂の祭りから50日目の日曜日

秋の祭り
⑤ラッパ(角笛)の祭り 第7の月1日新月の日
⑥贖罪の日 第7の月の10日 キムヨプール
⑦仮庵の祭り 第7の月の15日 7日間 スコット、仮の家を作り神の恵みを覚える。
・他に新月、月の最初の日に全焼のいけにえ捧げ、ラッパが吹かれる。(民数記10:10、他)
・安息日 毎週7日目に休む レビ記23章他
・誰からも批判(裁き)を受けることがないようにしなさい。

17:祭りや新月祭、安息日、食べ物、飲み物について、旧約聖書で教えられている大切な祭りですが、来るべきものの影である。誰の影ですか。来るべきものとは救い主である主イエス・キリストです。パウロが本体(実体)はキリストです。キリストにおいて成就した。

①過ぎ越しの祭り。起源は出エジプト記12章。何故本体がキリストなのか?全焼の生贄が神に捧げられる。1歳の傷の無い羊かヤギを屠りその血を門柱とかもいに塗る。そうすれば神の裁きが過ぎ越す。キリストこそ本体の過ぎ越しの羊であり、十字架の血により罪の清めがなされた。

②種なしパンの祭り。パン種は罪の象徴、キリストの罪のない血をささげられた。
③初穂の祭り。キリストの復活を表す。キリストは栄光の体で復活し、眠った人の初穂となる。
④7週の祭り、ヘブル語でシャブオット、ギリシャ語でペンテコステ。初穂の祭り、キリストの復活の日から50日目、何があったか?聖霊降臨と教会の誕生です。
⑤ラッパの祭り、キリストの携挙、キリスト者はラッパの音とともに天に挙げられる。
⑥贖罪の日、携挙の後に大患難時代、その後キリストの地上再臨、イスラエル人は皆救われる。
⑦仮庵の祭り、荒野における主の恵みを覚え、仮の家を作り7日間住む。千年王国。喜びの祭り。

結び
この様に旧約の祭りや律法はすべて本体(実体)であるキリストに結び付いています。この事を常に意識しながら旧約聖書に親しもう。そうすれば律法主義に騙されることはありません。
その為にも聖書はすべてキリストにつながっていることを意識して読み学んでいこう。そして私たちは何をするにも神の栄光を常に求めて生きよう。Ⅰコリント10:31(新約342頁)