コロサイ人への手紙(10)

2023年9月10日
聖書箇所:コロサイ2章11~15節
宣教題:古い生活から新しい生活へ 

おはようございます。2023年9月第2週目を迎えました。台風13号関連で被害を受けた千葉や茨城、福島の皆様にお見舞い申し上げます。また暑い日が続きそうなのでくれぐれもご自愛ください。またネット配信をご覧のあなたもおはようございます。本庄キリスト教会の礼拝にご参加くださり嬉しく思います。今日は「古い生活から新しい生活」を共に考えてまいりましょう。
今日は11節からです。2章でパウロはキリストの内に知恵と知識の宝が全て隠されている事、キリストの内に根ざして歩んでいく事、空しいだましごとの哲学によって、誰も捕らわれの身にならないようにと勧めています。そして今回の箇所で「キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じた」恵みの大きさを述べています。難しい言葉が多いですのでかみ砕いて話します。

11:割礼という言葉が聖書にあるのかと驚かれる方がいるかもしれませんが、イスラエル民族はずっと割礼を大切にしてきました。神とアブラハムの関係の中で創世記17章1節~14節(旧約23頁)に書かれていまので調べてみましょう。アブラムが99歳の出来事です。

1節~2節「私は全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、まったき者であれ、わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす」

4節~5節「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民(くにたみ)の父となる。あなたの名は、もはや、アブラム(父は高められる・高められた父)とは呼ばれない。
あなたの名はアブラハム(多くの国民の父)と呼ばれる。わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民(くにたみ)とするからである。」※信仰の父の誕生(私達含む)

7節~8節「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたの間に、また、あなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神である。わたしは、あなたの寄留の地、カナン全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる」※無条件契約 今も有効

9節「あなたはわたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も代々にわたって。
10節「次のことが、わたしとあなた方との間で、また、あなた方の後の子孫との間であなた方が守るべきわたしの契約である。あなた方の中の男子はみな割礼を受けなさい。
11節。あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい(※男性性器先端の包皮をナイフで切り取る)それが、わたしとあなた方との間の契約のしるしである。
12節。あなたがたの男子は皆代々にわたり、生まれて8日目に割礼を受けなければならない。

これがアブラハム契約(無条件契約)に基づいて実施されるもので、創世記12章(75歳)15章で神がアブラハムと結んだ契約を踏まえ、99歳の時、結ばれた神との契約のしるしが割礼です。神への信仰の応答として罪を脱ぎ捨て、神の前にまったき者としての割礼をイスラエル人は非常に大切でした。しかし後に彼らは、心と思いが新しくされ、神に仕えるより、割礼の形だけに固執して本来の意味を見失い、割礼を受けることのみを誇りとしてしまったのです。
パウロは割礼の本質的な意味をよく理解していたので、コロサイ2:11でコロサイの人々に割礼を受けなさいとか、受けないと信仰的でないとは言いませんでした。むしろ、あなたがたは、キリストにあって人の手によらない割礼を受けました。肉の体を脱ぎ捨てキリストの割礼を受けたと宣言しているのです。このように割礼は、そもそも父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊なる三位一体の神への契約のしるしとして従順や全き信仰の表れだったのです。でありますからパウロは宗教的理由で割礼を受けなければ祝福がないとは言わないのです。

ポイントはコロサイ2:11のキリストにあってという言葉です。己の罪を認めキリストを信じた人は、目に見えませんが、キリストの中へ入り、キリストの新しい命に満たされている。それこそ人の手によらないキリストの割礼を受けたのです。キリストの十字架の御業を信じキリストと一つになり罪の赦しを受けている人に肉の割礼は必要ありません。

12:キリストの割礼は、イエスを信じた人が受けるバプテスマ(一般的には浸す)と関係があります。バプテスマは①イエスを救い主と信じて救いを受けた時に目に見えませんがキリストと一つにされる聖霊のバプテスマ②救いを受けた後、水に浸されるバプテスマ(滴礼)があります。    ここでは多分後者の方だと思います。バプテスマの時、水の中に入りキリストと共に葬られ、古い生活とサヨナラし、水から上がった時、キリストと共に新しい命によみがえったことを象徴しています。これが神の力を信じた結果キリストと一つにされます。
 
それ故割礼は、神への従順、謙遜、まったき信仰を表す面ではバプテスマと共通点があります。自分の罪を捨て古い生活にサヨナラし、キリストにあって生きるのです。

13~15節 信仰の中心であるキリストの十字架の御業を信じた私達の置かれた立場について述べています。「背きのうちにあり、又、肉の割礼がなく、死んだものであったあなた方を」
信仰を持つ以前のコロサイ人の姿です。同時に私達の姿でもあります。でもキリストは素晴らしいものを彼らに多くの恵みを用意しました。
(以下の5つ)
①神が彼らをキリストと共に生かした⇒永遠の新しい命を与えた。
②私たちのすべての背きを赦し⇒生まれながら持っている罪をすべて赦した。
③債務証書(借金証書)を無効にした⇒聖書の律法(旧約聖書、モーセ五書)は正しいもので私たちが如何に罪深いものであるかを示している。様々な規定で私たちを攻め立てている債務証書です。しかし律法は私たちの罪を示すが解決してくれません。現実の姿を示すのみ。
④十字架に釘付けして取り除いた⇒キリストが十字架の御業により罪の問題を全て解決した。
⑤様々な支配と権威を武装解除した⇒私たちを縛り付ける悪霊どもの支配からも解放してくださった。最終的にキリストは悪霊どもを勝利の凱旋の時にさらし者、見世物にした。

この様にキリストの十字架の御業を信じ罪の赦しと救いを受けた人には大きな力と特権があります。これが古い生活から新しい生活へとつながっていく原動力なのです。それはただキリストを信じてキリストと一つにされ、キリストに結び合わされることから始まりです。
11節のキリストにあってという言葉がポイントです。是非キリストに結びあわされたものとしての力強さを再確認して益々主の前に誠実に、謙遜に主に信頼して歩ませていただきましょう。