コロサイ人への手紙(9)

2023年9月3日
聖書箇所:コロサイ2章6~15節
宣教題:キリストのうちに根ざして

おはようございます。2023年9月第1週目を迎えました。今日はこの後聖餐式があります。まだ暑い日が続いておりますがお元気でしょか?私は先週胃カメラ検査をしましたが全く以上ありませんでした。皆様の祈りに支えられ感謝です。またネット配信をご覧のあなたもおはようございます。今週も本庄キリスト教会の礼拝にご参加くださり嬉しく思います。
 さて今日は2章6節からです。時間の関係で10節までになります。この個所はパウロがキリストを受け入れたものがキリストにあってどう生きるかを述べています。

6:主イエス・キリストを私の罪から救ってくれた救い主と信じた人に対する勧めです。この勧めはごく自然なことです。天地の創り主なる神を信じた人は偶像を拝んだりしません。又、人間がサルから進化したものとは考えません。

ここでのポイントはキリストにあって生きよと言う言葉です。キリスト者はキリストが考えていることを求め、一致を目指して生きる。又キリストを模範として生きる。私達の心の内に残存する罪が邪魔して完全は難しいですが、キリストが共にいるので生きる方向性は明確です。

例えば行動する時には①イエス様ならどうするか考える。決して自分一人で勝手に進まないこと。②次に祈り。祈りは神との話し合いなので一方的祈りではなく、神の御心を求め待つようにします。③そこで必要なのは聖霊の助け、聖霊がすべての面において導き、主の御心が示されるよう聖霊に導かれるように祈り求めることです。

7:パウロが具体的にキリストにある生き方を4つ示しています。
①キリストの内に根ざす。
私たちは目に見えませんが、キリストを信じたので既にキリストの内にあります。キリストと一つからだに連なり、キリストから絶えず恵みや力を受けている立場です。そのことをもっと意識してキリストの内に深く根ざし力を受け(養分)なさいと勧めています。その為にも私達がキリストへの信頼を深めていく事がキリストに根ざしていく事につながります。

②建てられ。
 この言葉「建てられ」と書かれていますので受身形です。誰によって建て上げられるか?キリストです。そうすればキリストが力を与えてくださりキリストが建て上げてくださる。建てられるという書き方は、教会形成を建物に例えています。キリストに根ざしキリストを信頼していくなら、キリストの力が増し加わり、教会も人生も建て上げられ整えられていくのです。それ故更に意識してキリストの教会を霊的に建て上げてまいりましょう。

③教えられた通り信仰を堅くする。
 ここは気を付けて読むべき個所です。当時旧約聖書39巻は完成していましたが、新約聖書はまだ完成していませんでした。故に間違った教えや、律法主義が入りやすい状態でした。
当時は偽の教師が巡回していたので使徒たちの教えを堅く守ることが必要でした。使徒の定義は、キリストの直接の弟子又は直接キリストによって任命された人です。彼らに教えられた通り信仰を堅くすることが求められました。今は聖書66巻が完成しているのでこれに従う事です。でも牧師が教えることが全て正しいと思ったら大きな間違いです。牧師も人間ですから、私も含めて間違った事をいう場合があるので鵜呑みしないでください。その為にも、聖書66巻をバランスよく学んで理解することが求められます。そして常に聖書が何と言っているかを求めていく事です。こうすれば教会形成は補強され堅く建てられていくのです。

④あふれるばかりの感謝。
 今までの3つのステップを経過すれば、感謝にあふれた信仰生活、教会形成へ向かっていきます。皆さんの中で感謝や喜びの無い方がいますか?もし何の喜びがないとすれば、どこかずれています。キリストの内に根ざし、キリストの力によって建てられ、使徒たちの教えを堅く守るなら信仰生活に喜びや賛美、感謝が湧いてきます。是非自己点検して信仰の健全化を点検しよう。

8:邪魔するものは何?
私達の信仰の喜びを奪い取ろうとする勢力が常にあり、霊的な信仰の戦いがあることを忘れてはなりません。パウロ時代の邪悪な教えは何か?あの空しいだましごとの哲学。哲学とは知識、知恵を追求する学問で有りますが、当時教会に忍び寄ってきた哲学は偽物の教えです。
①空しい。中身がなく空っぽだとパウロは述べています。
②でも当時の人々にはそう見えなかったのです。非常に高度な学問で、人を幸せにするものに見えました。グノーシス(霊知)で霊は善、物質は悪と教える。イエスは仮の姿で現れたと教えます。でもこの教えは聖書から出たことでもなく、神から出たことでもなく、ギリシャ哲学から伝わった、人間の言い伝えであり、その背後には惑わしの霊(悪魔、悪霊)の働きによるものです。聖書と全く正反対のことを教えるだましごとの哲学なのです。

※現代のも空しいだましごとの哲学は沢山あります。例えば旧統一協会、ある程度聖書のポイントを知っていれば文鮮明が再臨のキリストであるとはどう考えても信じません。又彼らが言う韓国がアダムの国で、日本がエバ国であるという適用は誰も信じません。又先祖が地獄で苦しんでいるから壺を買いなさいと言われても、誰も買わないはずです。だましごとの哲学なのです。
進化論もそうです。生命が偶然に発生する事はあり得ません。又進化論が教える偶然から人生の目的は何も出てこないのです。もしあなたが進化論のだましごとの立場に立つなら、あなたの人生には目的のない空しい人生で終わってしまいます。偽の教えは勧められません。

9:私達が求めていくべきものは何ですか。
それはキリストの内にこそ。神の満ち満ちた性質が形をとって宿っていると述べています。神で有るキリストが人として肉体をもってこられた、このお方の内に神のご性質の全てが満たされているのです。それ故、私たちはこのキリストを見上げキリストの内にある宝物を自分の全人生をかけて発見してまいりましょう。

10:私たちはキリストを信じ、キリストと一つにされ、キリストにあって十分に満たされた立場とされました。キリストこそすべての支配と権威のかしら(源、源流)ですから、この事を確信して信仰の歩みを確かなものとしてまいりましょう。
結び
もう一度私達の信仰を点検しキリストに根ざしているかどうかを確認して生きよう。