コロサイ人への手紙(4)

2023年7月30日
聖書箇所:コロサイ1章15節~20節
宣教題:御子は教会のかしらである 

おはようございます。2023年7月最後の礼拝となりました。今日も共に集まることが出来感謝します。またネット配信をご覧のあなたもおはようございます。暑い日が続いておりますがお元気でしたか?本庄キリスト教会の礼拝に参加してくださる事を嬉しく思います。今日はコロサイ人への手紙から4回目の学びになります。聖書箇所は1:15~20になります。

前回パウロの祈りを通して、キリストの救いを受けたことに寄る恵みや、救いを受けたものとしてキリストにあって良いわざを結ぶ必要性も考えました。その中で前回言い足りなかった14節の「贖い」についてもう一度復習したいと思います。私たちは贖いという日本語を普段殆ど使いません。※私は先日Aさんに贖い出されたので本当に感謝でしたなどと言いますか?言わないですよね。
贖いは、例えばある人の大きな問題(自分では解決不可能)を解決するために代価を払ってその人を買い取ることです。例えば1億円の代価を払って問題を解決したら、その場合代価を払った人のものになります。ここが贖いのポイントですね。特別に意味のある日本語です。
※これをイエスと私たちの関係でいうと、私たちは自分の罪の問題を自分で解決することが出来ません。そこで罪がない主イエスが私たちの身代わりとして十字架にかかって死に、葬られ、三日目に死人の中から復活しました。この御業を信じたら救われます(罪の赦しと永遠の命を受けます)。そして救い主イエス・キリストの所有とされます。それが代価を払って買い取られた、贖われたという意味になります。贖い出された私たちも主イエスの所有とされたというのが14節の贖いの意味です。そういうわけで私たちは自己中心に生きることはできないのです。

15:贖いのみわざの根拠は主イエス・キリストは、コロサイ書で御子と呼ばれています。今日はこの御子がどのようなお方かを4つの視点で考えてみましょう。
イエスは神でありながらこの地上に来られた時、神でありながら人間と同じように肉体をもってこの地上に来られました。但し私たちと根本的に違うのはイエスに罪が無いことです。

①御子は見えない神のかたちです。 
神は霊なので人の目で見ることはできません。でも主イエスは人の目に見える形でこの世界に来られたのです。イエスは神の本質の完全な現れで、神の御性質を全部備えています。ですから私たちが神を知ろうとするならば聖書を通してイエスを知ることが一番の近道です。

御子イエスは神より一ランク下がる方ではありません。何故ならすべての造られたものより先に生まれたお方ですから。マリヤから生まれたから生まれたと言っているのではなく、長子・長男で相続権を持ち、父なる神に対して子という立場の神なので生まれたと表現しています。イエスは、すべてが創られる前に存在している神です。故に本質は父なる神と全く同等なお方です。ですから見えない神のかたちであるイエスをより深く知ることが神理解のポイントです。

②御子は創造主なる神です。 
天と地にあるもの、見えるもの見えないもの(王座も主権も支配、権威、すべて御子にあって(in中にある)創られた。世界中のすべてのもの過去・現在・未来が御子イエスの支配の中にある。これがあってという言葉の意味です。

次に万物は御子によって(通して)造られた。創造のみわざは父、御子、聖霊なる三位一体の神のみわざであります。神はこの世界を1日24時間合計6日で創られました。その時御子も天地創造のみわざに参画しました。御子イエスは、世界のつくり主で無から有を作り出す真の神です。

最後は御子のために造られた。この造られたという言葉の中に私たちも入ります。では何の為に私たちを造られたのか?そうです。御子イエスの栄光を現わすために命を与えられ、この世に生を受け今生きているのです。あなたの生き方を通してイエスの素晴らしさがあらわされていく。これが私たちの人生の目的なのです。私たちが目指すのはただそれだけです。自分の誉れ栄光はどうでも良いのです。

17:③御子は永遠なるお方です。
「御子は万物に先立って存在し」この意味はこの世界の基が置かれる前に存在している永遠の存在者こそが御子イエスだと言っています。万物の秩序や法則は偶然にできたのではなく、御子イエスによって精密の上にも精密さをもって造られ成り立っています。今の終末時代にあってもキリストの支配の中でこの地球は守られています。

やがて反キリストが現れ世界中を恐怖に陥れる7年間の大患難時代が来ますが、御子イエスの再臨によって反キリストは滅ぼされ、世界はキリストを中心に千年続く全く新しい平和な時代が訪れます。こののち地球は焼けて崩れ去り、新しい天と新しい地(いわゆる天国)が出現し永遠の世界へと変わります。そこまで含めて御子キリストは永遠の存在者であります。

18:④御子はそのからだである教会のかしらです。 
教会はキリストのからだです(エペソ書)。コロサイ書では御子はその教会のかしらであると言っています。かしらとは第一のもの、権威、源という意味で、長老(牧師)、執事(役員)はキリストの指導の下で教会に仕える神の僕です。その働きゆえに尊敬を受けることはありますが特別に偉いわけではありません。常に教会はかしらなる御子イエスのみこころ求めつつ、この地上で従っていく群れで有ります。これを正しく押さえることが重要です。

 いかがでしたか。今日は御子イエスのお姿をパウロがコロサイ書で語っている個所から学びました。私たちにとってこの基本的な事をしっかり覚えてまいりましょう。①御子は見えない神のかたち②御子は創造主なる神(世界は御子にあって(in)、又御子を通して、そして御子の為に創られたのです)③御子は永遠なるお方です。④御子はそのからだである教会のかしらです。

結び
今こそ私たちは自己中心に生きるのではなく、絶えず教会のかしらである御子イエスの御心、お考えは何かを求めつつ、前に向かって進んでいく事が求められています。それは牧師や役員だけでなく、全信徒に求められているのです。イエスのみこころに従順にお従いしてまいりましょう。