キリスト・イエスにつくプテスマ

2023年5月14日
参照聖句:ローマ人手の手紙6章1節~14節
説教題:「キリスト・イエスにつくプテスマ」 

おはようございます。2023年5月第2週目の主の日を迎えました。今日は礼拝の後に●●●●さんの洗礼式を行います。
またネット配信をご覧のあなたもおはようございます。お元気ですか?あなたが本庄教会の礼拝に参加してくださることをうれしく思います。今日は洗礼式ですので特別メッセージを用意しました。ローマ人への手紙6章1節~14節から「キリスト・イエスにつくバプテスマ」という題でご一緒に学んでまいりましょう。
 
 イエスを救い主と信じて救いを受けた人は必ず水のバプテスマ(洗礼とも言います)を受けます。バプテスマの意味は水に浸す(つける)、沐浴する、洗うという意味があります。
よくある誤解として洗礼さえ受ければ救われるという考えをもつ人がいます。でもそれは間違いです。実際はその逆でイエスを救い主と信じ、救いを受けたから洗礼を受けるというのが正解です。これは大切な事なのでこの順番を是非とも再確認していただけると感謝です。

話は戻りますが私たちがクリスチャンになるため最初にすべきことはどんなことでしょうか?修業を積む事か?それとも善行を積む事か?いいえ聖書で救いを受ける条件は私たちが善行を積むことによって救われるとは教えていません。ただ信仰によってのみ人は救われます。そして救いを受けたら今後は自分の周りの人の幸せを願い良い業を沢山行うようになります。

ではどうすれば救いを受けることが出来るのか?それはイエスを救い主と信じることのみです。
具体的にはコリント第一15章1節~5節にあるキリストの十字架の御業を信じれば救われる。これを良い知らせ、福音と言います。この福音を信じることにより私たちは罪から救われ新しい命を受けるのです。

福音の中身は以下の3つです。
①キリストが私たち(自分の為)の罪の為に死なれた事。イザヤ53章他、十字架刑。
②キリストが葬られた事(イザヤ書53章)
③キリストが聖書(詩編16章、レビ記23章)に書いて通り三日目に復活したこと。
イエスは三日目に栄光の体をもって復活しました。勿論創造主なる神の存在を信じていることが前提ですが、この事実を信じた人をクリスチャンと言います。信仰によって人は罪の赦しと新しい復活の命にあずかるのです。

でも救いを受けても外見的な変化はありません。が内面が変化(霊的変化)します。それが今日の聖書箇所ローマ人への手紙6章1節~14節です。今日は時間の関係で5節迄になります。
この手紙は使徒パウロがローマの家々にある教会の人たちにあてた手紙です。私たちにキリスト信仰の本質を示す大変貴重な手紙です。

1:クリスチャンの信仰を誤解している人が、(神の恵みを深く知るために自分たちが罪の生活を続けたほうが良いのか)という質問にパウロが答えています。普通クリスチャンになったらこのような質問をするはずがありません。でも実際にこのように考えた人もいたのです。

2:パウロの答え。絶対にそんなことはありません。イエスを信じてクリスチャンになったら罪に対して死んだのである。一度限り決定的に罪に対して死んだのです。だから罪を犯し続けることはあり得ないのです(弱さゆえに罪を犯すことはもちろんありますが)。これがパウロの答えでした。その理由と意味が次に出てきます。

3:こんな大切な基本的なことを知らないのですか。
①「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちは」これが非常に重要な言葉です。
バプテスマ。先ほど申し上げた通り、水に浸す(つける)、沐浴する、洗うという意味です。これをキリストと私たちの関係でいうと、私達がキリストにつながる。結合する。一体にされると置き換えるとわかりやすいです。キリスト・イエスにつくのは目に見えませんがキリスト・イエスの中へ入るという事です。うわべだけくっついたのではなく、私達がキリストの中へ入ることです。こうしてキリストと一体となったことをキリスト・イエスにつくバプテスマを受けるとか、聖霊のバプテスマを受けると言います。キリストとつながったのでキリストの命を直接受けているのです。この恵みを人の目で見える形で表すのが水のバプテスマ。洗礼と言う事になります。キリスト漬けになったと言う事です。

②次にその死にあずかるバプテスマを受けた。続けてパウロは語ります。キリストは私たちの罪を赦すために十字架で死にました。キリストを信じたらその死にあずかる。このあずかるのも、前のつくと同じ言葉エイス(into)が使われています。死の中へという意味です。キリストを信じた人はキリストと一体(バプテスマ)したのでキリストと共に死んだと言う事になります。

③キリストは死者の中からよみがえりました。信じた私たちはキリストとつながっていますからキリストのよみがえりによって共によみがえり新しい命を受けて歩むのです。(4節)。

まとめが5節と6節です。私たちはキリストを信じてキリストと一つにされました。
キリストが死んで復活したように、私たちもキリストと共に復活の命、立場を既に受けています。
別の言葉でいうと私たちの以前の古い人(古い生活)はキリストと共に十字架に付けられ死んで復活したのです。それ故私たちも罪の奴隷として歩むことはありません。今日はここまでです。

纏めますとキリストの救いは、信じる信仰によってのみ与えられます。そして信じた人はキリストとバプテスマ(結合、一体)されたのでキリストの新しい命を受けました。これが信仰によってのみ与えられる一方的な神の恵みによる救いです。恵みの定義はふさわしくないものに与えられる神からの一方的な良いものという意味です。

今日は目に見えない聖霊のバプテスマを受けた竹内さんがキリストと一つにされ救いの恵みを受けたことを目に見える形で水をかける洗礼式を執り行います。それではお祈りしましょう。