ここにはいない よみがえられた

2023年3月12日
参照聖句:ルカ24章1節~12節
説教題:「ここにはいない よみがえられた」 

おはようございます。2023年3月第2週目主の日を迎えて感謝します。また今日は
本庄キリスト教会の召天者合同記念礼拝にお越しくださいましてありがとうございます。
今年は3年ぶりに執り行うことが出来ますことを大変うれしく思います。
また、ネット配信を通して共に礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?
ネット越しでは有りますがお会いできてうれしく思います。それではまず初めに出席されたご家族の皆様方の為にお祈りさせていただきます。

今日はルカの福音書24章1節~12節を通して、先に主の身許に召された先輩たちの信仰について思いを寄せて共に考えてみたいと思います。

仏教では法要を大切にします。なぜか?人は亡くなってから49日までに仏様のいる極楽浄土(欲望や煩悩苦しみのない世界仏や菩薩が暮らすところ)に向かうとされています。そこに行くまで段階があり7日目に三途の川のほとりに到達し川を上手に渡れるように法要をします。(初七日)

閻魔大王の裁きを受けるとされる35日目の法要はより丁寧に行うようです。そして49日目に故人が成仏する事を願い法要を執り行います。7日ごとに閻魔大王の裁きを受け、49日目に極楽浄土に行けるかどうかの最後の審判を受けると言われています。生きている者が僧侶に経をあげてもらい、死者のたましいを供養するのが一般的なようです。
続いて既に極楽浄土に行った故人を更に精進の道へと導く為に営む法要が1周忌、3回忌、7回忌、33回忌で長い修行を締めくくり菩薩(仏の次の位)の道に入りご先祖様=守り神になると言われています。このように仏教では生きている子孫の供養が大切になってきます。

しかし聖書の世界には亡くなった方の為に今生きているこちら側が供養することにより死者の立場が変わるとは教えていません。すべての人の霊は死んだら創り主なる創造主のもとに帰ります。死んだ瞬間、私達が手出しできない神の領域に移ります。亡くなった方の為に供養する行為や気持ちは尊いものですが、それによって立場が変わるとは教えていません。この点は明確に違いますのでご理解いただきたいと思います。

では創造主なる神を信じ、自分の罪を悔い改め、イエス・キリストを救い主と信じた方はどうなったのでしょうか。そうです、主イエス・キリストによって新しい命を受け、地上の生涯を終えた瞬間、栄光の体に変えられイエス様の身許に移されます。場所は想像(架空)の世界ではなくイエスの身許である天の御国、新天新地に移されるのです。それ故、今日の集まりは供養のためでなく、生前の信仰者の生き方を思い起こし、神を礼拝し、家族が主にある慰めと励まし、希望を受けるのが召天者合同記念礼拝なのであります。

では私達の信仰の先輩たちは何を信じていたのでしょうか。聖書はこのように分厚い書物ですが、全部暗記したら救われるとは教えていません。聖書は一生かけてゆっくりと楽しみながら教会や自宅で学ぶべき書物です。でも大切なポイントは最初に抑えておくべきです。それが今日の聖書箇所ルカの福音書24章で、キリストが十字架の死後3日目によみがえったことです。キリストの
十字架刑は人の根本問題であるあなたの罪を赦す為、罪のない神の御子が身代わりになって死んだのです。その十字架刑が神の、み前に正しい事を示すため、キリストは死んで3日目に神の力によってよみがえったのです。これを信じたら救われるというのが聖書のメッセージです。

まさしく信じる者は救われる。私達にとって非常に有難い話です。ですからこれを福音と呼びます。でも中々信じられないのがキリストの復活です。正しい人が悪い人の命を救う為に身代わりになって死んでくれたのは何となく受け入れることが出来ます。でも復活となると話は別です。
死んだ人がよみがえるという話は今まで聞いたことがありません。お釈迦様も、孔子も死んで後よみがえりませんでした。

1:キリストの女弟子たちがキリストの死後3日目、週の初めの日(日曜日)早朝、キリストが葬られているお墓に行って遺体に香料を塗ろうとして出かけたのですが、この時、石がわきに転がしてありました。この時代この地方のお墓は大きな洞穴の中に造ります。女性たちはこの時、空っぽの墓を見て、み使いに出会ったのちに別のところで復活のイエスと出会っています。

11~12:その話を聞いたペテロ達は、ばかばかしいとおもいその話を信じませんでした。でもお墓に確認しに行くのです。するとやっぱり亜麻布だけが残っていてイエスの体が見当たりません。その後ペテロは栄光の復活の体を持った復活のイエスと直接出会って信じたのです。このようにキリストの復活を事実と信じるまでには時間がかかります。私達の信仰の先輩たちも、ある時にキリストの復活をそのまま信じて救いを受けたのです。

今日のポイントは途方に暮れてしまった女性たちに語ったみ使いの言葉です。
5~6:(読む)あなた方はどうして生きている方(キリスト)を死人の中で捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。霊がよみがえったのではなく、朽ちない体でよみがえったのです。これがキリストの復活です。

 キリストは私の罪の身代わりとして十字架の上で6時間苦しまれた後、死んで葬られ、栄光の体に変えられて三日目によみがえりました。今も生きています。これを信じたらあなたも私も救われる(即ち罪の赦しと新しい命を受ける)のです。そして死んで後にキリストと同じように栄光の体に変えられる。これを福音、gospel、良い知らせと言います。
 
ですからキリスト者の死に、慰めや希望、励ましがあるのです。又私達よりも先に信仰をもって死なれた方々にも希望があるのです。死は絶望ではなく、わからないところにいくわけではありません。やがて天の御国で再会する希望があるのです。
今日もう一度信仰の先輩たちを思い起こしてぜひ皆様方もそれに続いてください。それではお祈りいたしましょう