あなたはいつでも弁明できるか

2023年1月15日
参照聖句:使徒2:40~47 
説教題:あなたはいつでも弁明できるか(副題:信仰生活50年を振り返って③)

おはようございます。2023年1月15日、共に集まり礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。またネット配信を通して共に礼拝をささげているあなたもおはようございます。お元気でしたか?今日も会堂にいる皆さんとともにみことばを学び礼拝をささげてまいりましょう。
 
元日と8日の礼拝で自分の信仰生活50年の歩みを振り返って、疑問に思っていることを一緒に考えました。それは日本のキリスト教会は一生懸命伝道しているにもかかわらず、何故信者が増えないのかという事にテーマでしたね。勿論自分自身の小さな経験を踏まえてのことですが。

今まで2回話しましたが、皆さんはどう受け止めましたか?その要因とは「社会的弱者に対し理解と実践が乏しかったのではないか、すなわち目を向けていないと言う事」です。このままだと教会は社会的弱者を忘れているので地域の中で埋没し、人を救いに導くことができないまま、超高齢社会、少子化とともにキリスト教会も減少・消滅方向に向かっていきます。そこでこの危機的状況を打ち破るべき生き方を提案していきました。今日は3回目の最終回です。

結論は私たちが愛する日本でキリスト教会本来の役割を果たしていけば日本は元気になります。その為には、キリスト教会の在り方の基本として初代教会の姿から学ぶ必要があります。
そこで使徒の働きを読みましょう。2章41節~47節。この個所はペテロがペンテコステ(五旬節)の時、世界中(地中海沿岸諸国)からエルサレムに集まっていた人々に対し、福音を語っているところです。結果どうなったか。
41:イエスを救い主と告白した者がバプテスマを受けた。多分全身を水の中に入れる浸礼方式だと思われます。その数3000人というからすごい多人数です。おそらく数か所に分かれてバプテスマ式をしたと思います。その後彼らはキリスト者としてどう生きたかがポイントです。

①42:使徒たちの教えを守り
イエスから特別に任命され立てられたのが12使徒です。後にパウロも使徒に任じられました。信者は使徒の語る言葉に耳を傾けその教えを守ったのです。これを私達に適用すると新約聖書の言葉を良く学びそのことばに従うと言う事です。学びの基本は聖書を歴史的、文化的背景を踏まえながら文脈で学ぶこと。

②交わり(コイノニヤ)
44節の(一つになって)と関係あります。キリストを信じるとは、己の罪を認め、キリストの十字架の死と復活を私の罪の為であると信じることです。その時、目に見えませんがキリストと連なり、キリストの新しい命を受けます。信者はキリストの一つ体に加えられその一員となります。
これがキリストにあって一つ体とされた教会で、信者は主にある兄弟姉妹として交わり神の家族共同体の一員とされたのです。交わり(コイノニヤ)を絆(きずな)という言葉にするとわかりやすいです。人と人が信頼関係に基づいて絶つことが出来ないほどに一つに結ばれている状態。

キリスト信者になると、キリストにあって一つに結ばれているので、当時のエルサレムにいたユダヤ人信者たちは幾多の経済的困難を乗り越えることが出来たのです。彼らは自発的に自分が持っている財産や所有物を売って経済的に弱い立場の人を助けたのです。本当の意味で共有財産主義(共産主義)ですね。この形態は長くは続きませんでしたが、困っている人がいたら持っている人は持たない人の分を出し合って助けるという生き方は残っていきます。45節の言葉ですね。しかもこれは無理なく実施しています。必要に応じて分配したとありますから。

③パンを裂き、祈りをしていた
これは主の晩餐と呼ばれる礼拝です。イエスが十字架にかかって死ぬ前に弟子たちに対し命じられた食事会礼拝です。パンをとり、とって食べよ。これは私の体です。また杯をとり、これは多くの人の為に流される私の契約の血です。初代教会はこのような主の晩餐(夕食会)と共に礼拝がささげられていました。祈りも当然礼拝の中で捧げられるものであります。
又、毎日心を一つにして宮(神殿)に集まり、家々でパンを裂き(主の晩餐)礼拝し、喜びをもって食事を共にしていた。毎日の食事に事欠く人でも心配なく一緒に食事が出来たと思われます。このように聖書から学び、神の家族として共に交わり、礼拝をささげ、食事を共にしていた。
これが初代キリスト教会の姿でした。彼らの生き方から本質を学び生きることが重要です。

④民全体から好意を持たれていた。47節
 このような信仰と生活が一致していたので特別なことはしなくてもキリスト信仰の素晴らしさが証しされたのです。結果は民全体から好意を持たれた。何故か。先ほど見たように当時のエルサレム教会の兄弟姉妹たちは経済的困窮の中にあって自発的に財産を持っている人が、持たない人に対して必要に応じて分配していたのです。このように社会的に弱い立場の人でも安心して交わりに加えられるのがキリスト教会です。この姿勢を学びたいものです。教会はお金持ちも貧しい人も集まってよい場所なのです。結果的にこの流れの中で救われる人が続けて起こされていたのです。

結び ⑤弁明(証)の用意をしなさい。 ペテロの手紙 第一3:14~16 469頁
ここはペンテコステから30年の時間が経過しています。キリスト教が地中海沿岸地方にも広がり皇帝ネロによる迫害下にあってペテロが兄弟姉妹たちを励ました手紙がペテロの手紙第一です。迫害下の中でも彼らは喜んで主に従っていました。ペテロは勧めます。キリストの為に苦しむ事があっても恐れたり、おびえたりする必要はありません。むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。

あなたがたのうちにある希望について、説明を求める人には、誰にでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。この姿勢が私達にも重要です。無理して伝道々と構える必要はありません。
キリストにあって普通に生きていればその生活の中に愛が溢れ出てくるので周りの人は、あなたの喜び溢れる生き方を見て。「あなたは私と違う面を持っている。その生き方の秘訣は何ですか」と尋ねてくるのです。その時にキリストの福音、十字架の死と復活を語ればよいのです。それが
16節の弁明の言葉であり証です。結果的にキリストにあるあなたを悪く言わなくなるのです。
 
これがキリストにある生き方です。当然社会的に弱い立場の人に対しても大いに愛を示しているはずです。自分自身も様々な弱さを持つ一人として、私たちの周りにも弱さを持つ方は多くいます。その人に愛を示す。病気の人を祈り、お見舞いし、声をかけて励まし、悩んでいる人の話を聞き、経済的に困っている人がいたら、みんなで具体的に助ける。おなかがすいている人がいたら食事を提供する。私達が主にあって当たり前の愛の行為を当たり前に実行すればよいのです。 

私たちもこの5つを覚え、初代教会のように生きるなら必ず、あなたも教会も変わっていきます。そして日本のキリスト教会は信仰的にも、人数的にも成長します。救いを受ける人も確実に起こされてくるでしょう。①使徒たちの教えを守り②交わり(コイノニヤ)③パンを裂き、祈り④結果として民全体から好意を持たれていた。そして一歩進んで⑤弁明(証)の用意をしなさい。
是非、私たちのあるべき原点に立ってこれからの信仰生活を歩んでまいりまし