テサロニケ人への手紙第一(4)

2022年12月16日

2015年5月3日
聖書箇所:Ⅰテサロニケ3:1~13
宣教題:責められるところのない者として 

今日はテサロニケ人への手紙Ⅰから4回目の宣教になります。聖書箇所は3:1~13です。この手紙は使徒パウロ紀元50年頃に書いた新約聖書中最初の手紙です。パウロたちはテサロニケ教会を設立後、迫害を受けた為にすぐに別の町に移動せざるを得ませんでしたので短い期間しか滞在しておりません。しばらくして教会の人たちは自分が教えた通りに歩み、教会形成がなされているだろうかと心配して訪ねたいと願っていましたが、サタンの妨げにより再訪問はできませんでした。それゆえ若い同労者テモテをテサロニケに遣わして教会の様子を調べてもらうことにしました。その報告を受けて書かれたのがテサロニケ人への手紙Ⅰです。3章はテモテを派遣した時の事情から話が始まります。

テモテを遣わすパウロ3:1~5
パウロはテサロニケに行きたいと願っていましたが、妨げがあり、行けませんでした。それで我慢できなくなり、自分はアテネに残り同労者テモテをテサロニケに遣わした。理由はテサロニケ教会の信者の信仰を強め励ます為(2)、苦難の中にあっても動揺する者が一人もいないようにする為(2)誘惑者(悪魔、サタン)が彼らを誘惑しないためでした。(5)
ここで私たちが覚えておくべきポイントは、キリスト者になったらすべて良いことばかりということはあり得ません。誰でもさまざまな苦難に会うよう定められている事です。(3)

テモテから報告を受けるパウロ 3:6~10
ところが(6)
テモテの報告によると彼らの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれた(6)
テサロニケの人々はパウロたちをいつも親切に考えてくれている(6)
パウロたちといつも会いたいと願っている(6)
7~10にはパウロたちもテサロニケ教会の兄弟姉妹によって慰めを受けたと言っています。慰めとは悲しみから喜びに変えられるという意味です。これは慰め主である聖霊様の働きによるものであります。
このパウロとテサロニケ人教会の関係をみると如何に良い関係であるかが良く分かります。
これは何故か、互いに相手を信頼していたからです。この信頼が崩れると良い関係が保てなくなります。

パウロの祈り3:11~13
この部分はパウロの祈りです。
・どうか道を開いてテサロニケに行けますように(11)
・お互いの関係を愛で満たしてくださるように(12)
・キリストの再臨の時、神の御前で聖く、責められるところのない者としてくださいますように。
キリストの再臨、プレゼンスは何時か分らないけれどもから必ずあります。これはキリスト者にとって大きな希望です。この時に聖く、責められる事のないものとして歩ませて頂こう。
ポイント
キリストの再臨は、ご自分のすべての聖徒と共に再び来られる(歴代のすべての信者の事)何の為か、キリスト再臨の後に千年間のキリストの王国時代が始まります。もしあなたも、この時代に召されているならばキリストと共に再臨して世界を治める仕事にあずかるということです。しかも、朽ちる肉の体ではなく、朽ちない栄光の体をもってという意味です。イエス様から信任されて任されるのです。

現代に生きる私たちに適用してみよう
1、主の恵みを受ける源である関係の大切さ。
パウロとテサロニケ教会の兄弟姉妹はお互いが尊敬し、信頼する良い関係でした。
この良い関係はどのようにして築きあげられてきたのでしょうか。
①イエス・キリストにあって父なる神と正しい関係を持つ。それは主の恵みを感謝し、主に信頼して生きていた。
②互いに相手を尊敬して生きる真実な人間関係があった。

2、キリストの再臨について聖書が言っていること
①新約聖書の視点でみると今は終わりの時代。必ず主イエスは来られます。ただ今でしょとは言えない。いつ来るかは誰もわかりません。
②聖書はキリストの再臨の記事で満載です。テサロニケ人への手紙もテーマは再臨です。
③再臨は希望である。神のみ怒りから私たちを救ってくださる為に天から来る(1:10)すべての聖徒と共に再び来られるとき(3:13)

暗唱聖句
Ⅰテサロニケ3:13 聖く、責められない者になるにはどうしたらよいか。
①主を待ち望んで生きる事です。そうすれば主イエスが聖くあるように、私たちも聖霊様のお力によって聖い生活をするようになるのです。

②自分の使命を明確にして、その使命に生きる事です。そうすれば、あなたも幸せ、相手も幸せ、主なる神の喜んでくださる。人と比較しないで自分らしく生きる。この為に創造主なる神は私たちを創られ生かしてくださっているのです。このような生き方をさせていただこうではありませんか。