ガラテヤ人への手紙(9)

2022年12月15日

2015年9月27日
聖書箇所:ガラテヤ4:8~20
宣教題:あの喜びは今どこにあるのか 

今日はガラテヤ人への手紙9回目の学びになります。この手紙は使徒パウロがガラテヤ地方の諸教会に充てて書かれた手紙です。テーマは福音の真理(信仰によって義とされること、別の言い方をすると信仰義認です)ここから外れたガラテヤ諸教会に対してもう一度キリスト信仰に立ち返るように促す事でした。
そして前回はこの世の幼稚な教え、別の言葉で、この世の原則に生きるのではなく、キリストの原則に沿って生きる事が信仰生活成長の鍵である事を学びました。今日の聖書箇所も前回の続きでガラテヤ書の中心テーマがかかれている部分です。
8節~11節 この世の原則に逆戻りしてしまったガラテヤの人々
12節~20節 パウロの願い

それでは今日も学んでまいりましょう。
8節~11節 この世の原則に逆戻りしてしまったガラテヤの人々
ガラテヤ人とは聖書から見ると私たちと同じ異邦人であり多くはユダヤ教と関係ありません。それは同時に神々と呼ばれる偶像を信じる人が多くいたことになります。聖書のモーセ律法による神の義の基準は知りませんので何が良いことであり何が悪であるかという事も知らない人々です。偶像の教えに心を支配される生き方でありますので、本来は神でない神々の奴隷でしたとパウロは述べています。

※日本人に共通の部分があります。日本にも様々な偶像の神々と呼ばれるものがあります。その神々を信仰すると心が自由になり、平安があると思うようで、実は縛られています。そして今日は日が悪いから、これをしてはならない、あれをしてはならないという事になります。例:ある人は家を建てて引っ越しする際に、直に新しい家に引っ越しをしないで、途中の中間地点に家を借り数か月住んでから、やっと新居に移るというような事があります。これは本当にある話です。占いの霊によって心が縛られて奴隷となっている証拠です。
9節
ガラテヤ諸教会の信徒たちは真の神、世界を創り、人間を造り、生かしてくださるお方を知るようになったにもかかわらず、むしろ更に神に知られているのに、あの無力、無価値な幼稚な教えに逆戻りするのですかと語り掛けています。どうして、この世の原則の奴隷になってしまったのかと語り掛けているのです。ところがガラテヤ諸教会の人々は愚かにも罠にはまってしまったのです。※この聖句の注目点は私たちが創造主なる神を知っている以上に、この創造主なる神は私たちをよくご存じで、しかも愛しておられるという事です。(いやむしろ知られているのに)毎日何をしているか。どんな心で生きているか全てご存知です。
10節
そして各種の月や日を守り、年や季節を守らなければならないという、しなければ、ならないという、世界の中で生きる様になってしまったのです。キリスト者も形式的になりやすい存在で、特別の日を決めて守り安心を得ようとします。例えば中身に関係なく日曜日の礼拝に出席さえすれば安心とか。実はこの信仰は本来の聖書が教える信仰ではありません。

※不思議に思われる方がいるかもしれませんが、主の日と呼ばれる日曜日さえ、絶対守らなければならないというものではありません。実は聖書のどこにも、週の初めの日、日曜日の礼拝を守るようにとの戒め、命令はありません。キリストの弟子たちは日曜日の朝によみがえられたキリストを覚え自発的に礼拝しました。故にキリスト者は自発的に週の初めに日に集まり礼拝を捧げる様になりました。このようにキリスト信仰はキリストの御霊、聖霊を受けた者たちが自由に礼拝を捧げて生きるのが本質です。
12節~20節:パウロの願い
ここは長いのでポイントだけ話します。20節までパウロの願いがかかれています。13~14節:パウロがどうしてガラテヤ地方で伝道するようになったかを知る事が出来ます。断定はできませんがパウロは何かの病気をして体が弱くなり、ガラテヤ地方に立ち寄ったと思われます。それは彼の体を見ると一歩引いてしまうような醜い部分があったのかもしれません。でもガラテヤ人たちはパウロを軽蔑したり、きらったりする事無く、真心をもって接して迎えたのです。
15節:目をえぐり出して私に与えても良いと思ったではありませんかと書かれていますので、パウロの病は目に関する事であったかもしれません。しかし今あの信仰の喜びは聖書信仰と違った間違った教えにかき回されてどこかに吹き飛んでしまいました。かき回す人々によって惑わされたガラテヤ人たちは福音の恵みから締め出されてしまったのです。
19節~20節 
パウロの願い(ポイント)あなた方の内にキリストがかたち造られる事を願う。
どうかキリストにあって福音の真理に立ち信仰が成長してほしい。心の中のキリストが十分に働かれるようにという願いであります。あなた方と一緒にいればもっと柔らかな口調で話せたらと願っているパウロの心がかかれています。

適用
○私たちの信仰が逆戻りしないためにはどうすべきか
あの喜びはどこに行ってしまったのだろうか。律法的になって人を裁いてばかりいないだろうか。この世の幼稚な教えのとりこになっていないだろうか。この世の原則で生きているか、それともキリストの原則で生きているか。いつも確認して生かされようではありませんか。
暗唱しましょう。ガラテヤ4:7 
結び 私達はこの世の原則に惑わされこの世の考え方の奴隷になる必要はありません。罪の身代わりとしてのキリストの十字架の御業を信じて、罪赦され新しいものとされました。新しい命をいただき、神の子供とされました。今日、もう一度自分たちの信仰を確認して、福音信仰に立ち信仰が逆戻りする事が無い様に甦られた主イエスキリストを見上げて歩んでいこうではありませんか。