ガラテヤ人への手紙(5)
2015年8月30日
聖書箇所:ガラテヤ3:1~15
宣教題:十字架につけられたイエスを見上げて
8月最後の日曜日となりだいぶ涼しくなりましたがお元気にお過ごしでしょうか。今日もまた皆様と共に礼拝をささげる事が出来ますことを感謝します。私は先週水曜日に夏休みをいただき、妻と長男と共に東北宮城県に旅行してきました。初日は石巻祈りの家に寄りました。阿部さんご夫妻から様々な現地の話を伺いました。石巻の場合は災害復興住宅が各地に出来ており、仮設住宅の半分くらいは空き家となっている感じでした。二日目は南三陸町に寄りましたがここは町全体が壊滅してしまったので今盛んに盛り土をしています。なんと10メートル積み上げています。要塞という感じがしました。かね久海産に寄りましたが、売り上げはかつての4割という事で、完全回復にはまだ時間がかかりそうです。三日目は三浦さき子さんの慶明丸に寄って昼食をいただきました。今回慶明丸の塩蔵ワカメは300グラム入りで大サービスになっていますので是非皆さんもご利用ください。またこの地区の仮設住宅を訪ね5名の方々とお茶会をしてきました。4年前に本庄教会からも献金いただいた内からガスの洗濯乾燥機を贈りましたが、これが今も使われており大変喜ばれています。改めて大震災で被災された方々を忘れることなく様々な形で震災復興協力していければと願っています。是非本庄教会としても覚えて祈って協力いただければ感謝です。
さてガラテヤ人への手紙は今日で5回目です。3章になります。1~5本物の信仰から迷ってしまったガラテヤ人に対する問いかけがあり、6~14信仰によって神の前に正しいとされたアブラハムの例が述べられています。この箇所は長いので30分では細かく学びきれないのでポイントだけにします。
○1~5
「あなたはイエスの御霊を受けていますか。別の言葉でいうと神の聖霊を受けていますか」3:2、3,5、14に御霊の事が出てきますのであえて質問します。いかがですか。イエスを救い主と信じたら誰でもキリストと一つにされキリストの命をいただきます。その証拠に御霊(聖霊)が信仰者の内に住まわれるのです。
1:ああ愚かなガラテヤ人。何故愚かなのでしょうか。それはイエス様の十字架の御業は私の罪の為の身代わりの死であったと信じて救いを受けたのに、別の言葉でいうと、パウロの伝道によってイエスを信じる信仰によって救いを受けたのに、その信仰がいつの間にか変節してしまったのです。だからパウロはああ愚かなガラテヤ人と言っているのです。
2:質問、ただこれだけは聞いておきたい。
御霊を受けるとはイエスを救い主と信じた結果与えられる事です。すなわちイエス様が私の罪の為に死なれたこと、葬られたこと、三日目によみがえられたことを信じたら罪ゆるされ、救いを受けます。キリストと一体とされキリストの命を受ける事、それは律法を行ったからですか、それとも信仰によるものですかと問いかけています。
3:あなた方はどこまで道理が分からないのですか。
5:イエスを救い主と信じて新しく生まれ変わりその証拠に御霊が与えられたのではないかと問いかけています。イエスの十字架の御業は私の罪の為であったと信じて与えられる救いです。それなのに信仰に+して律法(割礼)を受けなければ信者としては二流であると教えられその気になってしまったのがガラテヤ人たちの信仰でした。パウロはくどい様に救いは信仰によるものである事を何回も述べています。
○6~14
パウロはキリスト者の信仰の在り方、また人としての生き方を「信仰の父アブラハム」を例にして述べています。それは単なる宗教はなく、人は創造主によって最初から人として造られ生かされている存在です。このお方に背を向けた罪の人生からこのお方を仰ぎ見て生きる事が当たり前の生き方なのであります。
6:彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。どのような背景があるのでしょうか。創世記15:6を開いてください。アブラハムはこの時すでに高齢となり、後継ぎがいませんでしたが、神は彼を外に連れ出し夜空を見せました。そしてこの数えきれない星のように増える事を約束したのです。アブラハムはその神の言葉を信じたがゆえに神によって義と認められました。そして当時の習慣に従った方法で契約の儀式を結びました。また神はアブラハムの子孫に広大な土地を与える事も約束されたのです。ガラテヤ書は創世記を理解すると意味が伝わってきますので皆さんも創世記を読んでみてください。
7:信仰によって生きる人々がアブラハムの真の子孫でありキリスト信仰者の生き方であります。
同時にそれこそが創造主によって命を与えられた人間共通の生き方なのであります。
14:信仰によって約束の御霊を受ける事がかかれていますが、これはイエスをキリストすなわち救い主と信じた信仰の結果約束の御霊を受けるのです。あなたは受けていますか。イエスを救い主と信じていれば受けていますのでご安心ください。
適用
○頑張るクリスチャンはやめて信頼するクリスチャンになろう
自分の力だけを信じて、自分の力により頼んで信仰生活を全うしようとする頑張るクリスチャンがいたら今日限りやめましょう。何故かと言うと聖書が教える信仰ではないからです。自分の力により頼んで主に喜ばれようとするクリスチャンはいつの間にか心が傲慢になり、一生懸命に奉仕していない人を見ると裁きの心が湧き上がってきます。また頑張る信仰生活はいつか必ず疲れ果てます。皆さんの中に頑張るクリスチャンの方がいましたらは今日限りやめましょう。
ではどうするか。聖書本来の信仰生活は主イエスの十字架を見上げ、主の恵みに生かされ、主から力を受けて信頼して生きる事です。主なる神は全知全能の神であり、あなたに関心を持ち、あなたの人生を恵み導いてくださるお方です。だからこの真の神に信頼して、この方から受けた聖霊の力に励まされて生きるのです。そうしたらあなたの人生はどんどん変わっていきます。あなたに与えられた、賜物が見えてきます。あなたの人生の使命が見えてきます。そして使命に生きればクリスチャン生活が楽しくなります。それこそあなたの天職です。そうしたらあなたの周りの人も幸せになります。主に信頼して生きるクリスチャンとされましょう。
暗唱しましょう。ガラテヤ3:11
結び 信仰で始まったガラテヤ諸教会の兄弟姉妹たちは偽物の教えに心が奪われてしまいました。そして律法と呼ばれる教えに心が奪われキリストの心から離れてしまいました。いつの間にかキリストを信じた信仰の喜びが飛んでいきました。
今日もう一度私たちも信仰から信仰へと歩むことを確認してまいりましょう。そして信仰の根底にあるのが私の罪の為に十字架上で死なれ、葬られ、甦られ、今も生きておられる主イエス・キリストを見上げて生きる事です。お祈りいたしましょう。