ガラテヤ人への手紙(4)

2022年12月14日

2015年8月23日
聖書箇所:ガラテヤ2:11~21
宣教題:イエス・キリストへの信仰による義 

ガラテヤ書は4回目の学びになります。今日の話は私たちと身近な食事に関係があります。皆さんの好きな食べ物は何ですか。実は旧約聖書のモーセの時代にイスラエルの民が40年間荒野を旅している時、主はモーセに食べ物の規定(レビ記11、申命記14章)について教えました。例えば動物では足の蹄が分かれ、反芻するものは食べて良いとされた。蹄が分かれていない、また反芻しない動物はあなた方には汚れているから食べるなと命じました。具体的に牛は蹄が分かれ反芻するので食べて良い、豚は蹄が分かれているが反芻しないので汚れているから食べてはならない。反芻とは:一度飲み込んだ食物を口に戻し、またよく噛んで口に入れることです。ところで皆さんの中には牛のように反芻する人はいますか。その人は聖い人間です。本気にしないでください(無関係)。
魚については鰭や鱗がない物は汚れている。鳥は鷹や鷲などの猛禽類は汚れているとされました。この旧約の規定で行くと日本人の好きな鰻や豚肉は汚れている事になり困ってしまいます。でもご安心ください。主イエスがすべての食べ物は聖いと宣言されましたから。

しかしイエス様の十字架の御業によって信仰と恵みによる救いの時代になっても、多くのユダヤ人はずっと細かい食事規定を守り続けました。特に一旦偶像に捧げた肉は食べませんでした。これは地中海沿岸地方で偶像の祭りの時に肉を捧げる異教の祭りで行なわれる事です。日本的に言うとお盆の時に仏壇に捧げられた供え物を食べないという事です。
そのような中でキリストを信じてキリスト者になったユダヤ人は律法の食物規定に従って食事してよいかどうかが非常に重要な事でした。アンテオケ教会のクリスチャンの場合は多くはギリシャ人でしたのでユダヤ教の背景はありませんからユダヤ的な食物規定の習慣はありませんまた。また一部のユダヤ人クリスチャンも旧約律法を乗り越えて普通の食事をしていました。同時に当然の事ながら旧約聖書時代の食生活を大切にするユダヤ人クリスチャンも沢山いました。この背景を理解したうえでこれからの箇所を読むことが必要です。

今日の箇所は長いので30分では無理です。ですから大きな流れで読んでいきます。
11~16福音の真理
11:ケパとはアラム語で岩という意味、ギリシャ語にするとペテロです。ここでは使徒のペテロを指します。ここでペテロはシリヤアンテオケまで訪ねて異邦人教会の人々を励ましたのではないかと思います。この時に食事のことでペテロは本心を偽った行動をとってしまいました。それは極めて大切な信仰、福音の本質に関わる事でしたのでパウロは抗議したというのです。理由12:ペテロは普通に旧約聖書の食物規定に関係なく異邦人と一緒に食べていたのですが、割礼派:ユダヤ教右翼の過激派原理主義者でありキリスト者ではない。この人々が来るとペテロの心の内に彼らに対する恐れが出てきて一緒に食事することを辞めてしまいました。そして離れてしまったのです。
13:あの温厚な慰めの人バルナバまでもがその行動に引き込まれて本心を偽る行動をとった。
14:福音の真理に立って歩んでいないのでパウロは面と向かって抗議したのです。その内容は21節まで続きます。要約すると
①どうして異邦人に対してユダヤ人の生活を強いるのか 14
②すべての人はキリストを信じる信仰によって神の前に正しいとされるのではないか 16
③ユダヤ教に戻るなら自分が失格者になってしまうではないか。18
④キリストを救い主と信じる事により私はキリストと共に死に、キリストと共によみがえったのです。キリストが私の内に生きているのです。この神の恵みを私は大切にしています。19~21

今日的な意味は何か:神の民に与えた律法の言葉は人を救うことは出来ない。私たちが品行方正な生活をしても、聖人君子になっても人は救われない。毎週日曜日に礼拝に出席して聖書を読み、祈って、クリスチャンらしく振舞っても人は救われません。

聖書の主張は、ただ自分の罪を認め、キリストが私の罪の為に十字架の上で死なれ、葬られ、三日目に甦り今も生きておられる事を信じたら罪赦され救われる。キリストが私の内に生きておられるのです。只々イエス・キリストを信じる信仰によって歩むことが重要です。それゆえキリスト者は聖書を読み、祈り、礼拝して生きるのです。

適用
○本心を偽って行動する(背景にあるもの:人を恐れる)
ペテロはイエスの裁判の時に大祭司の庭で女中や下役の目を恐れて主を知らないと三度否定して否みました。ある田舎の教会の方の話を聞いた事があります。それは教会に行っていると人に言えない為に日曜日の礼拝に出席する時に教会から遠く離れたところに駐車場を借り教会まで時間をかけて歩いていくそうです。
あなたはいかがですか。この日本ではクリスチャンになると多くの場合、親や兄弟たちから誤解と偏見の目で見られます。酒もたばこも吸わず、ギャンブルや夜の街にも繰り出しません。会社でたまに付き合い程度に参加するのみです。なんと面白味のない人間かと言われます。お盆にも参加せず、線香もあげません。他の神々に偶像礼拝をしません。そうすると周りの人から世間知らず、常識知らず、しまいには日本人ではないとまでけなされる時もあります。
この日本では主イエスに真実に歩みたいと願うなら周りから誤解と偏見で見られます。そこで出てくる私達の心は人の目を気にする、恐れる事です。本心を偽って行動する事です。ここに日本人クリスチャンの戦いがあるのです。周りの人たちはキリスト者の生き方を見て嘲笑う人がいます。しかし誰も無責任に批判するだけです。私達の人生に責任を持って導いてくださる方は主イエスだけです。「和をもって尊しとなす」という文化を大切にする日本人の生き方を尊重しながらも人を恐れて、本心を偽る事なく聖霊によって知恵と力をいただき堂々と歩んでいこうではありませんか。

○福音の真理についてまっすぐに歩もう
当時のユダヤ人であるペテロたちにとって旧約聖書に記されている食生活は宗教的にも重要な事でした。故にけがれた物を食べる人と交わると自分も汚れると考えていました。すべての食物は聖いと言われたイエスの言葉が頭の中にありますが、長い間守ってきた習慣を変える事は容易なことではありませんでした。しかしその考え方が福音の真理からペテロたちを遠ざけてしまいました。
福音の真理に導かれた者として、いつも信仰と恵みによって歩む姿勢を確認しながら歩む姿勢が必要です。パウロのようにまっすぐ福音の真理をいつも確認しながら歩まされようではありませんか。たとえ時間がかかってもそれを目標にしながら生きようではありませんか。これがキリスト者にとって大切な事です。
暗唱聖句 ガラテヤ2:20 
結び イエスを救い主と信じたら救いを受け、キリストがあなたの内に住んで下さいます。福音を信じて新しい人生を一歩踏み出そうではありませんか。