ヤコブの手紙(9)

2022年12月14日

2016年1月24日
聖書箇所:ヤコブ4:11~17
宣教題:あなたはいったい何者か 

4章では私たちが成長したキリスト者として、また平和を作り出すものとして生きる勧めが次々に書かれています。例えば人の争いや戦いの原因は何か、別の言葉でいうと人は何故仲が悪くなり、喧嘩ばかりする関係になってしまうのだろうかという事。これに対してヤコブは聖霊、御霊なる神の働きが争いを治める大きな要因であり、また創造主との関係においてへりくだり、従い、常に神の考えを第一にして選び取る事が回復の鍵となる事を学びました。
今日の聖書箇所もその続きになりますが、ポイントは2つです。人間とはいったい何者かを理解する事や自分の命は自分の物ではないことを知る事であります。
今日の宣教題は「あなたはいったい何者か」になります。

○隣人を裁くあなたはいったい何者か
11:互いに悪口を言い合うな。それだけ人は自分が偉くなって人を上から目線で見て見下してしまうのです。
具体的には人をそしり、非難する(人の欠点や失敗をことあるごとに責め立てる事を非難すると言います)これは自分を上に置いて人を見下すような考え方、態度、生き方から来ています。残念ながらヤコブはこれをクリスチャンに対して言っているのです。という事は私達クリスチャンもこのような事をする罪深さが残っている人間だという事になります。
続けてヤコブはこれに対して別の視点から述べています。このような人をそしり、非難し、
さばく行為は聖書のみ言葉に対して悪口を言い、聖書を裁いているというのです。

12:更にこのような行為は人を滅ぼすことも、救う事も出来る創造主なる神に対して非難している事と同じであると言っているのです。そうするあなたはいったい何者か、普通の言葉でいうと、一体あんたは何様か、傲慢にも程があると言っているのです。

こうしてみると前回学んだ10節の主の前にへりくだりなさいという言葉が心に響いてきます。

解決策:自分に悪いところがなくても相手が続けて自分の悪口を言う場合にどうするか
※悪に対して悪をもって報いないようにする。聖霊の働きによって平和を保てるように祈り、
自分で復讐せず神の怒りに任せること。そうすれば相手に対して神が復習し裁き取り扱ってくださいます。(ローマ12:17~21)

○自分を過信する高ぶり
続けてヤコブは自分を過信する、自信過剰がいかに愚かな事であるかを述べています。
13:商売して儲けよう。よい商売をして利益を上げる、儲けることそのものは良いことです。
14:しかしここで決定的に欠けている点があります。それは自分の命は自分の物ではない事を知らない。大きな歴史の流れの中で見たら私たちの人生はほんの小さな存在です。
15:主のみこころなら、これが良いことです。主とは私達に命を与え生かして下さる創造主なる
   神。創造主に生かされているから私達は生きているのであって誰一人として自分の力で生きている人はいません。私達にそれほどの力はないのです。でも思い違いをしやすいのが私たちですので今日もう一度確認しましょう。私たちの命は創造主の御手の中にあるから今生きているのだという事を。この厳粛な事実を認めないと人は大きな思い違いをします。
16:しかし現実に人間はうぬぼれ、傲慢になっています。ここが人の弱さであります。

適用
今日のみことばは私達一人一人に対する言葉です。隣の人ではなく、私に対することばとして受け止めてまいりましょう。
人の命は創造主に握られている一つの例を紹介します。

○使徒12:20~23 この聖書箇所を開く
虫にかまれて死んだヘロデ。人々から神の声だ、人間の声ではないと崇められても小さな虫に刺されて命を落とすのです。長生きを願い、からだを大切にすることは良いことです。しかし人の命は生かされて生きるに過ぎないのが人間なのです。
まさしく私たちの命は創造主なる神に握られている証拠です。

○栃木県のある女性の死を通して。
60代後半女性 昨年11月に自宅で一人亡くなりました。
この方はある女性伝道者と自分の死後の事を相談するために話し合う事になっていました。
しかしその女性伝道者が訪ねた時にはこたつに入ったまま亡くなっていました。
女性伝道者が第一発見者で、直に救急車を呼び警察に届けたそうです。
この女性はもっと長生きしたいと願っても自分ではどうする事も出来ませんでした。
実は私がこの女性との関わりについて今後どうしたらよいかを女性伝道者から相談を受けていた矢先のことでしたので私も驚きでした。改めて人は自分で自分の命を伸ばすことは出来ず、生かされていきる存在である事を改めて教えられるのです。

結論
人を裁き、自分を過信するのが私たちです。キリスト者であっても良くやる事です。
今日もう一度神の前にあって、人の前にあって誠実な態度で生きていこうではありませんか。それは15節にあるような生き方です。主がよしとされるなら、私達は生きながらえて、これもしよう、あれも、しようという謙虚な態度こそ求められます。

暗唱聖句 ヤコブ4:11前半 お祈りします。