マルコの福音書(71)

2022年12月13日

2018年4月15日
聖書箇所:マルコ14:27~52
宣教題:私の時が来た 

おはようございます。今日もマルコの福音書から学んでいきましょう。今迄の流れを確認します。
最後の晩餐が夜遅く終わり、イエス様と11人の弟子はオリーブ山へ、続いてゲッセマネの園に行き祈りを捧げます。この時既に、今の私達の時間でいうと夜中の1時、2時頃になっています。ここからイエスを取り巻く状況が全く変わります。それはユダの裏切りにより逮捕されるという事です。逮捕された後、夜中から夜明けにかけ、短い時間の内に大祭司の姑アンナス、大祭司カヤパ、ローマの総督ピラト、ヘロデ、そして再びピラトの裁判、有罪判決、朝9時に十字架刑となります。今日はイエス様が逮捕される場面です。それぞれの人物についてみてまいりましょう。
◎イスカリオテのユダという人物
43:ユダはイエス一人を捕まえる為に群衆を引き連れてきました。実は数十人規模ではありません。ローマの兵士を含め400~500人以上はいます。圧倒的多数を引き連れてやってきました。過ぎ越しの祭りなので満月です。明るいが更に明るくする為、彼らはたいまつを焚いてやってきたのです。勿論多くの武器も持って。
44~46:合図を決めていた。ユダが口づけするその人。ラビと言って口づけしたらその人こそイエスだとあらかじめ決めていたのです。この口づけの習慣は日本ではなじみがありませんが、当時のユダヤ社会では一般的に行われていました。弟子が先生に示す愛と尊敬の思いのしるしでした。これが捕らえる合図だったのです。ユダは銀貨30枚を貰いイエス様を裏切りました。
◎イエスの態度
実はこの逮捕はイエス様が望んでいたのです。47節で一人の弟子が大祭司の僕に切りかかって耳を切り落とした事件がありますが、因みにこの弟子は誰か?ペテロ。イエスは、剣を鞘におさめよと言い僕の耳を癒しています。この時イエス様は逃げも隠れもしていません。実に堂々としていています。天から12軍団よりも多くのみ使いを呼び寄せて群衆をすぐに滅ぼす事も出来たのですがあえてそうしませんでした。
ヨハネ18:4~6で誰を捜すのかとイエス様自ら知っていて問いかけています。彼らはナザレ人イエス、直ぐにイエス様は「わたしだ」と答えました。彼らは後ずさりして地に倒れる。実はこの私だとは有名な神の名前です。それは「私はある」出エジプト3章で神はモーセに対して神の名前、私はあると述べています。IAM、イエス様ご自身が神であることを宣言している言葉です。
この流れから見ると力に満ちたイエスご自身が自ら彼らに捕らえられたという方が真実です。そのことを如実に示しているのは彼らの計画が外れている点です。彼らの計画ではイエスを死刑にするのは過ぎ越しの祭りを外す事でした。理由は世界中から人が来ていて、民衆はイエスを支持しているし、民衆の気持ちも高揚しているときにまずいというのが本音です。
一方イエス様が待ち望んでいたのは、過ぎ越しの祭りの時に神の子羊として呪いの十字架刑を受ける事でした。実にイエス様にとっては「私の時が来た」ということになります。そして私達キリスト者にとってもこの過ぎ越しの祭りの時にメシヤが十字架に掛からなければ意味がないのです。
◎弟子たち
50:皆イエスを見捨てて逃げてしまいます。ペテロをはじめとしてすべての弟子たちは数時間前まであなたを知らないなどとは決して言わないと言っていたのです。でもものの見事にイエスを捨てて逃げました。4、500人のローマ兵を見て恐れが出たのです。
◎マルコは
51~52:ある青年とは、実はマルコが自分の事を青年とのべています。後にペテロの従者となり活躍したあのマルコはこの場面にいたのです。彼は亜麻布1枚をまとってイエスについて行ったところ、つかまりそうになり亜麻布を脱ぎ捨てて裸で逃げたと若いころの自分を振り返って書いているのです。自分も昔はこの程度だったと告白しているのです。
以上がイエスの逮捕に関する記事ですが、これは4つの福音書にそれぞれの視点で書かれていますので読み比べて見るとさらに理解が深まります。
適用
◎自分の思いを優先して生きるな
祭司長たちはイエスを律法違反として捕えるにあたり、自分達の計画では過ぎ越しの祭りを外すとしていましたが、逆にイエスの計画が進んでいく事になります。イエス様にとっては過ぎ越しの祭りの時に十字架に掛かって死ぬことが計画でした。これは最後の晩餐の時ユダに対してイエスが言った言葉に、「あなたがしようとしている事を今すぐしなさい」ヨハネ13:27。この発言からも十字架刑は全てがイエス様主導でなされた事が分かります。
この場面は、彼らの思い通りに進んでいる様に見えますが、実はすべてがイエス様のシナリオ通りに事は進んでいるのです。別の言葉でいうと神の計画が進んでいるのです。
私達も自分のお心が主の御心であると誤解して取り組むことがありますが祈りつつ主の御心を確かめつつ進めていかないと同じ失敗を繰り返すと事になります。ベィビィ信者は卒業ですね。
◎成長を目指していこう
ペテロをはじめとする弟子達は弱い人ですね。最初は強がりますが立場が悪くなると、イエスを見捨てて逃げてしまうのです。本当に主を愛する思いは本物ですが、いざとなったら逃げるのです。しかも全員です。マルコも逮捕される恐怖のゆえに一目散に裸のまま逃げたのです。
 しかし聖書を読み進めて見ると聖霊を受けてからイエスに従い通す者へと変えられます。弟子たち全員が迫害を受けましたが、死に至るまでイエス様に従い通しました。
私達も彼らと同じようにイエス様を捨てて逃げるような信仰者でありますが、弟子の様に聖霊を受けています。この聖霊の力によってのみイエス様に従い通していく事が出来るのです。
◎イスカリオテ・ユダ
彼はもともと極悪人ではなく、私達の様に普通の人であったと思います。イエス様に最後まで愛され、最後の晩餐の時もイエスのすぐそばの左側に座ることを許されました。実にイエス様は最後まで彼の悔い改める事を願い関わって下さいましたが、ユダは主の愛を拒否したのです。
そして彼は特に金銭に貪欲、プライドも人一倍高く名誉心も強かったのです。何せ名前が都会派のユダというくらいですから。また弟子達の前でもとりつくろいという行為を続けていたのです。いわゆるだましですね。
その様な彼の心の内に悪魔は巧妙に入り、ユダの心を支配していきました。そしてついに彼は裏切りを実行します。悪魔はこういう人が大好きなのです。でも彼は数最終的には時間後、自分の行動を後悔して自ら命を絶っています。
 私達も極悪人ではありません。しかし神の前に悪を行いしやすい罪人です。平気で嘘をつき、人の物を盗むのです。人をののしり、高ぶります。自分を良く見せたいのです。今日こそ常にへりくだってイエスを見上げて歩んでまいりましょう。悪魔が逃げ去るような歩みをしましょう。
結び
ついにイエス様の時が来ました。イエス様自らゲッセマネの園で捕えられそして私たちの罪の贖いの御業である十字架刑へと進んでいくのです。あなたの時はいつですか。今でしょう。今こそ主イエスの心を心として歩む決断をする時です。今週もまっすぐに進む主を見上げて行きましょう。
ピリピ2:4~5をご一緒に読んで終わります。