マルコの福音書(66)

2022年12月13日

2018年3月4日
聖書箇所:マルコ14:10~16
宣教題:ユダの心と信仰者の心 

おはようございます。今日もマルコ福音書14章から学んでまいりましょう。振り返ってみましょう。イエス様は十字架刑につく週の火曜日にオリーブ山で弟子達の質問に答えて話されました。そして火曜日の夜、ユダヤの暦で水曜日、マリヤはベタニヤのシモンの家でナルドの香油をイエスの体に塗って埋葬の準備をしたのです。この時マリヤの行為をイスカリオテ・ユダ始め弟子たちは強く責めています。しかしイエスだけはマリヤの心、信仰を理解して受け止め逆に称賛したのです。
今日の話はこの後ユダのとった行動と十字架刑前日木曜日の出来事2つから考えます。それでは2つの場面10~11ユダの裏切り、12~16過ぎ越しの食事の準備を見てまいりましょう。
○10~11ユダの裏切り
10:ここは火曜日夜の食事の時、ユダヤの暦でいうと既に水曜日という事になります。ベタニヤシモンの家で食事会が開かれた際マリヤがイエス様にナルドの香油を塗りました。それがイエス埋葬の準備であるという事が分からなかった為、弟子たちはマリヤを責め始めます。しかしイエスはマリヤがこの時点でイエスの死を信仰によって受け止め理解した行為なので彼女を称賛しました。
一方弟子たちの貧しい人に施すという発言も真実だったのです。しかしユダの場合は違います。彼はイエス一行の会計係りでしたがいつもお金を盗んでいたのです。彼の場合は他の弟子達と違って動機がよくありませんでした。それ故イエスに知られたのではないかと思いとっさに出て行ったのかもしれません。彼はイエスの反対勢力のところに行ってイエスを売ろうとしたのです。

11:ここはユダと祭司長たちの交渉が成立した場面です。この時マタイ福音書26章によるとイエスの値段として銀貨30枚、奴隷一人分が支払われました事が分かります。因みに銀貨30枚は非常に安い値段です。因みにユダヤでは30という数字は軽蔑されます。それは奴隷の値段だからです。ですからイエスを売り渡された時に銀貨30枚が支払われた事は侮辱されている事を表しているのです。日本では4という数字は縁起が悪いとして嫌います。死につながるということで。また9というのも苦しみという事で嫌ったりします。いずれも根拠はありません。キリスト者にとっては全く問題ない数字ですのでこのようなものに縛られないようにしたいものです。また欧米社会では13という数字が嫌われています。よく13日の金曜日は縁起が悪いと言われますが聖書的な根拠は全くありませんのでご安心ください。
○12~16過ぎ越しの食事の準備
12:ここから木曜日の昼間になります。この日に過ぎ越しの食事の準備をします。過ぎ越しの祭りとはユダヤ最大の祭りでこの時は全世界から大勢のユダヤ人が集まっていました。過ぎ越しの食事はこの日一日行われ、続いて種なしパンの祭りが7日間お祝いされます。過ぎ越しの祭りに話は戻りますが、木曜日に神殿で多くの羊がいけにえとして神に捧げられレビ人によって屠られます。神殿で焼かれる部分は神殿でとっておき、残りは捧げた人達がこの日の食物となります。これが過ぎ越しの羊を屠る日にする準備です。その他、種なしパン、苦菜、ぶどう酒を用意するのです。

13:弟子の内二人を送ってとは、ペテロとヨハネの事です。この二人を都、エルサレムに送って、水がめを運んでいる男に出会うからその人について行けと指示しました。普通、水がめは女性が運ぶので男だと目立ちます。
14~15:家の主人に出会ったら14節の合言葉を言えば主人が過ぎ越しの食事をするゲストルームを見せてくれるからそこで用意しなさいと命じられ、イエスの言葉通りになります。因みにエルサレムで弟子たちを含めた13人が食事を出来るゲストルームを持っている家は大きな家です。お金持ちの家という事が分かります。しかもこの家の主人はイエス様と事前に打ち合わせをして大切な部屋を提供してくれました。間違いなくイエスをメシヤと信じる信者である事が分かります。

16:その通りになったので彼らはそこで過ぎ越しの食事の準備をしました。ここまでが今日の話になります。そしていよいよ17節~最後の晩餐という事になります。ここは大切なところでありますので時間をかけてしっかり時期から学んでまいりましょう。
適用
ここから何を自分たちに適用しますか。いつも言いますが解釈は1つ、ここで何がかかれているかは1つです。しかしここから学ぶべきことは沢山あります。たとえば、ユダの心と信仰者の心を対比してみるとどうでしょうか。
○ユダとマリヤの違い
マリヤは300デナリ分の香油を惜しみなく埋葬の用意としてイエスに注ぎました。礼拝行為であります。イエスに対して高額な香油を使っても充分価値があると思っての行為です。一方ユダはどうでしょうか。イエスの弟子でありながらイエスをメシヤ、救い主と信じていませんでした。そして損得ばかりを考えていました。そしてついに彼の心の中に悪魔が入ってしまいイエスを奴隷の値段である銀貨30枚で売り渡してしまったのです。ユダはイエスの価値を奴隷一人分にしか見ていなかったのです。300デナリと銀貨30枚では何とも大きな開きがある見方であります。あなたは如何でしょうか。イエス様を満足や自分の思いを達成する手段として利用する人ですか。都合が悪くなるとすぐに乗り換える人ですか。
それともマリヤの様に自分の全人生かかけても余りある恵みと祝福をもって導いてくださると信じて、お従いしようと心に決めましたか。心の姿勢を決める事で人生が全く変わってしまうのです。是非マリヤの方になって下さい。

○ユダとゲストルームを提供した主人の差
ユダは悪魔に心を奪われ、イエスを祭司長たちに奴隷一人の値段、銀貨30枚で売り飛ばしてしまいました。彼はまさしく名前の通りイスカリオテ、都会派の人物で洗練された人でした。非常に優秀な人でした。しかし彼はいつの間にか金に目がくらんで盗みをし続けたのです。イエス様はそのことは早くから分かっていて悔い改めの機会を与えていましたが、最初の熱い思いは消えてゆき
イエスの弟子であることが馬鹿らしく思えたのです。そしてイエスから心がどんどん離れ自分のたましいを悪魔に売り渡したのです。
一方ベタニヤのマリヤに続く信仰者、ゲストルームを提供した主人は以前からイエスに部屋を提供する事を決めていました。この大切な過ぎ越しの晩餐の為に用いられたのです。伝承によるとこの人物はマルコ福音書を書いたマルコの父親であると言われています。確信が揺るがずイエスを救い主と信じて行動した主人した人で、イエスへの信仰を貫きました。一方確信が揺るぎ悪魔に魂を売り渡してイエスを裏切ったイスカリオテのユダ、彼は自責の念に駆られてやがて自ら死を選んでしまいます。彼は後悔したが、悔い改めはしませんでした。後悔は同じ方向を歩んでいます。悔い改めは方向転換するのです。この差が3人の人生の結末を大きく変えたのです。
結び
皆さんはこの3人を見てどのような感想をお持ちですか。今日もう一度自分の心を吟味してイエスを仰ぎ見マリヤや客間を提供した主人のような信仰者とならせていただこうではありませんか。