マルコの福音書(7)

2022年12月13日

2016年8月7日
聖書箇所:マルコ1:29~34 
宣教題:癒し主イエス  

マルコの福音書7回目の学びになります。先週の礼拝は伊勢崎キリスト教会の金井辰雄牧師がご奉仕くださいました。Ⅱ列王記からナアマン将軍の従順な信仰について学ばれました。とても幸いな礼拝であったと聞いています。感謝します。

今日はマルコの福音書1:29~34を通して学んでまいりましょう。話は21節からの続きです。思い出してみてください。イエス様はガリラヤ湖近くに位置する町カペナウムの会堂で安息日に礼拝を捧げた時に悪霊につかれた人がいて大声でわめいていました。悪霊はイエスを「ナザレのイエス」と呼び支配をかけようとしましたが、逆にイエス様から「黙れこの人から出ていけ」と一括し悪霊はこの人から追い出されてしまいたした。こうしてイエスは悪霊と全く力が違う事を見せつけたのであります。実は悪霊どもはこの時点ですでに自分たちがどうなるかという事を知っていたのです。こうしてイエス様のメシヤ(救い主・キリスト)としての権威はたちどころに口コミで広まっていったのです。

今日の箇所は2つの記事がかかれています。1つはシモン・ペテロの姑(義母・義理の母)の癒しで、もう一つは多くの病人や悪霊につかれた人の癒しについてです。マルコの福音書の流れでは、言葉に権威がある方は実際の様々な業に於いても力がある事を示しています。それがメシヤ・キリストであると言う根拠にもなっています。

1、シモン・ペテロの姑の癒し 29~31
姑とはシモン・ペテロの奥さんのお母さんという事になります。義理の母・義母とも言います。これをまず覚えて下さい。29節「イエスは会堂を出るとすぐに」シモンとアンデレの家に入られたと有ります。仲間のヤコブとヨハネもついていきます。当然4人の弟子も安息日の礼拝を捧げた事になります。礼拝が終わったら直に家で一週間の内で一番おいしいい豪華な昼ご飯を食べる習慣がありました。シモン・ペテロの家は会堂から歩いてすぐ2~3分の所にあったようであります。ところがシモンの姑が熱病に苦しんでいたのでペテロたちは食事どころではなかったのです。何か思い空気が漂うような感じがしていたのではないでしょうか。
そこで人々の知らせを聞いてイエスは近づき、腰を下ろし、彼女の手を取って起こしました。聖書には書かれていませんがこの時イエスはお母さんに優しく声をかけたと思います。

ルカ4:39には熱が下がる為にイエスがその枕元に来て「熱をしかりつけた」と書かれています。悪霊を叱りつけていませんね。またここを見るとこの病は悪霊によるものでない事が分かります。人の病気を何でも悪霊のせいにする考え方がありますが、聖書の記述を読むと決してそうでない事がわかります。続けてイエスの手によって起こしてもらったシモンの姑はすぐに熱が引いて元気になりました。イエスの神としての権威により癒されたのです。そしてすぐに彼女はイエス様たちにお昼ご飯をもてなしたのです。当時安息日のお昼ご飯は1週間で一番おいしい豪華な昼食でした。

2、多くの病人や悪霊につかれた人の癒し 32~34
「夕方になった」とは安息日が終わって新しい日が始まったという事です。聖書の世界では一日が日没から始まり日没で終わります。ここが私たちの常識と違う点ですね。では何故日が沈むと人々が押し寄せたのでしょうか。当時の律法学者・パリサイ人たちの誤った教えにより安息日に病人を直すことは労働であるとして禁止されていたため人々は病気になっていても身動きできなかったのです。でも安息日が終われば、あのうるさいパリサイ人たちに文句を言われる事も責められることもないからです。そしてこの時間になると既にイエスのうわさは町中に広がって、人々は我先にと押し寄せてくるのです。こうして多くの人々が直接イエスから声をかけられ、あるいは触れていただいて癒されました。病気にかかっている多くの人や悪霊につかれている人もたちどころにして癒されました。特に悪霊に対しては、叱りつけ「この人から出ていけ」という言葉の権威をもって追い出したのであります。「彼らはイエスをよく知っていた」悪霊は自分たちがやがてイエスによって滅ぼされることを知っていますのでイエスに逆らうことなく人々から出ていきました。イエスこそ神の権威を持つお方である事をよく理解していたのです。一方悪霊を追い出してもらった人は正常に戻っていきました。

適用
○ペテロの姑の行動から(恵みから感謝・奉仕への順番がある)
彼女はイエスから熱病の完全な癒しを受けて熱が下がりました。その後ただちに起き上って人々をもてなしたのです。ここに恵みから感謝、奉仕の順番があります。奉仕をするから神の恵みを受けるのではありません。奉仕をするから恵みを受けると言う風に考えますと奉仕が出来ないと苦しくなってしまいます。そしていつの間にか信仰が形式化してしまう可能性があります。

そうではなくこの姑は神からの恵みを沢山受けました。その恵みの感謝として喜んで奉仕があります。彼女はそのことを体験して実践しています。私たちの行動も常に一方的な神の恵みを受けてそれに対する感謝があり、感謝の行動・奉仕へ続くのです。この聖書に基づく信仰の原則をいつも確認していきましょう。主の恵みを受ける、次に感謝、そして自分に出来る奉仕を喜んでする。

○メシヤの優しさから学ぶ
メシヤであるイエス様は優しいですね。シモンの姑に近づき、腰を落とし、そして手を取って起こされました。隣人に優しい言葉かけや態度には力があります。そしてイエス様の言葉や態度には力・権威があります。癒し主としての力です。この時に姑は癒されました。
私たちも自分の力で人にやさしくするのではなく、聖霊の力に促されて、励まされ、導かれて人に語る言葉を発し、人と関わっていきたいと思います。そうすると聖霊の力により優しくされます。
その為にも主イエスを信仰によって見上げてこのお方から力を受けて歩んでまいりましょう。

結び
イエスは神としての権威を持っていました。その証拠に悪霊を、言葉をもって追い出し、病につかれた人を、言葉を持ってたちどころに癒しました。私たちの信じているイエスとはこのような癒し主なるお方です。2千年前も神であるとともに今も神であり生きて私たちを支配しておられる権威あるお方です。そして天地の創造の時から存在し、この地球や宇宙を創り、人間を創り、万物を創られた創造主であります。この神である主イエスを信頼して今週も歩んでまいりましょう。