ヨハネの黙示録(20)

2019年6月16日
聖書箇所:黙示録20:7~15
説教題:千年王国が終わって  

先週はヨハネの黙示録20:1~6を通して千年王国について学びました。栄光のイエスが世界を治める平和な時代のことです。この千年王国の時に私達は栄光の体をもって、何らかの形でイエスのお手伝いをする立場になります。
旧約聖書には至るところにメシヤ的王国の様子が預言されていますが年数についての啓示はありませんでした。ですから人々はこれがずっと続くと考えていたようです。しかし、ヨハネの黙示録で初めてその期間が千年であることが啓示されました。旧約聖書を何となく読んでいるとスーと飛ばしてしまいますが、黙示録の千年王国について学びをしてから注意深く読むと、あ、ここって、もしかすると千年王国の記述かもしれないと思われるところが結構出てきます。そうすると聖書の読む方が変化してきます。例えば、今夫婦で詩篇を読んでいますが、2篇8節~9節は千年王国に於けるキリストの支配について書かれている事だと今は、はっきり分かります。是非皆さんこれから旧約聖書を読むにあたって至る所に出てくるメシヤ的王国について読み取っていきましょう。

さて今日は20:7~15までです。千年間と聞くと気が遠くなるくらいに長い期間と思いますが、日本で150年前は明治維新の頃、400年前は関ケ原の合戦が終わり、大坂夏の陣の頃です。500年前はルターの宗教改革の頃、千年前だと日本では平安時代です。そう考えると人生100年生きる人もいますから決して長くはありません。

7:その千年がやがて過ぎてキリストによる千年王国は終わります。何があったか、サタンが解き放されます。何故か、そんな理不尽な事があっていいのかと思う人もいるかもしれません。でも神は悪魔を解き放ったのです。理由は書かれていませんが、この後悪魔の影響である死と罪の問題を一気に解決するためかもしれません。サタンは底知れぬところ、アビスから解き放されます。

8:聖書を丁寧に調べると千年王国の初めは、栄光の体に変えられた者と、患難時代を生き延びた信者しか残っていません。しかし時間がたつにつれて患難時代を生き延びた信者から生まれた人たちの内から罪の性質が残っている不信仰な人も多くなります。千年もたちますと。サタンは何をするか、決まっていますね。不信仰な人を惑わし神に反逆を企てます。それがゴグとマゴクと呼ばれる人々です。エゼキエル38章に出てくるゴグ、マゴグとは違ってここでは神に反対する勢力をゴグとマゴグという言い方をしています。彼らは大勢の神に逆らう人々を招集してエルサレムを取り囲みます。エルサレムが千年王国の時、世界の中心都市です。それは9節に出てきます。

9:すると、・・・読む。天からの火が降って来て、たちまち焼き尽くされました。こうして最終的な人類の神への挑戦である戦いはここで終結となります。あっけなく終わります。

10:ここで一気に悪魔は神によって決着がつけられます。最終的には、千年前に火と硫黄との池に投げ込まれた、獣(反キリスト)と偽預言者が投げ込まれていたところに落とされて永遠に苦しみを受けるのです。火と硫黄との池、ここが一般的に地獄と呼ばれています。最終的に悪魔が投げ込まれる場所で既に千年前には獣(反キリスト)と偽預言者が入っている所です。こうしてすべてのキリストの敵はキリストの前に屈するのです。
ここまでが千年王国が終わったところです。今度は新しい天と地に移りますが、その前に最終的な裁きが待っています。それが11節~15節までの大きな白い御座の裁きの場面になります。

11:大きな白い御座、白は神の正しさを示しています。着座しておられる方は誰でしょうか。ここは全ての権威を父なる神に明け渡す前の事ですから、イエス・キリストと言う事になります。

天も地もその御前から逃げ去って跡形もなくなるとは、創世記1章から続いたこの天と地が消え去ることです。続いてどうなるか21章にあるように新しい天と新しい地が誕生するのです。そこは来週の話ですね。
今日はその前の新しい天と新しい地が出来る前に、イエス様によってなされる白い大きな御座の裁きがあります。ここで質問ですが、私たちもこの時にはイエスの前に出て白黒はっきりとさせられるのでしょうか?如何でしょうか?
答えはノーです。キリストの救いを受けている人はこの場面は関係ないので誤解の無い様に。

12:救いを受けなかった全人類が一人ずつ、キリストの裁きの御座の前に立ちます。死者の復活はこの場面です。この時に魂と身体が合体します。裁きの為に。そして数々の書物が開かれ、また命の書が開かれ、その書き記されている所に従い、自分の行いに応じて裁かれた。
ここでは苦しみの度合いが違う事が分かります。ある人は軽い苦しみ、ある人は非常に重い苦しみを受ける。それぞれの人生において歩んで人がイエスの前に出て総決算されます。因みにこの裁きの座には弁護士はいません。白い御座の裁きは正しく公平な裁きの場所です。

13:海はその中にいる死者を出しとは、体はどこにいても裁きの時には復活する。栄光の体の復活ではなく、裁きを受けるためイエスの前に出る為の復活です。例え海の中にいようとも。
死(墓)とハデス(死んだ人の魂が宿るところ)これが救いを受けない人が神の裁きを受ける為に経験する第二の復活と言います。

14~15:最終的に救いを受けていない人は死とハデスの中にいて火の池に投げ込まれる。これが第二の死、第一の死は肉体の死、第二の死は神との永遠の分離です。いのちの書に名が記されていない人は火の池に投げ込まれる。ここで絶滅するのではなく永遠に苦しむのです。

以上は私が考えた作り話ではなく、聖書が語っている事をそのまま皆さんにお伝えしました。
適用
神のトータルプランを理解する
神の御業は天地創造に始まり、私たちもこの時代に目的をもって誕生し生かされています。
そして今大きな流れでいえば終末時代の中にあります。いつかはわかりませんが、キリストの空中再臨があり、7年間の患難時代。そしてキリストの地上再臨、千年王国、最後に悪魔の反逆と滅び、キリストによる白い御座の裁き、永遠の新しい天と新しい地へと続く。これが聖書の世界観です。
結び
聖書から神のトータルプランの理解を深め、自分の賜物と使命を知り人と比較せず、主イエスの御心に従って、今日も昨日と同じように主イエスに信頼して歩んでいければ幸いです。お祈りしましょう。