ヨハネの黙示録(13)

2019年1月20日
聖書箇所:黙示3:18~29
説教題:明けの明星をあたえよう  

今日から黙示録になります。前回のおさらいをします。
今まで7つの教会にあてた手紙の中で4番目のテアテラ教会について学びました。この教会はイエス様から近頃の行いが初めに勝って良くなっていると評価されています。
しかし、イゼベルと言う女性の偽預言者によって持ち込まれた教えの誤りからテアテラ教会の人々は不品行と偶像礼拝をして罪を重ねていました。イエスはイゼベルの対し罪の行為を悔い改め、方向転換する機会を与えますが、悔い改めをしないでテアテラ教会を悪の道に導き続けました。同様にイゼベルの影響を受け、同じ道を歩んだ教会の人々も悔い改めませんでした。当然の結果として最終的にイエスの直接的な裁きが下されます。前回はここまで。23節までの内容です。

今日は後半の24節からの話になります。
24:今までの流れを見るとテアテラ教会は罪がはびこる教会に成り下がってしまいましたが、少数の人々は主に誠実に仕える信仰者たちでした。これを神の残れるもの、レムナントと言います。具体的にはイゼベルの教えに従わないで真直ぐに主イエスを見上げていた人々です。
イゼベルやその支持勢力とは一線を画していた人たちです。彼らとはテアテラ教会の異端グループの事。「サタンの深いところ」は、彼らによれば、奥深い神の秘密であって素晴らしい教えであると述べていました。でもそれは実は、それこそサタンの深みであり、悪に至らしめる教えだったのです。聖霊がすべての事をさぐり、神の深みに及ぼされる事と真逆の方向です。

でもサタンの深みを受け入れない人々はどんなさばきもありません。これは残りのもの、レムナントで教会の中では少数派でしたが、この人々は神から裁きの重荷を負わされる事はなかったのです。これがイエスの約束です。但しイエスのくびきは負いやすいので重荷となる事は有りません。

25:テアテラ教会の中で惑わされない人々は、続けてキリストの再臨の時まで待っている様に励まされています。

26:勝利を得る者、最後までしっかりと健全な教えを持ち続ける者に対する約束は何か。諸国の民を、又は全世界を支配する権限を与える約束です。これは未来に来る千年王国の時であります。そしてこの約束は私たちにも適用できるものです。やがて私たちも千年王国の時にはそれぞれを支配することを任されます。

27:千年王国の約束の続き、キリストの絶対的な支配、導きの力が及ぶこと。

28:夜明け前の真っ暗な南東の空から出てくる星の事、今の季節良く見る事が出来ます。これは金星です。是非朝の5時頃南東の空を見て下さい。明けの明星がひときわ大きく光り輝いています。但しこの聖句は金星そのものをよく観察してくださいと言っている訳ではありません。暗闇の中でひときわ光輝く星こそ、終末の時に明けの明星として再臨されるイエス・キリストの事を述べているのです。この約束は私達に対する約束でもあります。どうぞキリストの再臨を待ち望みつつ生きるキリスト者として歩んでまいりましょう。
29:御霊なる神の約束の言葉で締めくくられる。

適用
約束
○千年王国の希望
やがて、この地が千年間イエス・キリストによって直接治められる時代が来ます。これを千年王国と言います。その時には私たちにも何らかの支配が任されています。いつかは分かりませんが終末の7年間の大患難時代の後にキリストの再臨があります。その以降キリスト統治による千年間の平和な時代は始まります。やがて千年王国が終わり、新天新地が現れます。これは私たちにとって真の希望です。

○残れるものとして生きる
レムナントとも言います。現代のキリスト教会ははっきりしないで生ぬるい生き方をしているクリスチャンが多い時代です。イエス様が今の本庄キリスト教会をご覧になる時にどのような思いをもって見ているのでしょうか。そんな事を考えたら、只々襟を正して誠実に生きる事しかありません。

イエス様がラオデキヤ教会に対して嘆くのは熱くも、冷たくもない生き方に対してです。この生き方を主は嫌うわけです。
でもテアテラ教会の中に忠実な、熱い人々がいたようにいたように今のこの日本にも残れるもの、レムナントが必ずいます。弱さを抱えながらも主に誠実な人々がいるのです。私もそうありたいと願っています。私たちは弱い者たちですが、誠実に主に仕える群れとさせていただきましょう。

結び
今は終末の時代と言われています。人間の心や愛が冷えて、悲しい事が良くあります。暗い時代ですね。でも聖書によると夜明け前に近くなるとあの明けの明星である金星が更に光り輝くように、イエス・キリストは光り輝くお方として再臨されます。このお方は真に光り輝くお方です。そしてこのイエスの光を受けて私たちも光り輝くことが出来るのです。今週もイエス・キリストを見上げて歩んでまいりましょう。

世の中がどんなに暗くとも、イエス・キリストは明けの明星として私たちの光となって私たちを照らしてくださいます。お祈りしましょう。