ヨハネの黙示録(2)

2018年10月21日
聖書箇所:黙示録1:1~8
説教題:私はアルファでありオメガである 

先週からヨハネの黙示録を学び始めました。今迄個人的に何回も読みましたが、皆さんの前で離すことは出来ませんでした。黙示録は良くわからないという愚かな先入観があり前に進んでいきませんでした。しかし昨年あたりからハーベストタイムの中川健一先生の黙示録講座を学んで読み方が変わり、信仰の目が開かれてきました。比喩的、霊的解釈の読み方ではなく、そのまま聖書を字義通りに読むと聖書が分かるという事。勿論たとえは譬えとして読みます。字義通りとは著者の言わんとする事を捜し当てる読み方です。そして黙示録は、4章以降から未来の書であるという立場で読むと理解が深まります。いつの預言かと言いますと、この世界の完成の事であります。それはやがて今の教会時代が終わり、7年間の大患難時代が来ます。そしてキリストの再臨、全世界の裁き、千年王国、永遠の新天新地に関する事であります。世界的規模で書かれているのが黙示録です。そうすると黙示録は分からない謎の書物ではなく、当時の教会の信者にとって励ましと希望を与える者である事が分かってきます。そして私たちにとっても、これからの世界がどうなっていくかはっきり示されます。この中で私たちはどう生きるべきかが示される。それが聖書であり、黙示録であります。前回は黙示録全体を見てきましたので今日から順番に見ていきます。今日の所は序文(1~3)とあいさつ(4~8)になります。
○序文(1~3)
1:ヨハネの黙示録という題も間違いやすい。黙示とは覆いを取り除くという意味ですから、その視点で見るとヨハネには覆いを取り除いて神の啓示を知らしめることは出来ないので誤解を与えやすい言葉です。何故ならヨハネには覆いを取り除くことは出来ないからです。故に書き出しにイエスがなさったこととしてイエス・キリストの黙示と書いてあります。

すぐに起こるはずの事。普通すぐにと言えば今すぐに、数分、数時間以内に起こる。というのが普通です。でもここでのすぐは、終わりの時(7年間の大患難時代)が来たらすぐにということです。でもヨハネが黙示録を書いた時から1900年以上たっていますがまだ大患難時代には入っていません。今はまだ恵みの時代だからです。ヨハネはイエス・キリストの黙示を告げられるが、直接でなく、順番があります。神⇒キリスト⇒み使い⇒ヨハネの順番になります。これは意外ですね。でもこの様な形で神の啓示がある事は有ります。モーセ十戒の場合。神⇒み使い⇒モーセの順になっています。啓示を受けたヨハネはイエスから信頼されていた人物であるかが分かります。

2:神の言葉とイエス・キリストのあかしを自分が見た事すべてを書き記したと告白しています。
3:皆さんは聖書を何冊持っていますか。当時の信者は聖書を誰も持っていません。写本しかありませんので、数は圧倒的に少ないのです。聖書を知る手段は一つ。礼拝や集会に来て朗読を聞くしかみことばに接する方法はありませんでした。それが4節の言葉です。やがて15世紀半ばにドイツのグーテンベルグが活版印刷術を発明してから大量に聖書が印刷されるようになります。それまでは写本が頼りでした。話を戻します。預言の言葉とは黙示録のことです。これを心に留めてよく聞き実行する人は幸いです。神に祝福されているとヨハネは言うのです。
時が近づいている。聖書では時はクロノスとカイロスに分かれます。クロノスは流れる時間で、カイロスは神の時、即ちこの時、垂直の時、終わりの日、完成の時となります。2千年近く立っていますがまだその時は来ていません。ここまでが序文です。
○4~8挨拶
黙示録はヨハネからの手紙ですので、宛先があります。それがアジヤ州にある7つの教会です。アジヤ州とは今のトルコあたりで、1900年前には沢山のキリスト教会が存在していました。7つだけではありません。有名なコロサイ教会もあります。しかし宛先は7つの強化し教会宛です。7つとは完全、完成。十分な満たしを意味しています。完全数です。この7つでキリスト教会全体像を表す事が出来ました。どこの教会でしょうか。エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラディルフィア、ラオデキヤ。大きな問題を抱えていたのは5つ。愛と信仰の恵みにいかされていた教会は2つ。スミルナ教会、フィラディルフィア教会です。いずれの教会もローマ帝国から激しい迫害を受けていました。7つの教会は「教会全体」を象徴的に表しています。この教会に対して励まし、過ちを直していくように勧めたのが手紙の形をとっている黙示録です。

5~6:すごいのは三位一体の神の名に於いて書いていることです。今いまし、昔いまし、後に来られる方⇒父なる神、7つの聖霊⇒聖霊が7つあるということではありません。7つとは完全、完成。十分な満たしを意味しているので完全な聖霊の働きを現わしています。そして黙示録で最も大切なイエス・キリストを三番目に持ってきています。普通は父、子、聖霊の順番です。キリストの血によって私たちを罪から解放してくださった。王国、神の国の一員とされたという事。祭司とは人と神との間に立ってとりなす事。そのような立場をキリスト者に与えて下さったことです。キリストに栄光と力が・・・アーメン。これは大いなる三位一体の神の大きさに圧倒されて礼拝しているのです。栄光を神にお返しする頌栄の言葉です。
7:挨拶の最後
黙示録のテーマはキリストの再臨です。雲と共に来られること。この雲は空の雲、Cloudではありません。神の臨在、栄光を現わしています。イエスは天に帰る時に使徒1:9で栄光の雲に包まれて天に帰りました。帰ってくるときは特別な7年間の大患難時代の最後にこの世界を裁き、悪を一掃し、千年王国で王として支配するために天から戻って来ます。それをここでは彼(イエス)は雲に乗ってこられると言っているのです。別の言い方でキリストの再臨と言います。大切なのでしっかり覚えて下さい。黙示録のテーマですから。7年間の大患難時代終わりに来るキリストの再臨と大患難時代の前におこるキリストの携挙は違いますので理解してください。携挙は3:10でやります。話は戻りますがキリストの再臨は、全世界の人が見ます。2種類の人。1つは彼を突き刺した者たち。ゼカリヤ12:10の預言。この時にユダヤ人は民族的な悔改めをしてイエスをメシヤと信じる。2つめ、地上の諸族(全世界の人)も見るが嘆く。喜ばない。何故か。自分たちがメシヤに裁かれる恐ろしさを知っているから。すなわち不信仰な人々で在るという事。
8:今いまし、昔いまし、後に来られる方。万物の支配者、ここではキリストに当てはまる言葉になります。キリストの神性宣言。初めであり(アルファ)終わり(オメガ)。ギリシャ語の最初と最後の言葉です。キリストが神であることを示しています。旧約聖書では神を表す言葉です。
結び
○黙示録を通して世界の流れを理解する。1~3章 教会時代1900年以上たちました。これから先何年続くか分かりません。4~19章 大患難時代7年。20章 御国の時代 千年。21~22 永遠の時代 無限。これが聖書の示す世界観、歴史観です。そして世界はキリストを中心に動いています。キリストが歴史の真の支配者なので歴史はBC何年,AD何年と言います。
○キリスト信仰の本来の姿はキリストの再臨を待ち望む事である。何故か?キリストの再臨を待ち望みつつ生きる人は敬虔な生き方、生活に変ってくる。貴方はぼっと生きているクリスチャンですか。それとも目を覚まして再臨を持ち望んで生きる目を覚ましたクリスチャンですか。