コリント人への手紙第一(50)

2021年6月6日
聖書箇所:Ⅰコリント16:1~9 
説教題:収入に応じて 

おはようございます。ネット配信をご覧の皆様もおはようございます。今日もコロナ禍の中、
工夫しながら集まれることを感謝します。またライブ配信準備もありがとうございます。

さて、先週まで15章を通して、人が救いを受ける為にはイエスが、私達の罪の為に死なれた事、葬られた事、そして三日目によみがえられた事を信じたら救われる事を確認しました。救いは罪の赦しと永遠の命を受けることで、救われたと言っても、人がすぐに立派な信仰者に成長することではありませんのでご安心ください。神と正しい関係を結んだだけで、成長は一歩一歩という人が多いようです。
しかし、キリストの空中再臨の時になると話は別です。私達の体は一瞬にして栄光の体に変えられ、救いが完成します。体の贖い(redemption/リダプション)が起こり、ここで救いが完成します。また、救われると、イエス・キリストの十字架の血潮の贖いによって神に買い取られ他ことになります。買い取られると所有権は神に移りますので、私達は既に今、自分のものでなく、買い取ってくださった主のものになります。それ故、私達は主のみこころを最優先して生きる。これがキリスト者の理にかなった生き方になります。

今日は、16章まで来ましたが、手紙の締めくくりとして、献金と信仰の励ましが書かれています。こかから、献金について、そして献金の取り扱いについて、2つに絞って学びます。

●献金について
1:昔も今も変わらない原則ですが、教会運営はすべてその教会信徒の献金によって賄われています。本庄教会もそうです。皆さんの献金によってのみ運営され、他の人は出してくれません。
ところで献金とは何でしょうか。会費や月謝でしょうか。祈祷料、寄付でしょうか。そうではなく、信者一人一人が神に対する感謝の現れとしての捧げ物です。別の言葉でいうなら主から任されて預かった主のものを、主にお返しする自発的な行為。この考え方の背景にあるのは、献金も含めて私達の健康、財産、能力、この世の全ての物は、私達のものでなく、すべて神のものであります。私達は生きている間、管理を任されているだけの存在です。この理解があると献金を惜しみません。
(献金の根拠)
詩篇24:1旧約954を開いてください。「地とそこに満ちるもの、世界とその中に住んでいるもの、それは主のもの」この世界の物はすべて創造主によってつくられたものであり、神の所有です。私達が生きている間、受けているものは、一時的にこの世界に置かれ、管理を任され預かっているにすぎません。地とそこに満ちる、すべては主のものです。私達は、能力も、財産も預かって任されているにすぎません。そして主から受けたものを主にお返しする。これが献金の考え方です。

●次に献金の取扱い
ではささげられた神にささげられた献金はどのように管理運営したらよいか。例があります。
1:聖徒たちの為の献金、聖徒は通常クリスチャンを指す言葉ですが、ここでは、エルサレム教会の兄弟姉妹を示しています。パウロがガラテヤ地方の諸教会に命じたのですが、あなた方も実行しなさいと述べています。キリスト教会はエルサレムから始まり、この時点で既に25年以上たちました。当時、エルサレムはローマ帝国に支配され貧しく、他から支援が無ければ生きていけない状況でした。一方エルサレム以外の諸教会は、コリント教会の様に経済的に豊かな教会もありました。パウロはコリント教会に対しエルサレム教会を支援しなさいと命じています。ガラテヤの諸教会にも献金してエルサレム教会を助けなさいと言っています。

なぜこの命令があるのか?他の教会は霊的祝福をエルサレム教会から受けたのだから物質的な祝福をもって恩返しすることを勧めています。また教会はキリストの体なる教会として、それぞれ独立していますが、同時にすべてのキリスト教会はキリストの体として一つである、だから弱っているところを助けるのだということになります。

そして、この原則は今も同じです。例えば、本庄教会はキリストの体なる教会として独立していますが、福音伝道教団と言う一つ体に属しています。同時にこの地にあるすべてのキリスト教会もキリストの一つ体である教会として一つです。国内、国外関係なく、教会は一つ体です。そうすれば他の教会が困っているときに直ぐに助ける思いが出て来るでしょう。今の教会がそうなっていないのは、自分の所がキリストの体なる教会と言う縄張り意識があるからです。これは間違いです。

2:収入に応じて、献金は他人が決めるものではありません。いくらささげるか、本人がイエス様とよく相談して自分で決めることです。毎月10万円と20万円と50万円の収入の人では献金額が違ってきます。それは当然です。それぞれの収入に応じて主の物を喜んでお返しすることです。

2:週の初め毎に、手元に蓄えて、献金は余りが残ったから捧げるのではありません。週ごとに、月ごとに戴いた給料の中から用意しておくものです。例えば集会献金はいくらにすべきか、又月定献金はいくらにすべきか、教会会計の基礎は月定献金でが、教会維持献金とも言います。本庄教会でも毎月皆様に決算表をお配りしている通り会堂維持(建物の修繕等)、電気、ガス、水道、印刷機械、電話、建物保険、車輌費、コロナなので消毒液、紙コップ等、全部含めて月平均10万円以上年間120万円は必要です。これらを月定献金や集会献金から賄っています。その為にも前もってこれは神への捧げ物として用意しておくのは極めて大切です。

3~4:あなた方の承認を得た人たちとありますが、献金の扱いは極めて公明正大でなければなりません。きっちり計算ができて、神への捧げ物をごまかさない人であるというのが条件です。中には自分のふところに入れてしまう人もいますから要注意です。承認を得た人がする。これが条件です。今日は時間の関係でここまでにします。
適用
全地はすべて神、主のもので、私達は主から受けたものを、預かって管理させてもらっているという意識を忘れない。
そしてささげるときには、残り物をささげるのではなく給料、年金をもらった段階で、自分で心に決めた金額を喜んで捧げる。
結び
献金は献身の現れであり、自分自身をささげると同じです。ですから献金は礼拝行為です。収入に応じて、今週も喜んで自分自身を主に捧げてお仕えできるような歩みをさせていただきましょう。