コリント人への手紙第一(44)

2022年12月4日

2021年4月25日
聖書箇所:Ⅰコリント14:33~40
説教題:全ての事を適切に礼儀正しく

おはようございます。ネットをご覧の本庄教会の兄弟姉妹や友達の皆様もおはようございます。あなたと共に礼拝出来る事を嬉しく思います。それでは30分共に聖書から学びましょう。ライブ配信準備OKですか。いつも奉仕をしてくださりありがとうございます。

さて、今日はコリント第一14章33節~40節になります。12章から続く御霊の賜物について、いよいよまとめのところまで来ました。33節~35節、礼拝における女性の態度、36節~40節までが結びの部分です。どこの結びか?12章から続く御霊の賜物についてです。
皆さんに質問ですが、コリント教会の信者たちが特に高く評価していた御霊の賜物は何でしょうか?そうです。異言の賜物です。彼らはこの賜物を信仰的、霊的な特別の賜物と感じて魅力的に思っていたようです。ギリシャ的な文化の中で特別な思いがあったのでしょう。
でも異言は個人の徳は高めるが教会全体の徳を高めることはありません。混乱する元になります。現にコリント教会は異言の乱用により礼拝の秩序が乱れていました。その様子を知らされたパウロが手紙を書いて指導したというのが背景になります。

●33節~36節 女性の態度
コリント教会の礼拝が混乱していた要因は、無秩序に異言で祈る人が大勢いたことです。そこに初心者や求道者が入ってきた時、気が変になったと思い帰ってしまうわけです。全く証しになりませんでした。でもコリント教会の人たちは異言の賜物こそ霊的、信仰的と考え実践していたのです。

特に、女性たちが積極的で自由の範囲を超えて、あちらこちらで異言の祈り、預言した為、礼拝が混乱してしまい、主の栄光を現すどころか、主の御名を汚す結果となってしまいました。
本来異言を語る時は解き明かしする人が必要でした。それができなければ教会ではしないようにパウロは指導しました。又、預言も二人か三人で順番に語り、聴く人が吟味しなさいと勧めています。このような礼拝なら教会の秩序が保たれ、混乱の神ではなく、平和の神に相応しい礼拝となるはずでした。しかし現実は、その逆だったのです。

33後半:聖徒とは神に選ばれ別に取っておかれるという意味です。キリスト者は主に在って選ばれた者です。何か優れているからでなく、むしろ罪深い者だから主が選び救われた。それが聖徒の意味です。皆さんは、自分は聖なるものだから聖徒とされたと、くれぐれも思わないでください。

34:女の人は教会で黙っていなさい。彼女たちは語ることを許されていません。このみことばを根拠に在る教会は女性が牧師や長老に任命される事を認めていません。このみことばを今も全ての教会で現代も適用されるべき普遍的真理として教えています。
でも、使徒パウロはこの聖書箇所をそのような意味で教えているのでしょうか?そうではありません。11章5節で、礼拝の時、頭に被り物をつけることを条件に女性も祈りや預言することをパウロは認めています。これはユダヤ教では考えられないことであり、画期的なことです。
でもっこでは「女性は教会で黙ってなさい」と勧められています。黙っていなさいとは、静かにしていなさいということです。更に創世記に在る創造の秩序から話を展開しています。ではどう理解したらよいか?ここは12章から始まる御霊の賜物について婦人たちが異言の賜物を乱用して教会の礼拝が混乱していたという文脈(コンテキスト)から読み取る必要があります。
使徒2:17の預言引用、使徒21:8~9、(ピリピ4:2読まない)には女性たちが預言者又は教会のリーダーとして良い働きをしている事が分かります。当然、礼拝で、みことばの解き明かしをしたと考えるのが普通です。ですからパウロの「女性は教会では黙っていなさい」という命令を、今もすべての教会に適用する普遍的命令という考え方は、無理があります。

では何故コリント教会でこの命令が発せられたのか?それはコリント教会の女性たちが、当時のギリシャ世界における男女の区別を無視して、無秩序に異言の祈りをしたと考えられます。
例えば礼拝で預言が語られた後、29節の吟味しなさいという命令の枠を超えて、度々議論を仕掛けたと考えられます。このような行為は女性のつつましさが失われる結果となりました。

昔、ある教会で、牧師がみ言葉のメッセージをした後に、事あるごとに上げ、質問と称してチャチャを入れるようなことがありました。自分の考えを通すのです。毎回これをやられると礼拝が混乱してしまいます。また、他の兄弟姉妹達の心もなえてしまいます。

もう一つの理由はギリシャ人の習慣で女性が公衆の面前でものいう事は控えるという一般的な考え方がありました。慎み深く、外部の者が聞いているところでは話しするにも慎重というのが当時の社会通念でした。回りの人々の躓きになるのを防ぐ狙いがありました。

35:分からないことがあって何かを知りたければ家で夫に尋ねなさいという当時の礼儀作法に繋がってきます。コリント教会の女性たちが、自分のやり方を貫けばよいという事では決してないのです。これが聖霊に導かれた慎みの霊を持つ女性の生き方です。男性もそうですね。

このように、コリント教会の女性たちが礼拝で語られた事に対し聖霊によって示されたから、また、自分の考えと違うからと、むやみやたらに公衆の面前で質問して礼拝を混乱させてはならない、だから女性は教会で黙っていなさいという言葉に繋がります。こうして礼拝の秩序が守られ、人々の躓きが取り除かれ、女性の学びの姿勢が整えられるようパウロは勧めています。36:コリント教会の独りよがりを戒めていることばです。

●37~38 御霊の賜物についての結び
自分を預言者と自任し、御霊の人と思い込んでいる高慢なコリント人に対してパウロが書いていることは主イエスの御命令だから心せよと戒めています。
39~40:まずは神の御計画と御心を解き明かす預言を求めよ。常にこれが第一。又異言も御霊の賜物なので語ることを禁じてはいけない。全てを適切に、秩序をもって行いなさい。こうしてパウロは12章から始まる御霊の賜物についての勧めを締めくくります。長かったですね。
●適用
私達の教会の礼拝が聖霊の導きのもと、適切にそして秩序をもって執り行っているか吟味・点検する必要があります。
●結び
キリスト者は受けた賜物を生かし、互いに仕え合う時に大きく成長することが出来ます。コリント教会の誤った考え、生き方を通して、もう一度自分の生き方を顧みて今週も主を見上げて歩んでまいりましょう。