コリント人への手紙第一(43)

2021年4月18日
聖書箇所:Ⅰコリント14:20~33前半
説教題:混乱の神ではなく平和の神  

おはようございます。ライブ配信準備OKですか。いつも奉仕をしてくださりありがとうございます。また、ネットをご覧の本庄教会の兄弟姉妹や友達の皆様おはようございます。あなたと共に礼拝出来る事を嬉しく思います。それでは宜しくお願いします。
また今日からアクリル板を外しました。皆様との距離が2m以上ありますので飛沫が飛ばないようです。少し見やすくなりましたか。

さて、今日はコリント第一14章20節~33節になります。12章から始まる御霊の賜物の続きです。コリント教会の信者たちが特に高く評価していた賜物は何かご存じですか?そうです。異言の賜物です。でもこの賜物は取り扱いを注意しないと教会が混乱するもとになる者でもありました。そんなことを考えながら学んでまいりましょう。①20節~22節が異言の特徴。②23節~25節が預言の優位性。③26節~33節が礼拝の秩序が述べられています。

●20節~22節 異言の特徴。
20:ここから再びパウロは兄弟たちと呼び掛けています。物事の考え方について子どもであってはならない。物事を判断する時、よく考えてという意味です。逆に悪いことに対して子供(未熟)でありなさい。但し、知性的な面では成熟した大人の考え方を持ちなさい。ここでパウロが言いたいことは?異言の祈りだけを強調して求めるコリント教会の信者は未熟者だと評価しています。御霊の賜物、特に特に異言の取り扱いには大人で有れということです。それが21節に繋がります。

21:この引用は、律法、旧約聖書イザヤ書28章11~12節からです。北イスラエル王国に対するもので、当時彼らは、神に対する不信仰を何百年もの間、積み重ねた結果、東の超大国アッシリヤによって滅ぼされ、民衆は捕虜として連れ去られてしまいます。
その時、アッシリヤ人は捕えたイスラエルの民に対し、自分の言葉で話しかけますが、彼らは何のことを言われているのかさっぱり分かりません。彼らは神の懲らしめを受け、追い込まれても益々頑なになっていきました。神の警告に従わなかった結果、国は滅び、屈辱を受ける預言です。

22:これをパウロはコリント教会の人々と、昔のイスラル民族のかたくなさを重ね合わせているのです。つまりコリント教会信徒が異言で無秩序に祈っていたのは、神の言葉に耳を傾けてこなかった事に対する罰という意味があったのです。結果的にコリント教会は人が理解できない異言で語るので人々を救いから遠ざける神の裁きとなりました。理解できないがゆえに信じていない人の心は益々頑なになります。このように異言は人を救いから遠ざける残念な結果となりました。
一方これに対して預言は、神から啓示を受け、分かる言葉で神の言葉を伝える信徒の為の印です。

●23節~25節 異言と預言の比較について預言の優位性
23:異言の持つマイナス面。集会場でコリント教会の人が、同じところに集まって異言で祈っているところに、求道者が入ってきたら、気が変になっていると思い二度と来なくなります。新来会者を躓かせたということです。皆さんだったらどうですか?おはようございますと、部屋に入るなり、皆が熱狂的、恍惚状態になって意味の分からない異言で祈っていたら求道者は恐れます。
24~25:しかし、集会で預言、即ち、神から啓示を受けて、神の言葉が丁寧に語られるなら、そこに聖霊が働きますから、初心者は自分の誤りを指摘され、心の中があらわにされ、罪を悔改めて、ここに神がおられるという思いに導かれ、神を礼拝するように変えられます。このように異言と預言では全く違った結果になります。

特に覚えたいことは24節の「皆が預言をするなら」と言う言葉です。預言は今でいうメッセージ、御言葉の解き明かし、説教です。これは牧師するもので、自分は聞くだけだと思い込んでいる人が数多くいます。だから礼拝を受けるという言葉が出て来るのです。でもその考えは間違いです。聖書をよく読んで、学んだ事を生活の中で生かし、適用して証しは牧師でなくても出来ます。

ぜひ皆さん、預言の賜物を求めて、友達や家族に分かりやすく話しする人が起こされると幸いです。また礼拝の宣教やあかしの時間を利用して、み言葉を取り次いでくれる人が起こされると幸いです。※ただその時、自分の自慢話をして自分に栄光を帰す事は避けなければなりません。

●26節~33節が具体的礼拝の持ち方が述べられています。
26:ここは礼拝の風景です。賛美、主を讃えること。中心は詩篇を歌うことです。教える。聖書の御言葉を教えること、啓示、これは神の啓示を受け神の言葉を語るので預言になります。あるいは異言、セットになるのが異言の解き明かしです。このようにこれら礼拝でなされることはすべてが、それぞれの信徒の「成長に役立つこと」がポイントです。コリント教会のように異言や知識だけを信者が求めるようになると、教会は混乱するだけです。他礼拝には聖餐式があります。

27~28:異言を語る場合は2人か3人が順番に行い、必ず解き明かしする人がいる。これが異言で祈るときの条件です。解き明かしができない場合は教会で黙っている。家で神に語り掛ける。

29~30:預言(神のみ旨と計画を語る)場合も2人か3人が語り、他の人は話の内容が聖書の原則に沿ったことを話しているか吟味する。聴く人は、ただ、ぼっと聞いているだけでは駄目なのですね。他の人に預言の言葉が与えられたらその人は譲る。こうして秩序をもった礼拝が捧げられるべきことをパウロは勧めています。

31:一人ずつ順番に証しすれば、全部の人が教えを受け、全部の人が励ましを受けるようになります。32:こうして礼拝における秩序が保たれて教会は祝されていきます。
33:結びの部分
神は教会が混乱するのを望んでいません。何故なら、神は混乱の神でなく平和の神だからです。
秩序をもった礼拝が捧げられることを喜ばれます。平和の神が喜ばれる。そのような教会形成が私達の目標となる必要があります。

●適用と結び
私達は自分の信仰の在り方や教会形成の在り方をもう一度吟味する必要があります。異言を語るので有れ、預言して神の御計画と御心が語られるので有れ、秩序と平和を大切にしていく必要があります。そして預言の賜物を求めましょう。与えられたら、色々な機会に無理なく証ししてください。そして大いに主の栄光が現わされることを祈ります。