コリント人への手紙第一(39)

2022年12月4日

2021年3月21日
聖書箇所:Ⅰコリント13:8~13
説教題:愛は決して絶えることがない

おはようございます。ライブ配信準備はOKですか。はい、ありがとうございます。最近知ったのですが、ネット配信ですと本庄教会関係者ばかりでなく、色々な方が共に礼拝しているそうです。感謝ですね。そんな訳でネットをご覧の皆様。おはようございます。共に礼拝できる事を感謝します。それでは聖書を開きましょう。聖書箇所はコリント人への手紙13:8~13

さてコリント人への手紙第一12章から学んでいる御霊の賜物について、13章では、どんなに素晴らしい賜物を受け良い働きであっても、愛が無ければ何の役にも立たないことを学びました。この愛はイエス・キリストの十字架で示された神の愛であり、私達が生涯にわたり求め続ける事を学ばされました。

8:今日から絶える事の無い神の愛についてパウロが論じている聖書箇所から学びます。
なぜ、ここに出て来る愛は絶えることが無いのでしょうか?そうです。この愛は人間の内から出る不完全で自己中心的な愛ではなく、神から出る愛だからです。

イエス・キリストによって示された十字架の愛、人の罪を全部負い、罪のない神の御子イエスが人の罪を赦し、清め、救うために十字架上で苦しみ、死に、葬られ、三日目の復活を通して示された神の愛であります。だからこの愛はすたれることが無いのです。

一方、人間に与えられた預言や異言、知識の賜物はやがて廃れ、又やみます。特にコリント教会の信者たちがいつも求めて、誇った異言や知識の賜物はすたれ、やんでしまいます。いつすたれ、止まってしまうかというと、12節に在るように「顔と顔を合わせる時」です。終末のキリスト再臨の時主と顔と顔を合わせることになります。以降、千年王国、新天新地へと続きます。キリスト再臨後になると、異言や預言、知識の賜物は続かないことを知っておきましょう。

9~10:イエスと顔と顔を合わせる時、コリントの人たちが受けている知識や預言は未完成、不完全で、完全な者が現われたらすたれると完成された視点から語っています。勿論私たちの時代も一部分であり未完成の時代です。このように未来から今を見る視点も大切ですね。

11:ここはパウロが生きた時代(勿論今の時代も含め)と終末、キリスト再臨の時を比喩的に対比したものです。幼子で有った時とはパウロの時代から現代にいたるまで、大人になった時とは顔と顔を合わせる、キリスト再臨、終末の時であります。その時以降すべてが明らかにされるので、大人になった時と言う言い方をしています。

今の時代の不完全な知識と終末以降の完全な知識の比較です。考え方が幼子と大人では全く違うように、キリスト再臨以降に完全な知識が与えられる時、今の不完全な知識や異言、霊の賜物は役割を終えることになります。

12:神を知る知識の不完全さを、鏡を通して例えています。当時の鏡は青銅を磨いたものが多かったようで、今日のようにはっきり見えませんでした。
しかし、その時、「顔と顔を合わせて見るキリスト再臨の時」すべて明らかになります。
今は、一部分、しかも、ぼんやりしか見えませんがキリスト再臨以降は、自分が神によって完全に知られ愛されているように、私も神をはっきり知るようになるとパウロは断言しています。
この言葉を受けて、現代に生きる私達も、再臨の希望の恵みに預かります。それは神の前にへりくだり、神を畏れ敬うようにされることです。そして、父なる神及びキリストをはっきり知ることが出来る希望があります。

13:ここが結論部分です。異言や知識、預言の賜物はキリストの再臨以降なくなりますが、信仰、希望、愛はいつまでも続きます。即ち私達が新天新地に移ってからもこの3つは続くという事です。

①信仰
信仰は神への信頼であり、神との人格的な交わりです。当然、新天新地に移されてからも、神への信頼と人格的な交わりは強まるので、信仰はずっと続く事になります。意外ですか?

②希望
新天新地は真の希望であるキリストと父なる神が共におられるところであります。このように新天新地は真の希望に満ち溢れた場所なので、希望もずっと続きます。

③愛
愛はすべての基礎であり、道であります。そして神の愛こそが最も優れていつまでも残るものです。何故か?神のご性質は愛だからです。それは十字架上で示されたキリストの姿、態度、発言を振り返る時に分かります。ご自身に敵対する人を赦し、迫害する者のために祈り、最終的にキリストは人の罪の身代わりに十字架上で苦しみ、死を遂げました。ここに神の愛があるのです。それ故その中で一番すぐれているのは神の愛で、なくならないものです。

適用
私達もやがて、キリストの再臨によって栄光の体に変えられ、完成されて千年王国、新天新地に移る訳ですが、この永遠の世界から比較すると、今の短い期間を生かされていることになります。
最高の道、真理であるキリストの愛を受けている者として、又、神によって完全に知られているにもかかわらず、赦され、愛されている者として、今日もキリストの前にも、人の前に前にも謙遜に、一歩一歩前に進み、キリストに似たものとなる事を目指して歩ませていただきましょう。

結び
今日の聖書箇所から学んだ事、それは自分の生き方、今の世界を終末、天の御国、永遠の視点から見詰めていく時、現実の世界の中で何が正しいかどうかを、見極める手掛かりがつかめることです。このような視点で物事を見て行くことは必要だと思います。その為にも主イエス・キリストの十字架に於いて示された、決して絶えることのない神の愛の視点を大切にしたいと願っています。お祈りいたしましょう。