コリント人への手紙第一(37)

2021年3月7日
聖書箇所:Ⅰコリント12:28~31
説教題:より優れた賜物を熱心に求めよ  

おはようございます。ライブ配信は準備OKですか。はい、ありがとうございます。という訳でインターネットを通して礼拝している皆さん。おはようございます。今日も聖書から学びましょう。聖書箇所はコリント人への手紙12:28~31。

さてコリント人への手紙第一12章から御霊の賜物について学んでおりますが、今日で12章が終わります。まず復習をしてまいりましょう。御霊の賜物は、私達が生まれながら持っている才能や能力とは違い、各人がイエス様を救い主と信じた時、キリストの教会が建て上げられるため、皆の利益にとなるよう、それぞれの信徒に分け与えられるものです。

コリント12:7~10には9つの賜物が出てきます。この賜物の中でコリント教会の信者たちが重視していたのは何でしょうか?そうです。異言の賜物でした。これは通常理解出来ないような言葉を語ることで、すぐれた賜物としてもてはやされました。そして、中には異言の賜物が与えられていることを理由に、高ぶる者もいて、礼拝の時、無秩序に異言を語りだし教会が混乱していたのです。また、逆に異言の賜物が無いので劣等感を持つ者もいました。

それ故、教会が混乱し、御霊の賜物が、与えられているにもかかわらず成長していく教会形成がなされませんでした。それを危惧した使徒パウロは御霊の賜物について丁寧に教えたのです。

もう一つ、教会はキリストの体で、一人一人は各器官。そこには誰がすぐれて尊いとか言うより、各人の働きは違うが、みな大切な使命がある事。ここから教えられることは私達も優越感や劣等感をもつ必要はなく、自分に与えられている賜物を生かしていけば良いのだという事を学びました。ここまでが12章の流れと背景です。では次に進めます。

28:パウロがもう一度教会の中で与えられている御霊の賜物について教えています。
まず当時の状況確認をしましょう。現代と違って、コリント人への手紙が書かれた紀元50年代は未だ新約聖書が完全に啓示されていませんでした。この後40年後に使徒ヨハネが啓示を受けヨハネの黙示録で完成となります。ですから新約聖書27巻がまだ完成していないという前提で学ぶ必要があります。

●第一に使徒たち:遣わされたものと言う意味でキリストの代理人として、特別の力と権威を受けて教会の基礎を築いた人々です。イエスの弟子、又イエス復活の証人、そしてイエスから直接任命を受けているというのが使徒の条件です。ですから現代に使徒は存在していません。新約聖書が完成していない間の限定付き賜物です。

●第二の預言者たち:神から啓示、言葉を預かって神の言葉を語る人達でした。これも特に新約聖書が完成していない時代に活躍した人々に与えられた賜物です。使徒13:1、15:32。
ただ狭い意味で神の言葉である聖書を解釈して解き明かすのは現代でも勿論あります。

●次に教師たち:これは神の言葉を正しく解き明かす為に教会に立てられた教える賜物を持つ人で今もある賜物です。教会は頭なるキリストに従う信仰者の群れですので、神のみ言葉を取り次ぐことが最も重要です。結果として「イエスは主である」と告白するのです。は牧師も含まれると思います。以上3種類の賜物は教会をたてあげる人の働きです。

●次のグループはまとめて出てきます。力ある業:不思議な業を行うもの、神の力をもって奇跡的な業を行う人。私はこういう人にはお目にかかったことはありませんがいるわけです。

癒しの賜物:文字通りに病の人に手を置いて祈ると病気がなおる。援助:困っている人に助けを与える人。管理:金銭を間違いなく正確に管理(教会会計)する。事務的なことが上手にできる、信徒をお世話する牧会的なことも含まれます。

●最後は異言。この賜物をコリント教会の信者たちが高く評価していました。一般的に理解することが出来ない言葉で、神と会話するので、個人の徳は高めるが、教会全体の徳は高めないので、パウロは異言を高く評価していません。それ故、最後に記されています。これがパウロの、異言の賜物に対する考え方です。コリント教会が置かれた状況を通してパウロの書き方の順番を見ると彼の意図していることが分かります。

29~30:今までの賜物を列記して、皆がその賜物を求めるのかと問いかけています。

31:そしてパウロは「より優れた賜物を熱心に求めよ、はるかに勝る道を示そう」と言う言葉で結んでいます。
受けた賜物を使う基礎となるものを教えているのです。それがより優れた賜物で、我々がいつも求める者です。なんだと思いますか?13章以降出て来る愛です。この愛は人間から出る愛ではなく、神の愛、即ち、隣人に対し一方的、見返りを期待しない愛。このより優れた賜物を求めよ。この愛が底辺に在って初めて御霊の賜物は強く生き生きと用いられてくるのです。

適用
以上多くの賜物が示されていますが、今のコロナ禍の時代、必要なのは、援助の賜物だと思います。別の言葉でいうと、助けを与える。ここ一年コロナで経済的困難の中にある人が増えてきました。今こそキリスト教会が、率先して「助ける存在」になっていければ幸いです。その為にも私達は世の中がどうなっているかの理解を深め、自分たちの身丈に在った助ける者でありたいと願います。

結び
今週は10年前の3.11が来ます。
私達はあの日を忘れず、災害日本の中で、自分の身を守りつつ、他の人の事も考えて行けるようなキリストの体なる教会を形成したいと願っています。その基本はイエス・キリストの十字架の死と復活を信じて救いを受け、聖霊により頼む生活、聖書をバランスよく学ぶことです。
そして家族を大切にし、神の家族である教会の交わりを大切にし、児玉郡市の繁栄を願い、私達に与えられている御霊の賜物を最大限発揮して信仰の歩みをさせていただきましょう。