コリント人への手紙第一(21)

2020年10月18日
聖書箇所:Ⅰコリント7:36~40
説教題:パウロが勧める結婚 

おはようございます。10月第4週目の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。今日もコリントジンへの手紙第一から学んでまいりましょう。この書物にはキリスト者が実際生活を、どう生きるかが数多く書かれていますので、私たちの信仰生活には欠かせない重要な手紙です。
さて今日のテーマは「パウロが勧める結婚」7:36~40からです。この箇所は分かりづらいので、理解する為の前提として、当時のギリシャ社会に於ける結婚やコリント教会内に禁欲主義者が入ってきた事を知る必要があります。でないと自分勝手な解釈となり聖書のメッセージは読み取れません。
本題に入る前に2つほど皆様とともに確認します。
①日本国憲法24条には結婚について「婚姻は両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない」とあります。両性の合意、今や日本の常識です。ところが、明治時代の頃はどうだったか?親が決めた結婚が多かったのではないでしょうか?結婚式まで夫になる人の顔を見ていないという話は普通にありました。
2千年前のギリシャにおいて、女性は自分の意志ではなく十代初め頃に親から結婚相手が決められて婚約し、十代半ばで結婚するのが普通だったようです。夫は当然年上の30歳前後となります。これを頭に入れておいてください。
②2つ目は当時のコリント教会には性的なことは何をしても自由だと考える人と、その反対に結婚はしない方が良いと考える禁欲主義者がいました。これがこの部分の背景です。7章1節の質問「男が女に触れないのはよいことだ」書いてきたのは禁欲主義者でした。この2つを頭に入れておくと理解が深まります。結婚について最後の部分で①結婚②独身③再婚の3つです。
①結婚 読む
36:ある人が、自分の、これは同じ人男性です。この人は婚約しています。品位にかけるとあるので婚約期間が長い感じがします。※私は21歳で婚約したので結婚まで2年近く待ちましたが、ここでは、それよりも長い感じです。通常一定の婚約期間を経て婚約者の女性は適齢期の十代半ばになり、結婚式を挙げて自分たちの新しい生活がスタートする段階に入ります。

ところがコリント教会には、禁欲主義者がいて「結婚はしない方が良い」と強く主張人がいました。彼(ある人、自分)は心に迷いが生じ結婚の時期がどんどん遅れ、婚約者は結婚適齢期が過ぎ、焦って来ます。この男性の振る舞いは婚約者に対し品位を欠いたふるまいとなります。品位を欠くとは、ここでは男性が婚約期間を伸ばしすぎて婚約者に対し礼儀や秩序に反するという意味です。
そんなとき、禁欲主義者の考えに惑わされることなく、結婚すべきことが正しい事だと思ったら、結婚しなさい。罪を犯すわけではないので結婚しなさい。これがパウロの勧めです。
②独身
37:その逆で独身という選択肢もありました。ここも男性の立場から書かれています。しかし、心の内に固く決意し、強いられる事なく、自分の心をコントロール(欲望・性欲)し、婚約者と結婚しないと決めるなら、それは立派だとパウロは評価しているのです。でもこの選択肢を選べる人は、独身の賜物がある人なのでそんなに多くはありません。
また男性に独身の賜物があり、早めの決断をすれば女性は結婚の機会が広がりますから婚約者の女性にとっても良いことにあります。
38:ここは結婚と独身を、それぞれ選んだ人に対して、結婚する人は良い事をしており、独身を貫く人もまた、もっと良いことをしていると評価しています。なぜ、パウロはこのように独身を勧めるのか?結婚に対する聖書の大原則とはずれるではないかと疑問を持たれる方がいるかもしれません。しかし、7章で何回も述べているように、パウロは結婚制度そのものに反対しているわけではありません。次の聖句引用 ↓
26節:差し迫っている危機、29節:時は縮まっています。彼はキリストの再臨が近いという立場の人でした。そして再臨の前には、厳しい困難な時代が来る事を知っていました。パウロにしてみれば若い人たちを、そのような目に合わせたくないという親心があったのです。現に以後10年もたたないうちに、あの有名な皇帝ネロによるキリスト者への大迫害が始まります。このようなことからパウロは独身の方が行動しやすく有利であるという認識を持っていました。
③再婚
39:ここは妻の立場から再婚について述べています。夫が生きている間は夫に縛られています。ご婦人の皆さまいかがですか?縛られているなんて、とんでもありませんという方はいますか?どうやら少ないようですね?
そこで朗報ですというと言い過ぎかもしれませんが、多くの場合、妻が長生きで後に残りますので、夫が死んだら、自分が願う人と再婚する自由があるとパウロは勧めています。※私も自分が死んだら、良い男性から結婚を申し込まれたら結婚しなさいと妻に言っていますが、現実的にはまた縛られるのは嫌だという考え方がありますから、再婚しない女性の方が多いかもしれません。年齢的なこともありますのです。40.50代なら再婚の確率が高いかもしれませんが・・・。

ここでパウロは再婚を進めながらも、くぎを刺しています。「主にある結婚に限ります」これは夫になる人が必ずクリスチャンでないと認めないという事ではないので、誤解しないでください。良く祈って、主の導きと御心を確信して再婚することが条件ですと言っているのです。ここでもキリスト者が取るべき行動の基本は主イエスの心を第一として生きる事を示しています。

40:しかし、やもめは再婚しない方が、もっと幸い、神に祝福されると比較して述べています。彼は御霊に導かれて勧めをしています。
適用
決意する。37節で二回出てきますが、これが大切です。但し自分の思いを貫いて決意するのではなく、イエス様に良く祈り、御心を手探りで確認しながら、一歩前に進む決意をするのです。

私達も、結婚、離婚、独身、再婚、又家庭生活、信仰生活、仕事(どんな仕事がふさわしいか、続けるべきか、辞めるべきか)色々な点で決意し、実行する時があります。この時最も大切なことは何か、どんな結論になろうとも、39節:主に在ってよく考えて祈って、イエスのお考えは何かを求めて、決断し、行動することがポイントです。今日のメッセージはあらゆることに、生活全般、あらゆることに適用できます。

結び
7章全体を通してパウロが勧める結婚、離婚、独身、再婚について考えてきましたが、すべての行動が主イエスに在って決意し、行動していますといえるような歩みをさせていただきましょう。