コリント人への手紙第一(3)

2022年12月2日

2019年9月1日
聖書箇所:Ⅰコリント1:10~17
説教題:キリストの十字架が空しくならない為に

おはようございます。今日はコリント人への手紙第3回目になります。

私たちは大きな思い込みがあります。その代表的な例は、初代キリスト教会は困難や迫害の中にありながらも力強く前進し、愛が満ちあふれ、皆が信仰的な歩みをしていたということです。

確かにそのように歩んでいた教会は沢山あります。しかし同時にパウロによって設立された教会でありながら大きな問題を抱えていた教会も沢山ありました。信仰と恵みによってイエスをメシヤと信じて救いを受けても途中から律法的になる教会やイエスの心から離れた信仰生活の教会もある。

 

まず信仰の歩みについての順番を確認していきましょう。まずイエスを信じて救いを受ける。

①第一段階、これを新しい命を受けるとか、新生する(ボーンナゲン)すると言います。イエス・キリストの中に私達が入り、目に見えませんがイエスの命に結ばれる事です。

②二段階、何が大切か。聖化されること。イエス様に信頼しながら主の恵みに感謝して生きるとイエス様に似てくるのです。人間的にも信仰的にも成長していきます。

但し主イエスに相応しい考えや生活をしないと、生まれながらの性質(肉の思い)が強くなり、イエス様の香りを放たないクリスチャンとなってしまいます。勿論もちろん救いを受けていれば永遠の命が保証されていますが。

③段階、栄化 やがて栄光の体に変えられるということです。これは地上の生涯が終わって主のもとに召される時、又はキリストの空中再臨があった時に栄化される事です。この時に最終的な救いが完成します。このように救いにはこの3段階があります。今私達は2段階にいます。

 

コリント人への手紙第一を読むとき、二段階の聖化の過程にあるので、様々な失敗もある事を受け止めていく必要があります。この世の地上のキリスト教会は完全なところは一つもありません。多くの失敗や弱さを抱えながら主を見上げて歩んでいます。それ故、私たちはコリント人への手紙を学ぶ者として、彼らの良いところは真似て、彼らの失敗から、その教訓を学び、彼らの様な間違いを繰り返さないということです。そのような態度でこの手紙を学んでまいりましょう。

 

7:前回の続きです。救われるとはイエスをキリストと信じて、イエスと一体とされる事です。別な言い方でキリストの中に入るということ。2、4、5節で学びました。キリストにあって、キリストによってという言葉ですね。キリストに結ばれて救いを受けた彼らは熱心に主イエス・キリストの現れを待ち望むようになった。これはキリストの再臨を待ち望む信仰を持っていたということです。とても立派な信仰です。現代に生きる私たちにはこれが弱いです。

8:主イエス・キリストの日という表現も再臨の時です。その時まで主が彼らを守って下さるという意味です。

9:主イエスを信じた者は主イエス・キリストとの交わりに入れられたから、そして神は真実なお方であるから、再臨の時まで守って下さるということです。私達に必要なのはいつ主イエスが空中再臨しても良い様に日々主を見上げて生きる信仰が求められています。

 

10:ここから今日の話に入ります。11節にあります様に、パウロはクロエと言う女性の家の人からコリント教会内部で争いがあると聞かされました。それ故、主イエス・キリストの御名によって、仲間割れしないで一致してくださいとへりくだってお願いしています。

12~13仲間割れ、争いの原因は4つに分かれて争ったことです。

・パウロ派 コリント教会の設立者 使徒 パウロをしたい、師と仰ぐ人々

・アポロ派 雄弁家、学問的にも豊かな人物 すぐれた説教者アポロに引かれる人々。

・ケパ派(ペテロ)初代教会の指導者 イエスの一番弟子、ユダヤの伝統を大切にする人

ディアスポラのユダヤ人も沢山住んでいた。ユダヤ的伝統を尊重する人々と思われる。

・キリスト派 これが一番良いのではと思いがちですがそうではありません。いわば勝手に理解したキリストを信じる人々です。自分たちは天からの啓示を直接キリストから受けたと主張する人々。一番たちが悪いかもしれませんね。

ここに人間的な思いや、高ぶり、誇り、プライドが加わると相手をののしったり、ののしられたり激しい争いが繰り広げられるのです。これがコリント教会の弱さでありました。

 

14~16:バプテスマについても混乱が起きる。この点パウロは少数の人にしかバプテスマを授けていなかったので感謝しています。バプテスマはイエスを救い主と信じて救われた者が、即ちキリストと一体とされた者がその印として水の中に入り、又は水を注がれるものです。それはイエスの命令であり、父、子、聖霊の三位一体の神の名により、指導者によって授けられるものです。

15節にあるようにパウロの名前によって授けられるものではありません。しかしここにも誤解や混乱があって、パウロの名によって授けられる事があったようです。勿論パウロ自身はそのような事はしませんが。

 

17:キリストの十字架が空しくならない

キリストは罪のない方が罪とされた、キリストの十字架の御業による罪からの救い。ここが信仰の原点であります。信仰によって全ての罪が赦されている。信者はキリストの中に入れられた者。

 

適用

○内部で争いをしていると力を失う。

これは何の世界でも同じです。私も沢山のキリスト教会を見てきましたが、喧嘩ばかりしやすい人が集まる教会は争い、論争が多いですね。感情的になって自分の正しさだけを主張します。

その結果、教会が2つに分かれます。そして牧師が気に入らないと追いだしにかかります。あるいは牧師が反対する人やグループを追いだします。あるいは牧師が辞めてそっと教会を去ります。

本庄キリスト教会の歴史を調べてみるとここまでの事はなかったので良かったと思います。一度分裂があると力を回復するのに非常に時間を要します。そしてまた同じことを繰り返す場合がありますから。そして外部の人にも証になりません。私達は今こそコリント教会の事例から学ぶべきです。

 

結び

ではどうすれば争いや仲間割れを防げるか。

キリストの十字架の御業によって、キリストにあって一つとされている、全ての人がキリストの内にある。一つ体なる教会の一員とされている。キリストの命で結ばれ一つとされているのだという理解と前提に立つ。それを皆が一致して同じ心と同じ判断をする。

そのうえでそれぞれが個性を持っているのでみな違う事を認め、賜物も違う事を認めていく事です。そのうえで互いに尊敬する。

そしてそれぞれが主から受けた賜物を自由に用いながら教会を建て上げて行。

こうしたら教会は成長し、イエスに似た者の群れとして建て上げられていきます。