コリント人への手紙第二(28)

2022年1月30日
聖書箇所:Ⅱコリント12:1~10
説教題:私の恵みはあなたに十分② 

おはようございます。2022年1月30日、兄弟姉妹と共に主に礼拝を捧げる恵みにあずかり
感謝します。やっぱり皆が一つに集まって礼拝出来るのが一番いいですね。
また、やむを得ない事情でネット配信を通して礼拝を捧げているあなたもおはようございます。この時間を共有できる恵みを感謝です。又一日も早く共に礼拝出来る日を楽しみにしています。

さて最近のコロナ禍に在って私たち本庄教会のライブ配信を利用して礼拝している方が少し増えているようです。これもあり難いことです。数は多くないのですが日本全国の皆さんが本庄教会のネット配信を利用されていますし、海外にいる日本人が増えればもっと嬉しいです。

それではこれから30分、共に聖書を学び、聖書が私達に何と教えているかを知り、主イエスに従っていけるよう、そして自分の生活に適用していけるようにさせていただきましょう。

今日はⅡコリント12:7~10。前回の続きになります。
コリント人への手紙第二が書かれた目的は、罪を悔い改めて変えられた信者が偽教師、偽使徒たちに再び教会がかき回されない様にするのが目的です。特に偽使徒たちの影響を受けパウロに反対する人が残っていましたので、手紙を通して偽使徒の影響力を一掃したいと考えたパウロは後半からから最後まで偽使徒たちの正体を暴きつつ、パウロのキリストに在る生き方を通してコリント教会の兄弟姉妹達を励ましています。

そこで10章から12章まで同じテーマで考えて行きましたが、今日はパウロの体験を通し弱さの中に在っても強められていくキリスト者の生き方をまなんでまいります。
彼の体験は前回通り14年前に第三の天に引き上げられたことです。第三の天はパラダイスと同じで、彼はその一部を垣間見ています。そして歴史が50年後になると、使徒ヨハネがもっと多くパラダイスの啓示を受けています。それがヨハネの黙示録で、私達が2年前に良く学んできたところです。

話は戻りますが、パウロが受けた啓示は4節で少し見えてきます。又6節にはその啓示が余りにも素晴らしいと告白しています。そこで今日は7節からです。

7:肉体に一つのとげ、これは体に鋭い破片がつき刺さっている感じで、使徒パウロが実際に経験している体の痛みだと思われますが、細かいところは分かりません。参考箇所。ガラテヤ4:12~15、379頁。14節が手がかりの言葉で、ここから彼がずっと痛みを抱えながら生きてきたことが分かります。しかし、とげ、鋭い破片が突き刺さるような痛みとすれば、これはつらいです。

この痛みに対し、彼の受け止め方は冷静で立派です。14年前の啓示体験、第三の天、パラダイス体験の啓示が余りにも素晴らしい体験故に高慢にならない為だというのです。しかも出所はサタンの使いからだと言うのです。この理解として、サタンは命を奪うことは出来ませんが、神の赦しの範囲でのみ人を傷つけることが許されています。決してサタンを必要以上に恐れる必要はありません。
8:彼は苦しみから解放される為に三度願いました。神に祈りを捧げ癒されることを求めたのです。医者ルカの診察も受けたことでしょう。この三度と言う表現は何かと言いますと、ただ単に三回願って、それで終わりかという事ではありません。
これはヘブル的表現で絶え間なく、連続して、繰り返し、神の御心を求めて祈ったということです。そして、ずっと癒しを求め続けた結果が9節です。パウロが高ぶらない為に癒されませんでした。私達は癒されることばかり期待しやすいのですが、このような神の取り扱いが実際あるのですね。

9:イエスの答え、私の恵みはあなたに十分である。恵みの意味は、私たちに注がれている神からの一方的な良いものです。言われましたという言葉に注目しよう。これは現在完了形。昔パウロに起こった出来事が今も続いているという意味です。即ち14年間継続的に神の恵みが十分であり、そして彼の弱さの中に在っても変わることなくキリストの力が十分に働いているという事です。
この十分な恵みは今を生きる私達キリスト者に対しても変わることなく注がれ続いているのです。これが主の恵みの確かさです。

もう一つキリストの力が私をおおうという言葉に注目しよう。これはキリストがここに天幕(テント)を張って共にいてくださる。がっちり。こうですね(両手を出して)それ故逆に使徒パウロは弱さを誇ることにしたのです。弱い時にこそキリストの力に覆われて強くされる。これがキリスト者の強みです。誇り高ぶっていた偽使徒や一部のコリント教会信者と生き方が全く違います。

10:こうして彼は自分の体に刺さった肉体のとげの意味を悟ります。自分が高慢にならない為、そしてキリストの力に覆われたキリスト者にさせていただくための恵みだと確信し、困難をも喜ぶ生き方に代わる。ここが結論部分で、キリスト故に弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難をも喜ぶと。ここで注目は弱さ、侮辱、苦悩・・・実は全部単数形ではなく複数形で書かれている事。こうして諸々の弱さがあってもそれを喜びや力に変えられたパウロ。イエスにある苦しみを覚えて力に変える。

このように弱い時にこそ強いのが、私達キリスト者の生き方だということをもう一度確認しよう。
適用
体の痛みの有る方聞いてください。
痛みがあれば癒されるよう祈る。当然ですね。求め続ける。癒されれば感謝。でもいくら治療しても癒されなかったらそれに対するイエスの答えは、「私の恵みはあなたに十分」ということです。そうだとしたらその病と付き合いながら生きるのがベスト。そして痛みの目的は私達が高ぶらない為。そう理解するとパウロと同じ生き方になります。それがイエスの十字架の苦しみを味わい理解し、又恵みを味わうことに繋がります。
結び
皆さん安心してください。多くの弱さを抱えていてもそれが私たちの強みとなるから喜んでください。弱さを認めて主イエスに信頼して行く。体に痛みを抱えている人、弱さがたくさんあっても
主イエスの恵みはあなたに十分の注がれ続けている事を確信しイエスを見上げていこう。

そして今はコロナ禍の中に在りますが、このような生活がずっと続くわけではありません。主の恵みはいつも十分注がれていることを確信して歩んでまいりましょう。