コリント人への手紙第二(22)

2021年11月21日
聖書箇所:Ⅱコリント11:1~15  
説教題:パウロと偽使徒達 

おはようございます。今日も共に礼拝を捧げる為に集まることが出来感謝します。
またライブ配信で共に礼拝を捧げているあなたもおはようございます。お元気でしたか?
今朝も同じ時間に主を礼拝出来る恵みを感謝します。

さて、今日は11章1節からですが、ここに至るまでの背景を少し考えて見ましょう。
コリント教会は使徒パウロたちの伝道によって生出された教会です。ある程度教会が自立できるようになると彼はこのコリントを去り別の町に行って伝道します。そうするとその後を狙って偽使徒たちが町に来て、パウロと違う聖書の教えをして教会をひっくり返してしまします。こうして偽使徒達はコリント教会信者を横取りし、多額の報酬を得るのです。こうしてコリント教会は変質していき、パウロは間違ったことを教える人であると攻撃するのです。
しかしパウロの2通の手紙(コリント人への手紙第一、涙の手紙と呼ばれるもの)を通して彼らは罪を悔改め信仰生活が回復していきます。しかし、一部の人達は偽使徒の影響を受けたままパウロに対し強力に反対する人もいたのです。この10章~11章はパウロに対して尚反対する人たちへの内容になります。またここは偽使徒に対する警告で、時間の都合上4節までになります。

※因みに使徒の意味はキリストによって直接遣わされた者、キリストの代理者と言う意味です。彼らは特別の力をもち、主の働きをします。12弟子やパウロ、バルナバ、主の兄弟ヤコブがそれにあたります。また現代はどんな偉大な人であっても使徒職は存在しませんので注意してください。もし使徒と呼ばれている人がいたら偽使徒と言うことになります。
それでは私たちもパウロが何を言っているか整理して、自分たちへ適用したいと思います。

1:前の17節でパウロは「誇る者は主を誇れ」とエレミヤ9章24節を引用して自分を推薦し、自分を誇る人へ警告しています。続いて偽使徒たちの様に自分を推薦するものではなく、
主に推薦される人こそ本物ですと述べています。1節はその続きで、主に推薦されている本物の私が、これから真実を話すけど少し我慢して聴いてねと断りを入れているところです。(文脈で)

2:使徒パウロはコリント教会生みの親として兄弟姉妹達を大切に思っている親心的な表現です。何としてもキリストに在って成長し主に喜ばれる生涯を送って欲しいという望みです。そしてキリストと教会の関係を夫婦に適用しています。教会(すべてのキリスト者)は男女限らずキリストの花嫁で、今はキリストと婚約期間中です。結婚式はキリストの再臨の時になります。

3:ここも続きで創世記3章の出来事、エバが悪魔の誘惑によって欺かれたように、コリント教会の兄弟姉妹達も偽使徒によってキリストから離れてしまうのではないかと心配している親心的な表現です。

4:心配している内容は以下の通りです。誰かが来てとは、偽使徒や偽教師がパウロの後にコリント乗り込んでパウロと違った事を教え、教会をかき回した人の事です。どんな事を教えたか。
①パウロが教えたイエスと違う、別のイエスを伝えた。具体的にはよくわかりませんが。
・例えばイエスは神ではない。神よりも一ランク劣る天使のかしらである。神は唯一で父なる神だけが本当の神だ。それ故イエスは神に造られたもので天使のかしらである。
神は例だから肉体をとってこの世界に来るはずはない。物質を悪と考えるギリシャ哲学から出てくる発想です。今もこのように教える偽のキリスト教団体もあります。
・イエスは奇跡を行わなかった。例えば湖の上を歩いたと言われているが、あれは弟子たちが遠くから見ていてそのように見えただけで、実際は湖の岸辺を歩いていただけ。奇跡は人が考えた事。
・イエスは十字架に掛かって死んだけれども体の復活はなかった。キリストの愛の精神が復活したのだ。また弟子たちが復活して欲しいという願望によって、弟子たちは基督が復活したと思い込んだのだ。他にも沢山ありますが、これに近いようなことを教えたと思われます。

②異なる霊を受けた。普通yesをメシヤと信じて十字架の死と復活は私の罪の為であると信じたら私たちは何を受けるのですか?そうです。聖霊を受けます。目には見えませんが神の位格の一つで有る神、聖霊(御霊とも言います)を受けます。これを御霊の内住と言います。私たちの心の内に住まわれます。内に住まわれた聖霊はどうなりますか。この人、信仰駄目だからもういたくないといって離れてしまいますか?答えはNOです。聖霊は一度その人の心の内に住んでくださったら信者が地上の生涯を終えるまでその人から離れません。ご安心ください。

ある人は聖霊がいつはなれるかと言って心配でしょうがない。不安な人もいるのです。だから信仰熱心にしていないといつ聖霊が離れるかわからないから気を抜いたら駄目だと教えるのです。
これは聖書の教える福音と違います。
・では何を受けるか。悪霊を受けたのです。聖霊と全く違う悪魔の子分である悪霊です。これはどういうことか。外見上は教会の一員になっていても救いはありません。救いがないばかりか悪霊に付かれていますので滅びに至ります。
③受け入れたことのない、異なる福音を受けた
偽使徒から受けたのが異なる福音。これは悲劇です。では異なる福音とは例えば何か?
・イエスはみんなの罪の為に死を遂げてくれた。しかし復活しなかった。弟子達がキリストに甦って欲しいという願望がキリストの復活信仰に繋がった。こう教えます。そしてキリストの愛の心をみんなで受け継いで生きようと教える。
・イエスの十字架の死は失敗だった。キリストは愛の模範を示して世の中を変えようとしたがユダヤ人の反感を受けて殉教の死を遂げた。だから今こそ私たちがその精神を受け継いで、キリストが出来なかった社会改革を成し遂げようではありませんか。みんなで頑張ろう。
適用
皆さん、聖書と違う異なる福音を受けたらどうですか。コリント教会の兄弟姉妹たちは最初、パウロが教えた聖書に基づくキリストの福音を受けました。が続いてコリント町に乗り込んできたのは偽教師。偽使徒達でした。何が正しいか間違いかを判断することが出来なと教会は大混乱に陥ります。本庄教会も同じです。常に聖書を文脈で読み、歴史的背景を調べ、当時の文化や生活習慣等を調べながら聖書は学ぶ書物です。それ故牧師や教師の賜物を持つ人が教会には必要なのです。聖書を違う教えを伝える人がいたら変だよねと気付いて行ける人になっていきたいです。
結び
現代でも異なる福音を教える偽教師は沢山います。是非聖書の文脈を大切にして、そして書かれた背景をくみ取りながら丁寧に聖書を学んでまいりましょう。聖書の正しい福音はコリント第一15:1~5に書かれています。