コリント人への手紙第二(21)

2021年11月14日
聖書箇所:Ⅱコリント10:7~18  
説教題:あなたがたは、うわべのことだけを見ている 

おはようございます。今日も共に礼拝を捧げる為、集まることが出来感謝します。
またライブ配信で共に礼拝を捧げているあなたもおはようございます。お元気ですか?
今朝も同じ時間に主を礼拝する恵みに預かり感謝します。

さて、今日は10章7節からですが、9章までとは全く違う話が展開してまいります。
コリント教会の多くの人は自分の罪を悔改めて、パウロを受け入れ、変えられていたのですが、
尚、一部の人たちは偽使徒たちの間違った教えを受け、パウロに対し悪意をもち続ける人たちがいました。10章からは、主にその人たちに向かって書かれています。
偽使徒達とはパウロが伝道した後コリントに来て、パウロと違う聖書の教えをして教会を混乱に陥れた人たちです。コリント教会の信者を横取りし、多額の報酬を奪っていく偽の教師たちです。
ここから私たちもパウロが何を言っているか整理して、自分たちへ適用したいと思います。

Ⅰ、7節~11節までが一つの塊になっていますのでまずこの箇所を中心に見て行きます。
7:あなたがたとは、偽使徒又は偽教師の影響を受けコリント教会の中でパウロを攻撃する人たちのことです。彼らはパウロの生き方や考え方をよく見ないでうわべの事だけを見て裁くのです。これは人に対する誤った見方なのでここからよい関係は生まれません。
自分たちがキリスト者であると考えるなら他の人もそうです。故に相手を上から目線ではなく同じ立場として見ることが良い人間関係を築いていく基本です。私たちにも言えることですね。

8:パウロがイエスから受けた使徒の権威は、パウロの反対者を倒すためではなく、建てる為に受けた権威です。常にイエスの権威は破壊的ではなく人を育てたてあげるものです。キリスト者の人間関係も壊すのではなく時間はかかっても育てていくものでありたいと願っています。

9~10:「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ってみると、弱々しく、話もたいしたことはない。」これがパウロのうわべだけを見て反対する人の態度です。多くの人が自分の罪を悔改めたが、依然としてパウロを誤解して悪く言う人々はいたのです。
11:そちらに行った時には離れて書く手紙通りの対応をします。厳しく対応することです。
※適用
人は人のうわべを見て判断する。
これはキリスト者もよくやることです。例えば姿格好、暮らしぶり、住まい、職業、収入、学歴、家柄等で人を判断し評価する事があります。もう一度その人の生きや考え方、本質的なところを見て隣人と交流できる人間を目指したいと願っています。また上から目線ではなく、人を自分よりもすぐれたものとしてみて行くことが出来ればと願っています。
●パウロも姿格好が見栄えすることが無かったかもしれません。それゆえ損をしたところがあったかもしれません。
●キリスト教会においても、牧師が信徒のうわべだけで評価したり、信徒が牧師のうわべだけを見て裁いたり、信徒同士で評価して、裁き合う事があります。このような事が少ない教会程イエス様に似て行き、成長した教会へと変わっていきます。
●聖書の世界ではⅠサムエル16:6~7に実例。人はうわべを見るが主は心を見る。旧約507

Ⅱ次の塊は誇るな12~18 自分を推薦する人に対する警告(Ⅱコリント3:1)
12:コリント教会を混乱に陥れた人々こそ自分を推薦する人です。Ⅱコリント3:1。パウロたちの後にコリントで伝道し、その信者を横取りする人びとです。教えも聖書の通りでなく彼らの教えをプラスして聖書と違うことを伝える偽教師、偽使徒達でした。これが自己推薦する人の事です。

パウロはこのような人と自分を同列に置く事や、比較するようなことはしません。偽教師たちは自分たちの間で互いに比較し合っています。前の言葉とつながります。人のうわべを見て評価、判断する人びと、見た目ばかりを気にする。このような生き方は愚かだとパウロは断言します。

13:自分の限度を超えて誇るな。
無理して人の前で自分を見せようとはしない。あなたもあたかも信仰深いような姿を見せる必要はありません。どうせばれますから。ではどうすればよいか。自分の賜物の範囲の中で主を見上げて生きることです。そうすると気持ちが楽ですね。

14~15:自己推薦し、自分を誇る人達と反対に生きるのが使徒パウロです。パウロは自己推薦をしませんでした。まだ人の行かない地域に行ってキリストの福音を伝えて行ったのです。そしてコリント教会の信仰者たちの信仰の成長を常に願って祈っているのがパウロの生き方です。

16:コリントよりも西の地域への福音宣教を考えていたパウロ。ローマ、イスパニヤ(スペイン)ですね。彼はすでにその地域でなされた働きを誇る様なことはしませんでした。

17:まさしく誇る者は主を誇れ。自分の賜物、才能、能力、学歴、職業を誇ったところでそれは何の益にもなりません。かえって害になるばかりです。主イエスを見上げて誇りとする生き方をしよう。
皆さんは、教会の中で、事ある毎に自分の力や能力、学歴、職業を誇る人がいたらどんな思いがしますか。これはキリストに在る生き方とは反対方向ですから教会を駄目にします。でも結構教会ではこのような人間的な誇りがまかり通っています。そしてこれが落とし穴となり教会の力が弱くなります。
18:主に推薦される人こそ本物。役員(執事)投票で選ばれる。
適用
常に人とのかかわりの中で人と比較し、自分の方が上だとか、下だとか比較する生き方はやめよう。それやると生きるのに疲れます。常に人の目が気になりますから。パウロは愚かな生き方だといいます。自分にあたえられた、賜物を発見し更にそれを伸ばす。自分らしく生きる。そのような生き方をさせていただきましょう。それこそ主イエスに推薦された人の生き方です。
結び
私たちは人のうわべを見て評価し、常に比較しながら生きる人生ではなく、イエスを見上げ、イエスの心を自分の心として生きよう。そして自分を誇るのではなく主イエスを誇りとする生き方をさせていただこう。