ピリピ人への手紙(19)

2022年09月04日
聖書箇所:ピリピ4:8~14
説教題:こころに留めること

おはようございます。2022年9月第1週の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。

またネット配信を通して礼拝しているあなたもおはようございます。お元気でしたか?最初の日を礼拝から始めることは大きな恵みです。それでは聖書を開きましょう。今日の聖書箇所はピリピ人への手紙4:8~14になります。但し時間の関係で8~9節になります。

初めに先週の3つの命令を確認しよう。覚えていますでしょうか?

  • 主にあって喜びなさい。使徒パウロは喜べる状況になかったのですが、主にある喜びにあふれ

一日一日を自分の使命に生きていました。キリストと命で結ばれているので喜びにあふれていたのです。これが主にあって喜べと言う命令の根拠です。ゆえにピリピ教会の問題だらけの中にある信徒に対して、いつも主にあって喜べと命令できたのです。いかがでしょうか。

②2つ目の命令は寛容であれ。自己中心でない心、相手を思いやるという意味です。

具体的にはイエスの心に自分が似ていく、イエスに似た考え方で生活をする。これが一歩一歩確かにされる。こういう生き方こそ自分の周りの人に広まって影響力を与えていく。周りと同じことをしなくても一人一人が自分の個性の中で寛容さを実践する。これこそキリストの証であり伝道の基本です。私たちの心がイエスに似れば似るほどイエスの救いを受ける人は多くなります。

  • 3つ目、思い煩わない。どんなことにも思い煩ってはならないという命令。思い煩いとは心配

事より重い症状で、心が思い乱れ、落ち込み、うつ状態のことです。私たちはこのような状態にあるときにはイエスを見上げていません。自分のことばかり考え自分を責めているだけです。あるいはほかの人を呪っているだけです。こうならないように思い煩うなという命令です。そのうえで神に信頼し感謝をもって神への祈りと感謝をささげよという勧めにつながります。

以上3つの命令でした。●継続して喜べ●キストの心をもって生きよ●どんな状況になっても思い煩うな。これを実践した人への神の約束は?私たちのすべての理解をはるかに超えた神の平和が私たちの心を支配する。一週間試した結果はいかがでしたか?

8節~9節が最後の命令になります。今日はここを学んでまいります。この命令を私たちが心に留めること。この命令の前提はキリスト者が狭い世界で生きない事、クリスチャン同士の小さな世界で生きるのではなく、まずは地域社会に向かって置かれた地域の一員として生きる事です。人それぞれ生きる範囲は違いますがいろんな人と関わりをもちクリスチャンやノンクリスチャン関係なく自分の賜物を世の中に向かって表していく事です。8節はキリスト者の証の場であることを前提に読むとピンときます。

まずキリスト者はそれぞれがキリストの大使としてこの世界に遣わされています。そして主の心を自分の心として生きる。その際にキリストにふさわしい人柄を心に留める必要があります。

  • 真実 嘘偽りがない。
  • 尊ぶべき事 栄誉 人としての品格を持っている
  • 正義 神と人の前で社会人としての義務と責任を果たすこと
  • 清い事 純真 人から認められるようなキリスト者の言動。言葉と行動。
  • 愛すべきこと 人々から愛される人柄。謙虚である。
  • 評判の良い事 人から信頼され、評価されている。

そして今までの6つを含め徳とされる事や称賛されるもの(これは人からの称賛ではなく神からの称賛です)をこころに留めよという命令です。どうぞこの6つをこころに留めてまいりましょう。

こころに留めることの続きは何ですか。実行することです。口だけで人を愛しますとか、隣人愛に生きると言っても陰口ばかり言って、実行しないとかえってキリストの栄光を汚します。何を実行するか。使徒パウロの生き方をまねることです。パウロがピリピ教会で生きたことをピリピの人々はよく見て知っています。パウロから

  • 学んだこと キリスト者はキリストの弟子である。
  • 受けたこと キリストの使徒たちから受けたこと。教え、福音、使徒信条
  • 聞いたこと キリストの十字架と復活の言葉
  • 見たこと パウロが言葉と実行を貫抜いたこと

以上4つをパウロのように行いなさい。実行せよという命令です。

ではどうしたらこのようにできるのか、もちろん自分の頑張りや人間的な力でするのではありません。人間的な力で信仰的に生きようとすると喜びは消え失せ、人を裁き、律法的になります。まじめな日本人の落とし穴です。ではどうするか?イエスに信頼して、聖霊様の力を受けつつ取り組んでいく事ですね。そうすると一歩一歩成長させていただけます。これが聖書の示すキリスト信仰者の実行の仕方です。

結果は? 平和の神があなたがとともにいます。キリストの恵みの中でキリストご自身を見上げて生きる。そうしたら争いが大きく渦巻き、間違った教えの風に吹きまわされていたピリピ教会の中にあっても、福音の恵みの中にある教会員は聖化の恵みの中に生き、喜びと寛容をもって生きる人に変えられます。まさしく平和の神が共にいる人生です。どこの教会でも同じです。本庄教会の中にあって私たちの生き方もまさにその通りです。

そしてこれこそキリスト者の生き方です。どうぞすべての良いことに心をとめ、そしてパウロが生きたようにキリストの愛を実行し、キリストの僕として生かされよう。そうすれば結果はおのずとついてきます。神の平安が共にあります。お祈りしましょう