ピリピ人への手紙(18)

2022年08月28日
聖書箇所:ピリピ4:4~7
説教題:主は近いのです

おはようございます。2022年8月第4週目の礼拝をささげる恵みにあずかり感謝します。

またネット配信で礼拝しているあなたもおはようございます。お元気ですか?礼拝をささげて一週間のスタートができることを感謝します。それでは聖書を開きましょう。今日の聖書箇所はピリピ人への手紙4:4~7になります。

先週は不覚にも風邪をひいて熱を出してしまい、メッセージは原稿を代読してもらいました。

内容を覚えていますか。そうです。ユウオデアとシュントケというピリピ教会の有力女性信者同士の喧嘩による教会分裂問題でした。これを聞いたパウロの勧めの箇所から学びました。ポイントは同じ思いになってほしいという勧めです。同じ思いとはお互い罪人で罪赦された者同士、キリストの僕、主にあって兄弟姉妹。そしてそれぞれがキリストの体なる教会を構成する一メンバである。この基本的な前提に立つことでした。そのうえでキリスト者同士が争いを防ぐポイント4つ。

・①和解できない原因は自分にもある。自分も悪いのだ。

もっともらしい口実を見つけて自分の正しさを主張して相手を責める。これをやめる事。

・②お互い相手の話をよく話を聞いて相手の人柄を理解する。

生まれも育ちも考え方も受けた教育も違います。違うのは当たり前。その為にも相手の話をよく聞き相手の人柄をよく理解する。

・③相手も十字架の愛で罪赦されている存在である。

自分はどうしようもない罪人であるが相手も罪人で罪赦された存在です。自分も神に愛されたが相手も、神に愛されキリスト信仰に導かれた人です。主の祈りの中で、「私たちの負い目をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある人を赦しました」宣言の祈りが重要です。

・④キリストの体なる教会の視点で考える。

私たちはそれぞれがキリストの体の一部である。主イエスは何を望んでいるか。どうすれば主に喜ばれるのか。なぜ主が悲しむのか。イエスの視点で考える。そしてキリストの体なる教会を建て上げるために自分は何をすべきか、どう行動すべきかを考える。

真の協力者という立場(仲介者として)になった場合にどういう態度をとるべきか。

・①両者を裁かない心をもって接する。冷静になって両者の話をよく聞く。

・②愛をもって真理を語る。曖昧にしないで感情的にならないで愛をもって真理を語る。

そんなことを覚えながら4節に進みましょう。ここからパウロの3つの命令とその結果。

4:ここから話ががらりと変わります。いつも喜んでいなさい。喜べという言い方は命令形。2:17,2:18,2:18,3:1.4:4,4:4。6回。しかも現在形なので喜び続けていなさいと言う意味です。

何故命令形なのか?キリスト者はカラ元気でいつも喜んでいるように見せなくてはならないのか?もし、そうだとすると大変ですね。そうではなくて。

いつもパウロは喜びにあふれていました。彼の今の状況はいいことずくめなのでしょうか?そうではありません。人間的に考えれば喜べる状況はこれっぽっちもありません。なぜ?信仰上の理由で不当に逮捕され今鎖でつながれ明日の命がどうなるかわからない。でもそんな事を恐れることなくキリストと命で結ばれているので喜びにあふれていたのです。これが主にあって喜べと言う根拠です。だからピリピ教会の問題だらけの中にある信徒に対して、いつも主にあって喜べと命令できたのです。

この命令は私たちに対してもむけられた言葉です。皆さんいかがですか。こんなに強い生き方は他にありません。置かれた状況に関係なく喜べるのがキリスト者なのです。

実はこれがキリスト者の最大の生き方の秘訣です。あなたがいつも喜んで生きているなら周りの人は不思議に思ってキリストに信仰について尋ね求めるでしょう。そしてキリストに思いが行ってその人は救いを受ける可能性が出てきます。実はこれがもっとも簡潔な伝道方法です。でも多くの日本人キリスト者は物事を難しく、否定的に考え、理屈をつけて、苦虫つぶした顔でいるからイエス様の生き方とは程遠く人を導くことが出来ないのです。今から人生を変えていただこう。キリストと結ばれていることを喜ぼう。そうしたらあなたも。あなたの家族も変わります。

5:2つ目の勧め、寛容とは、自己中心でない心、相手を思いやる心という意味です。具体的にはイエスの心に自分が似ていく、イエスに似た考え方、生活をする。これが一歩一歩確かにされる。こういう生き方が自分の周りの人に広まって影響力を与えていく生き方。周りと同じことをするのではなく、一人一人が自分の個性の中で実践する。これも本当のキリストの証であり伝道です。私たちの心がイエスに似れば似るほどイエスの救いを受ける人は多くなります。

主は近いのです。これはイエスが身近にいるというよりも、再臨の時期は速まっているという思いです。パウロはイエスの再臨が近いという思いで生活していました。彼の時代から二千年近く立ち、イエスの再臨はますます近いので私たちもイエスに似たものとされよう。

6:思い煩うことなく神に願え

3つ目、最後は思い煩わないようにとの命令。どんなことにも思い煩ってはならないという命令です。心配事よりも重い症状です。心が思い乱れ、落ち込み、うつ状態になっている。これが思い煩いです。私たちはこのような状態になるとイエスを見上げていません。自分のことばかり考えて自分を責めているだけです。あるいはほかの人を呪っているだけです。

こうならないようにという命令が何事も思い煩うなという勧めです。そのうえで神に信頼し感謝をもって神への祈りと感謝をささげよという勧めにつながります。

7:どうぞこの3つの命令形の言葉を心にとどめて生きよう。

  • 喜べ 継続 ●寛容なキリストの心、善意 ●どんな状況になっても思い煩うな

結果はどうなるか。神の約束は以下の通りです。私たちのすべての理解をはるかに超えた神の平和が私たちの心を支配する。どうぞ一週間試してみてください。

結び

ユウオデアとシュントケの争いは教会の大きな問題に発展していきました。でもパウロは主にあって同じ思いになるように勧め、協力者に依頼した後、4節から3つの命令系の言葉を送っています。私たちも自分たちへのメッセージと受け止めて実行するものへ変えられてまいりましょう。主イエスの再臨は近いゆえに益々、そして困難な今の時代こそ、3つの命令の言葉を心にとどめて実践してまいりましょう。お祈りいたしましょう。