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ピリピ人への手紙(7)

2022年06月05日
聖書箇所:ピリピ2:1~11
説教題:キリスト・イエスのうちにあるこの思いを抱け

おはようございます。2022年6月第1週の礼拝を共に捧げる恵みを感謝します。今日は聖餐式も行います。またネット配信で礼拝をささげている皆様もおはようございます。お元気でしたか?この時間を共有できますこと感謝します。それでは聖書から共に学んでまいりましょう。

今日の聖書箇所はピリピ人への手紙2:1~11になります。先週はピリピ教会の兄弟姉妹たちに対する使徒パウロの勧めから学びました。覚えていますか?そうです。キリストの福音にふさわしい生活をしなさいという勧めでした。具体的には、今ここにイエスがいることを意識して行動することが福音にふさわしい生活につながる事でした。そのうえで教会はキリストにあって心を一つにし、反対者たちを前にしても臆病になるなという勧めでした。ここまでは良いですか?

今日はキリストの福音にふさわしい生活の、具体的な2つ目の勧めについてです。それはキリスト・イエスのうちにあるこの思いをもって生きよというものです。この思いとはキリストの心を私の心として生きよということです。それが1節から4節に書かれています。

1:ですから:1番初の勧めに戻る事。あなた方はキリストにあって一つとされている、反対者たちを恐れない。そしてパウロはピリピ教会の兄弟姉妹たちに注がれている神の恵みを語ります。①私たちがキリストのうちに、共に住んでいること。それが信者にとって大きな励まし、慰め、助けとなっています。

②父なる神が愛の慰め、励ましてくださる。これは神からのものなので私たちの条件に左右されず、無条件で与えられます。私たちは生涯にわたり神に愛され励まされ続けている存在です。

③御霊の交わり(聖霊とも言います)が全ての信徒に与えられている。私はリスチャンですが、聖霊を受けていませんという人はいますか。そういう人はいません。なぜなら私たちはイエスを救い主と信じるだけで全員神の性質である聖霊を受けます。

それ故信者同士は御霊によって交わり、交流があるのです。救いを受けた者同士ならば主にあって恵みを分かち合うことができるのです。

④愛情とあわれみがあるなら、思いやりとあわれみの心を持つことが可能となる。以上の4つは程度の差はありますがキリストによって当然すべてのクリスチャンに与えられています。

このようにキリスト者は万全の体制で神の恵みと祝福のうちに置かれた存在です。なんという大きな恵みの中にあるのでしょうか。実感していますか?

2:同じ思い、同じ愛、心と思いを一つにして私の喜びを満たしてほしいとパウロはねがっています。でも何故パウロはこういう言い方をするのだろうかと思いませんか?

ピリピ教会は愛と喜びに満ちた教会でありましたが、前回みた通り中には妬みと争い、党派心をもって信仰生活をしていた人もいます。又、二人の有力女性たちは、主にあって同じ思いをもって歩む事ができないので教会分裂になりかねない面もあったと思われます。

又外部からはユダヤ主義者たちが、入り込んできて、割礼を受けないと本当の信仰者ではないとか、割礼を受けないと救いはないという間違った教えを持ってきました。今こそ悪い働き人から守られて、キリストにあって一つとされて教会をたて上げてほしいと願っています。ここまでがキリスト者に与えられた恵みの立場とキリストにあって一つとなるよう勧めです。

※以上のことはそのまま現代キリスト教会に適用できます。私たちも恵みによって救いを受け、励まし、慰め、憐れみを受け続けている存在です。それ故様々な困難を乗り越えつつ、心と思いを一つにして私の喜びを満たしてほしいというパウロの訴えがよく理解で来ます。

・3節と4節がキリスト者の具体的生き方です。

まず捨て去るもの①利己的な思い。これは自己中心。言わなくても皆さんは私も含めて全員立派に兼ね備えているのでわかっていると思います。

②虚栄。自分自身を神の座に置こうとする態度や行動を表す言葉です。これはそのまま傲慢や高ぶりにつながり、神が最も忌嫌う生き方です。

偉くもない自分をえらいように見せかける行為は神が嫌うことですが、これも残念ながら私を含めた全員が持っています。このようにすべての人が生まれながら持っている悪い性質を聖書で罪といいます。この2つを捨てる。いきなりはできませんので一歩一歩イエスを見上げて聖霊によって私たちが成長していく。イエスに似ていくほどに利己心や虚栄心は少なくなります。聖化の歩み。

・身に着けるもの。へりくだり、謙遜さ。これも残念ながら私達には備わっていません。

お互いが人を自分よりもすぐれたものと思うこと。隣人が自分にないものを持っている。そこに着目すると謙遜さが増してきます。自分の周りの人はみな先生ということです。

4:私たちが人から言われなくても、自分のことは良く顧みます。これは良いことです。でももっと良い生き方は他の人も顧みる。自分の利益を求めるだけでなく、他の人の利益を重んじる生き方です。このような生き方を聖書は勧めています。人の為に生きる。これがキリスト者最大の特徴。

でもある人は言います。そんなに人の利益のために生きる人生はばかばかしい。自分というものがなくなってしまう。無駄だと。でもそれは悲しい生き方です。そんなことはありません。人の為に生きた信仰者を見ると、皆さん神の恵みと祝福を100倍受けて幸いな生涯を歩んでいます。

5:では他の人を顧みて生きたモデルとなる人はだれか?

キリスト・イエスのうちにあるこの思いをあなた方の間で抱きなさい。

そうです。最終的に私たちのモデルとなるお方はイエス・キリストです。イエスの心を自分の心として生きる生き方がポイントです。イエスを見上げて生きるとイエスの御霊によって励まされ強められ整えられて私たちが変えられていくのです。

イエスについて詳しく述べているのが6節~11節のキリスト論というべきこの個所です。

この部分は当時うたわれていた讃美歌のようです。時間の関係で来週になります。

楽しみにしてください。今日はここまでにしておきます。

是非今週もキリストの生き方のモデルとして、このお方を見上げて聖霊によって整えられてまいりましょう。