ピリピ人への手紙(6)

2022年05月29日
聖書箇所:ピリピ1:19~23
説教題:キリストの福音にふさわしく生活しなさい

おはようございます。2022年5月第5週の礼拝を共に捧げる恵みを感謝します。

ネット配信で礼拝している皆様もおはようございます。お元気でしたか?この時間を共有できますこと感謝します。それでは聖書から共に学んでまいりましょう。

今日の聖書箇所はピリピ人への手紙1:27~30になります。先週は使徒パウロの生き方から多くのことを学びました。その中で彼は「生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」と言い切りました。自分の使命に生きることがキリストであり、また死ぬことは終わりではなく、自分の生き方の完成で、永遠の世界の始まりとなる。ですから彼は死のほうが勝っている。でもこの肉体にとどまる事があなた方にとっては必要なことなので、私は生きながらえると告白しています。

あなたは先週のメッセージを通して自分の使命は何かをお考えになりましたか。すでに分かっている?それともまだですか?これは人との比較ではなく、あなたと神との関係でお考え下さい。わからなかったら人に聞けばヒントが生まれてくると思います。ぜひ使命を確認してあなたらしい人生を歩んでまいりましょう。

さて1章27節~2章18節はパウロの勧めが続きます。ピリピ教会の兄弟姉妹に対するパウロの勧めを読んで自分たちに神は何と言っているかを読み取っていきましょう。

27節、ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。これはどんな意味か。まずキリストの福音とはキリストの良い知らせという意味で、キリストが私たちの罪のため十字架にかかり死んで葬られ三日目に復活し、今も生きておられる。これを信じたら罪の赦し罪から救われる。キリストを十字架の死と復活を信じるだけで救われる。だから福音(良い知らせ)なのです。

では福音にふさわしく生活するとは何でしょう?その前にピリピ教会は喜びにあふれた教会でした。コリント教会のような深刻な問題は少ないのですが、この地上には完全な教会はないので多かれ少なかれ問題や課題を抱えています。皆工事中の罪びとの集まりなので失敗が多いのですね。これを理解すると、人につまずかないですみます。教会は罪赦されたた罪人の集まりですから。

28節には反対者たちがいたとあります。この反対者との戦いが常に教会のテーマです。28節を手掛かりにするとピリピ教会の反対者の状況が分かってきます。例えば15節、妬みや争いがあった。どの教会にも人に妬み言いがかりをつけるトラブルメーカーがいます。怒りっぽくて争い好きな人もいます。喧嘩早い人ですね。17節。党派心。自分の主義主張が強すぎて教会の中を混乱させる人。こうなると教会が2つに分裂する危険性があります。4章2節には教会内の有力な二人の婦人が争っていました。そうするとこの争いは教会全体に広がる可能性があります。

一方教会外から来る問題もありました。3章2節。犬ども。これは本当の犬ではありませんのでご安心ください。噛みつきませんので。これは悪い働き人(異端者)のことで、ユダヤ主義者といいましてキリストの救いの恵みを受け止めるのではなく外面的な形を大切にする人々です。

例えばモーセの律法を守らないと救われないと教えます。どう思います?人は旧約聖書の時代も今も人は信仰によって救われる。ゆえに彼らの教えは間違っていることがわかります。こういう間違いを教えると教会は混乱します。地上の教会は完成されていないので様々な弱さを持っていて、常に異端との戦いはあります。本庄教会でも起こりえます。そのことを踏まえたうえで信仰生活をすることが必要です。

さて、話を戻しますが、では福音にふさわしい生活はどんな生活でしょうか?それは、私たちが天に国籍を持つものとしてイエス様が自分の前にいることを意識する生活です。その上でイエスの前に恥ない態度で行動することです。(繰り返す)その前提のうえで具体的に2つ。

①27節:霊を一つにして固く立つ。私たちは聖霊の導きによってキリストの教会に連なり、一つからだとされました。よい知らせである福音のために心を一つにすること。なぜこんなことができるのか。それは既に聖霊によって一つとされている事を認めることから始めます。思えば不思議なことです。私たちはそれぞれ国籍も、性別、年齢、能力、性格がすべて違いますが、聖霊の働きによりキリストにあって一つとされているのです。だから霊も、心も一つとされ、神の家族の一員として生きることです。

②28節:信仰の反対者たちに脅かされない(臆病にならない)態度と行動をとる。

先ほど述べたように常に反対者はいて、脅しをかけてきて、教会を混乱させようとする人はいます。でも私たちは神の聖霊が共にいるので勇気をもらいました。ですから教会を混乱させようという人がいても臆病になる必要はありません。

ここはこの塊の結びの部分です。

29:キリストのために苦しみこともある。ある人は信仰をもって救いを受けたらいつも良いことばかりで、いやなことはないと先入観を持つ人がいます。もしここにそういう方がいたら大きな誤解ですからね。人生そして信仰生活はある意味で戦いの生活です。まず自分の弱さや罪との戦いがあります。いじわるや悪意をもって陥れる人もいます。無視される時もあります。信仰を持って救いを受けたらよいことばかり続くとは限りません。

その時、嫌なことと受け止めないでください。恵みと受け止めることです。恵みの定義はふさわしくない私たちに与えられる神からの一方的な良いものという意味です。キリストを信じて救いを受け、キリストのために苦しむ事も恵みで、キリスト者に与えられる特権なのです。

なぜ恵みなのか。私たちはキリスト信仰ゆえに受ける苦しみによってキリストの苦しみがわかります。そうすると主イエスへの理解が一歩進みます。そして人間的にも成長して、周りの人の力になります。私達は信仰ゆえの苦しみを通して、人の苦しみ、イエスの苦しみを体験的に理解します。

結び

以上キリストの福音にふさわしく生活するとは、イエスが自分の目の前にいたらどうだろうかという意識で生活することであります。それは人の前にも堂々と生きることです。

そしてキリストの恵みは自分にとって良いことばかりではなく、自分にとって苦しいことも恵みです。それはイエスの苦しみを知り、恵みを深く味わう良い機会です。これによってますます深くイエスを信頼できるようになるのです。どうぞつらいことがあったらイエスは特別に私を愛しているから苦しみを特別に下さったと受け止めよう。